がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

焼肉は男たちの「料理」

久しぶりに、「和風」焼肉屋に行く。
何故「和風」かと言うと、やはりバンコクにある韓国人経営レストランとはちょいと違うからだ。バンコクのそれは、座ってメニューを渡されている間にどさっと置かれる「ツキダシ」からして違う。様々なナムルやキムチの皿が所狭しと並べられるからだ。分厚い骨付きカルビは、焼きあがるとじょきじょきとハサミでブツ切りにしてくれるし、ビビンバはまるで石のスリバチのように大きくて重い器で出てくる。韓国料理用の銀箸は細くて長くてとても使いにくいのだが、そのビビンバをかきこむと、美味しくてホッペタが落ちそうになる。

実家の近くの店は、七輪などという懐かしいものがどでんとテーブルの真ん中に鎮座していて、それはそれで風情がある。それに、日本語を使う店員さんたちがてきぱきと動くところがいいなあ。こういう流れるようなサービスというのは、バンコクではかなりいい店に行かないと客には与えられない。

それにしても、鍋と焼肉は男の料理だ。
いや「料理」と言っては語弊がある。家でする場合はもちろん女たちが支度をしなければならないが、いったん席に座ったが最後、あとは男の仕事なのだ。少なくとも、わたしの家族・母方の親戚は皆男たちが作る。

母は箸を持ったまま、どこの肉が焼けそうかな、と睨んでいる。妹は黙ってウーロンハイなど傾けながら煙草を吸っているが、目はどうしても網の上の肉にちらちらと流れる。弟は煙草をくわえながら網の上の肉を裏返して、母に「灰が飛び散るでしょっ」と怒られている。妹の旦那さんは、黙々と肉を焼き、時々「あ、ここはもう食べられますからねー」などと、甲斐甲斐しい。

思えば、父が生きていたときにも同じ光景が繰り広げられていた。全く料理をしない父だったが、すき焼き、鍋、焼肉など、テーブルで「作りながら食べる」ものは父の担当だった。
がび家の伝統である。

他の家庭で男が鍋と焼肉を仕切るのかどうかは知らないが、過去に結構たくさんの男たちと焼肉を食べたにもかかわらず、どうもわたしには「焼いた」ような記憶がない。

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