放課後にミルクを切らしていたことに気づき、自宅を通りすぎてそのまま近くのスーパーに直行した。いつもは週末に行くショッピングセンターの一角にある。
すると、190センチはあろうかというとても背の高い男性が横切り、そのままわたしと同じように牛乳を選びはじめた。どこかで見た顔だ。絶対どこかで見た顔だ…とチラチラと見ていたら彼が振り返ってわたしを見下ろした。金髪で精悍な顔立ち、受け口の薄い唇。目が不審そうだったのは、ほんの一瞬だ。
「がびセンセイ?」
同時にわたしも名前を思い出した。ダニエルだ。わたしが2003年から2006年にかけて公立校で教えていたときには中学生だった。小柄で仕草も顔も優しい少年で、少女たちとばかり交流していて少年たちとはほとんど交わることもなかった。昔「いじめ」に関して「豪州でもいじめはある」というブログのエントリにしたのは、彼のことである。
「うわー、センセイだ、信じられない」とわたしを見下ろす青年には、テストステロンのおかげであの優しい少女のような雰囲気はない。「普段はここに買い物には来ないんだけど、仕事で近くの病院に来たから」
すでに大学を出て、今では理学療法士として働いているという。「もう日本語はすっかり忘れちゃいましたよ。コンニチハとオゲンキデスカくらいかなあ」パートナーと一緒に暮らしていると言っていたが、会話の中ではそのパートナーを「彼」と呼んでいた。
話していれば、どんどんと昔の彼の姿が頭に浮かぶ。いじめに会わないようにと願ったその優しげな少年が、見上げるほど背の高いハンサムな青年になり、軽やかに昔のセンセイと言葉を交わし、そして男性のパートナーがいることを臆せずに語る。成長したその姿を前にして、何だか嬉しくなってしまった。
別れるときにしっかりと握手を交わして「立派な大人のダニエルが見られて、わたしのことを覚えてくれていて、センセイは鼻高々」と言うと、真っ白い歯を見せて笑った。その優しげなちょっとはにかんだような笑顔は、やはりダニエルだった。