日本に一時帰国すると、和食である。
オーストラリアで日常的に使う食材が近所の店で全く手に入らないというのも理由だが、83歳になる母にはそりゃ和食のほうが嬉しいからだ。ま、それでなくとも店に顔を出せば、日本の旬の素材に食指が動く。サンマにブリにカツオ。ナスにかぼちゃに椎茸、シメジ。ああ、涎。
ところがテレビか新聞で情報を収集したらしく、母は「長生きするには肉を食べなきゃいけないんだよ」などと言う。わたしはサンマなどをウキウキと買ってくるが、母は病院に行った帰りに豚肉ロースを2パックも買ってくる。心臓病のせいで息が切れるのにどうしても買い物が好きなのだ。外出すれば(それがたとえ通院であっても)何かしら買ってきたいらしい。
その豚肉ロースの薄切りと「わたしが帰国した日から冷蔵庫に鎮座しているピーマン」をやっと使ってのお惣菜。
豚肉は酒をたらし、片栗粉を振っておく。
ピーマンは乱切りだ。こないだ「えっ、乱切りって?」と言われたので説明すると、つまり……あらら、難しいな。とにかく全部同じくらいの大きさに大きくざっくりと切ることだ。
炒めソースは、味噌とマヨネーズと酒と砂糖。ここに味見をしながら豆板醤を少し落とした。
さて、油をフライパンに熱してから肉を炒めて、大方火が通ったらピーマンをざっと加える。ピーマンにあらかた火が通ったらソースを上からざんぶりとかけてさらにささっと炒める。火を止めてオシマイ。
その間に隣のコンロで湯を沸かして、もやしをさっと茹でる。大葉を千切りにして置いて、茹で上がったもやしを冷水で洗ってから合わせ、冷蔵庫にあったつゆの素を加えて味を見ながら「手で」混ぜる。
実はいつも「味を見ながら」の適当な料理なので、味付けはそのときの気分だ。混ぜ合わせるときは、手が一番という理由のもとにいつも指で混ぜることが多い。菜箸よりもトングと呼ばれるハサミ箸よりも何よりも手が一番繊細でキチンと材料を混ぜることができるからだ。そりゃ、前もって丁寧に石鹸で手を洗うけれどね。
わたしは烏龍茶で割った焼酎を2杯ほどやりながら出来上がった料理をつまむが、母は温かい白飯を添えて舌鼓を打つ。
「マヨネーズを炒めものに使えるなんて知らなかったよ。お肉が柔らかくてコクがあって、美味しいね」と母は言い、「肉を食べて長生きして次の東京オリンピックを見なきゃ」と微笑む。
その言葉を聞き流しながら、「おかあさん、長生きしてね」と、海外暮らしの長い娘は心の中で切に切に願う。
“「肉を食べて長生きして次の東京オリンピックを見なきゃ」と微笑む。その言葉を聞き流しながら、
「おかあさん、長生きしてね」と、海外暮らしの長い娘は心の中で切に切に願う。”
切ないけれど、振り返れない… 心情お察しします。
私も傘寿の母が『東京』と決まって万歳したけど、生きてるかしら… と言ったときに
笑ってごまかしたけれど、心の涙腺は緩みました(自分の事はさておいて…)
移動に係るどうしても詰められない時間はあっても、心は連れ添っていますよ。
豚肉のお料理、青椒肉絲からの変形で想像しています。試してみよ!
昨日から楽しみなブログがまた一つ、増えました ❤
こんにちは!
離れて暮らす独り暮らしの老母のことはいつも考えているんですが、こうして長期休暇を取った際に一緒に暮らしてみると、年寄りは頑固で、自分の思うように動けないためにイライラすることもあるのがわかりました。親孝行したいです。
でも、「毎日色々食べたことのないものを作ってもらえて楽しい」と言われると、はりきっちゃいますね。