「教師として働く前に」ではなく「働けることが可能になる前にしなければならないこと」について、ここでは述べる。
すでにオーストラリア人との婚姻などで永住権のあるひとには、このエントリは必要ないので読み飛ばしてほしい。
先のエントリで最後に述べた、「オーストラリアの教員免許がなくても働ける方法」は日本で教師として働いたことのあるひとや日本の教員免許のあるひとのためのものだが、これは可能ではあるけれどかなり難しい。
まず、自力で「日本語教師の求人」を見つけなければならない。これが一番難しいのは、3度数ヶ月の失業を強いられたわたしがよく知っている。その難関を突破して、その学校がまずあなたを雇いたい、としよう。そのときにあなたは「実は永住許可証がないんで、わたしは労働ビザが必要なんです」と言う。担当のひとは顔もしかめずに「もちろん、うちで請け合います」と太鼓判を押さなければならない。学校が保証人となって初めてあなたは労働ビザの申請ができるからだ。この審査は気の遠くなるような枚数の書類と気の遠くなるような回数の移民局への「訪問」を含む。それも突破したとしよう。おめでとう、あなたはその学校で働ける。しかし、こういうビザを持つ日本人日本語教師が周りにひとりもいないのも事実だ。
これが嫌なら、もっと手っ取り早い方法がある。永住権の取得だ。
教師としての永住権取得にはふたつの道がある。ひとつは、教員免許を取得する前に、好きなひとを見つけて同棲するか結婚するかという道。これが一番簡単である。愛は全てを可能にするのだ。ちゃんちゃん。
わたしは重婚罪を犯すわけにはいかないので、もうひとつの道を選んだ。技術移民永住ビザと呼ばれる永住権だ。詳しい取得情報は、その他のサイトへ。オーストラリア移住に関するビザあっせん業者はゴマンといるので、そちらのほうが確実だと思う。
ただし、いくつか越せない壁があるので書いておきたい。
まず、この技術永住ビザは申請時に45歳未満でなければならない。年齢によって、若い順から選考基準が厳しくなるのは、「どれだけ長いことこの国で税金が払えるか」にかかっているのだから、素直に従うしかないか。
もうひとつは、さかのぼって二年以内にオーストラリアでの高等教育機関(つまり大学か大学院)で二年以上の何らかのコースを修了し、しかもそのコース修了後六ヶ月以内に申請しなければならない、というややこしい規則がある。つまり、現在のところ西オーストラリアでディプロマコースを修了しても一年にしかならないので、申請に足りないのだ。わたしの申請時には、これがまだ一年だった。
ただし、日本かあるいは他国で申請までの二年の間に十二ヶ月以上の教師職務経験がある場合は、そのオーストラリアでの二年間の留学経験は問われない。
さらに、ここでまたIELTSの試験結果を提出しなければならない。それも一年以内の結果だ。今回は永住権用なのでアカデミック試験ではなく、ジェネラル試験と呼ばれる「普通の日常生活に支障のない英語」のテストだ。こっちも難しいことには変わりないが、使われるトピックスが全く違う。試験そのものより、また何万円も出して試験を受けなければならないのに腹がたったが、規則です、と言われれば黙って払うほかはない。
晴れてこの永住権を取得したら、もうこっちのものだ。医療保障も社会保障も受けられるし、選挙権はないが、それでも自由に職業さえ選べる。教師じゃなくてもいいのだ。ただし、マルチ入国ビザのスタンプはオーストラリアから出入国するために必要で、五年ごとに更新。その時点で五年間で二年以上滞在していないと、事実上永住権は失効する。
「なあんだ、これじゃだめだ。あきらめようっと」……と言うには、まだ早い。
西オーストラリアにはもうひとつ教師になる道がある。それは全ての公立学校を管轄する西オーストラリア教育省に「スポンサー付き技術移民永住権」の申請スポンサーになってもらえる可能性だ。教師という職業が、スポンサーになる西オーストラリア州のState Migration Planに記載されているための特別処置だ。オーストラリアのほとんど半分と言ってもいいくらいの土地を占める、広い西オーストラリア州は、万年教師不足に悩まされている。つまり州都ではなく、そこから何時間も飛行機やバスや電車や車でしかたどりつけないような、遠隔地の学校のことだ。こうした地域の教師不足を解消するため、西オーストラリア教育省は数年前から東海岸地域にも、また「教員免許は取ったけど、一年しか大学院に在籍していないから永住権の対象外になっちゃったガイジンの教師候補者たち」にも積極的にお誘いをかけるようになったのだ。
この制度で、東オーストラリア、つまり都市で言えばシドニー、メルボルン、ブリスベン、キャンベラなどや西オーストラリアの大学で教員免許を取得した日本人教師、または日本で最近十二ヶ月以上の教師経験がある日本人教師が、西オーストラリアに日本語教師として職を得て現在も働いている。数は多くないが、確かに数人わたしも知っている。
こうして二年間、教育省に保障された労働ビザで地方で教師として仕事をしたあと、晴れて技術移民としての永住権の申請ができることになる。楽な仕事ではないし、西オーストラリアの遠隔地というのは日本の田舎とは比べものにならないほど何もない。日本人はたぶんその村でひとりだ。そういう暮らしに耐えられる自覚は必ず持っていなければならないと思う。
わたしは地方の経験がないが、労働ビザで州都から車で五時間の田舎で日本語教師として働いている方を存じている。明るく、元気で熱心な先生で、いつもお会いするたびに頭が下がる。わたしには決してできないからだ。
次のエントリは「直接法で教えたい」。