がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

グラリと揺れて、うろたえる

相撲を見ていたら、ゆらっと一回だけ揺れた。おや、と思ったらすぐにグラグラッと来た。ストーブを消して、お勝手口だけは開ける。

それだけのことだが、母がちょうど買い物に出かけていたこともあって、家にひとりっきりである。結構どきどきしている自分に気づいて、可笑しくなった。テレビを見ると東京二十三区は表示されないくらい弱い震度らしい。茨城で震度3だ。
ここ何年も地震というものを経験していないから、久しぶりの「グラリ」に大アワテだ。そう思ったら、マルセル・プルーストの世界じゃあるまいし、いきなりずいぶん昔のことを思い出してしまった。

二十年ほど前、一度だけ日本でひとり暮らしをしたことがある。六本木の、旧防衛庁の脇道をちょいと入った所だった。家具付きで敷金・礼金なし、数ヶ月で出られるアパートなどという条件を出したら、ここしかなかった。つまりは、ガイジン用である。遊ぶにはとんでもなく便利だったが、住むところじゃないな、としみじみ思ったものだ。日が落ちれば華やかだが、何しろ昼間は汚い。そして、普段の生活に必要なものを買う店が極端に少なかった。明治屋で毎日買い物ができるわけもない。

住んでいたのは、ほとんどが白人モデルたちだ。エレベーターの入り口で額を打つほど背が高く、そしてとても美しくて若い女性たちばかりだった。わたしもとても若かったが、何しろフツウの日本人のオンナノコだったから、彼女たちの方がジロジロと見るほどそこでは珍しい存在だった。

ある晩、そこで地震が起きた。
かなり大きなものだったから、窓は音をたてて震え、天井の灯りが弧を描いて揺れた。普段から、「地震のときは、すぐには外へ出るな。火を消せ」というのが鉄則だったから、わたしはその通りにして窓を開けた。
もうそのときには、アパートの住人が叫びだしていた。いや誇張ではなく、本当に彼女たちは阿鼻叫喚の騒ぎだったのだ。20戸ほどの小さなビルだが、そこから白人モデルたちが叫びながら外に飛び出していった。わたしの部屋のある三階の窓から覗くと、下では裸足のひと、パジャマ姿のひと、バスタオルを巻いただけでまだ頭にシャンプーをくっつけたひと、スーツケースをしっかりと抱えているひとなどが右往左往している。管理人が、もう大丈夫だから、と英語でなだめて回っていた。

その隣の写真スタジオからは、「なんだ、何の騒ぎだ」と撮影をしていたらしいひとたちが集まってくる。まだ若かった坂東玉三郎と市川猿之助も、着物姿でモデルたちの騒ぎを見に出てきた。

遠くに「津波の恐れはありません」という警察のパトロールのアナウンスを聞きながら、フタ昔前のわたしは目を丸くして、「地震の経験のない白人モデルたち」と「日本の芸能人たち」を見下ろしていた。

 

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