15年間教えていた私立女子校を退職した。
正式には退職「させられた」わけだが、それは日本語コースが今年いっぱいをもって消滅したからだ。
「再び」と言うにはわけがある。
わたしは以前にも某公立校を退職しているのだ。
さようなら、わたしの15年間
すでに5年前の2015年末に、次の年から日本語を7年生からオファーしないことにした、との告示があった。日本の中学2年生に当たる7年生は、オーストラリアでは中等教育の始まりを意味する。
つまり、それから5年後の2020年末に最後の12年生が卒業し、それとともにわたしが退職しなければならないことが決まった瞬間だった。
2015年どころかそれ以前に薄々と気づいてはいたが、台頭してきた中国との経済関係、そしてそれにともなう中国語への関心が高まり、ビジネスとしての私立校は次々と日本語教育を中国語教育へと変更していった。語学教育というものが、世界のトレンドに左右されるのは当然であり、インドネシア語もこの傾向に押されて、日本語以前にアジア語教育のトップから外れていった。
日本語も世界経済での地位が下がるにつれて、その需要も供給も下がる運命にあったのかもしれない。ただし、「ビジネス」を全く考えないでもよい公立校では、日本語教育の地位は比較的安定しているらしい。
最後の12年生たち
わたしはこれまでにも生徒たちとはかなりよい関係を結んできたと思っている。
私立校以前に働いていた公立校の生徒たちとは、彼らがすでに成人して30代を迎えようという年齢になっても、まだFacebookで交流しているくらいだ。
この私立校の15年間では、わたしが「卒業したらFacebookの友だち申請をしてもいいからね」と言っていることもあり、かなりの数の卒業生たちがFacebook友だちとして鎮座している。
今年の卒業生たちもその例外ではなく、Speech Nightと呼ばれる年度末修了式の直後に会場から出てきたと思ったら、「まず記念撮影を」と言うわたしを無視してさっそく携帯で友だち申請をし始めた。何ということだ。
最近では若いひとたちにはあまり人気がないFacebook。そしてわたしもそれほどアクセスしているわけではない。それでも、たまに覗くと卒業生が大学も卒業して仕事を始めていたり、結婚したり、子どもができたり、外国で職を得たりと、様々な「その後」が見られて楽しい。
その新しくわたしの「友だち」となった今年の卒業生たちは、皆自分たちが最後の日本語生徒たちだと自覚しているせいか、わたしとは「先生と生徒」という関係を保ちながらも、お互いかなり近い存在だった。
4月にわたしの母が亡くなったときには、皆で相談して各々が1人ずつ手書きの手紙を送ってくれた。「手書きのほうが気持ちがそのまま伝わるから」と考えたそうだ。その手紙を読みながら(時にはヘタクソな手書き文字を苦労して判読しながら)わたしが大泣きしてしまったのは言うまでもない。
もうひとつ、オーストラリアの習慣で、卒業生は卒業の数ヶ月前から自分のニックネームをつけたジャージの上着を着ることになっているが、初めてその上着をプレゼントしてくれたのも今年の12年生たちだ。普通は自分のニックネーム部分はアルファベットの刺繍だが、今回は全員がカタカナのニックネームを画像で注文したらしい。わたしの「先生」の文字も画像だったという。
「センセイもわたしたちと一緒に卒業だから」と言われて、教室で皆の写真を撮ったのもいい思い出だ。
名前を見たら、この15年間の日本語教室卒業生たちの顔を全て思い出せる。エピソードも思い出せる。だから、Facebookに載る最近の写真を見ても、わたしの中の彼女たちはまだ制服を着て微笑んでいる12年生なのかもしれない。
退職生活に入る…と思ったら
私立校を退職する直前に、今まで使っていた教材や飾りなどの処分のために、日本語教師会に頼んで会員にメールを送ってもらった。そして、そのせいでわたしの退職が正式に日本語教師たちに知らされた。
数校から来年の校内試験採点の問い合わせが入り、そしてその次の日に公立の遠隔地教育校からオンライン教育への打診が来た。それも上級生アカデミックコースを教えてみないか、という打診だった。経験と、ごく狭い世界ではあるが若干知名度のあるわたしの業績のせいだと思えるので、嬉しかった。
このまま半分リタイヤ生活に入ろうと思っていた矢先なのに、このトシでこれだけ様々な打診が入るのもオーストラリアだからだろう。日本だったら、60歳以上は完全に新雇用の枠から外されているのではないか。
時間割の組み合わせで、なかなかどの学年をどのぐらいの時間教えればいいのか決まらず、結局公立校年度末最後の日の金曜日にやっとメールが来た。
上級生コースは受験で終了する2年間のコースで、11年生と12年生に分かれる。遠隔地教育では、普通校では対面授業で大抵週4時間から5時間となっている上級生コースが、各々の生徒の現地校の対面他科目授業を縫って組み合わされる。そのために週1時間しかオンラインクラスは与えられていない。その代わり全員一緒にオンラインで授業するわけではなく、各々の空いている時間の授業時間で1年間の時間割が決定され、1人の授業もあれば5人ぐらいの授業もあるという「変則的な編成」となる。あとは宿題と自習だ。その準備もあり、普通校の対面授業とは全く違う方法をとらなければならない。
いや、大変だ。
でも面白そうだ、これはいいチャレンジになるということで、オファーを引き受けることにした。
この教師としての職のほかに、まだ来年いっぱいは教材開発の仕事も残っている。そして、個人的にやっているセミナーとして、日本人アシスタントの勉強会と大学受験対策のための12年生セミナーは今度も続けるつもりだ。
そんなわけで今年よりはるかに忙しくなりそうな2021年だが、それでもなんとなくワクワクしている自分にちょっと苦笑している。
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