バンコク・ポストとネーションの1月23日記事によると、昨日22日の朝、タクア・パ地区ヤンヤオ寺(約2300体を冷蔵安置)の門前で、周辺地区から集まった1000人の村人たちのデモが行われた。
昨日までも再三伝えていた、「タイ警察とインターポールが協力して設置したプーケット津波被害者身元確認センター(DVIC)」と「法務省傘下の中央科学捜査研究所次長ポーンティップ女史が津波後暫定的に3つの寺に設置した身元確認センター」の対立が、発端だ。村人たちの主張は、「遺体はこのまま寺に留まるべし」だ。
18日のタクシン首相の声明によって、5000体以上の遺体は2週間のうちに「選り分けられ」、明らかに外国人だと判別できた遺体に関しては、プーケットのDVICに移送、明らかにタイ人だと判別できた遺体に関しては、タクア・パ地区に留められ、引き続き検死が行われることになっている。
この「明らかに」というのが、実は問題なのだ。
わたしも写真を見せられたからわかるのだが、「明らか」なのは、肉眼ではアジア系かヨーロッパ系かも、中には性別さえわからない遺体が大半である、ということだ。つまり、「明らかにタイ人」と判別された遺体以外の「国籍さえわからない遺体」は、全てDVICに移送。となれば、3000体以上がプーケットに移される。
村人たちの言い分は、「移送でまた身元確認が遅れる。そして、移送の際にまた遺体のデータミスが出るかもしれない。遺族にとって、プーケットまで通うのは遠い」ということだが、これはおかしい。
第一に、身元確認が遅れたのは、5000体もの遺体のデータを通常のペーパータグにして、遺体に取りつけていたことが致命的なミスだった。衛生面の処置として、防腐剤と消毒剤を毎日のように撒いていたが、そのせいでタグのデータが消え、判読できなくなってしまったのだ。
第二に、そのミスのせいで、全ての遺体に電子チップが埋め込まれることになった。遺体の取り違えは、まず起こりえない。
第三の理由は、身元が判別するまで、遺族がプーケットに日参するわけがない。これも奇妙だ。
ネーションには書かれていなかったが、バンコク・ポストには極めて意味深な事実が追加されている。
「遺体がプーケットに移されれば、タクア・パ地区は、観光収入を失うことになるだろう」無記名のビラが、すでに撒かれていたのだ。
「しかし、遺体がここで身元確認されれば、やがて記念碑が建てられ、公園となり、遺族たちは彼らが愛した者たちのために、ここに戻ってくるだろう」
おいおい、勘弁してよ、と笑うことはたやすい。
しかし、津波で全てを失った者たちには、これ以上何かがまだ失われるということは耐え切れないのだ。そして、残念なことに、こうしたビーチ沿いに住んでいたタイ人というのは、満足な教育も受けていないその日暮らしのひとびとだ。扇動は、彼らの目先の利益を唱えれば、いとも簡単に達成できるだろう。彼らは、何かが失われる、またはどこかに移される、という言葉がささやかれるだけで、恐怖を覚え立ち上がる。どこに行くのか、または誰が先頭に立っているのかも知らないまま。
タクア・パ地区の寺にある身元確認センターでは、まだ20カ国以上の国から派遣されてきた鑑識専門家たちが働いている。自分たちの使命をまっとうしようとするひとびとが、自分たちのしていることが一体誰から認められる行為なのだろうか、と案じながら、今日も遺体と向き合っている。
そして、わたしの会社とビジネスのあるドイツ系商社香港支社では、いまだに副支社長とその家族の五人が行方不明だ。
タクア・パ地区で起こっているこの対立、そして周辺に拡大する不穏な動きは、3つの寺に安置されている遺体と、その身元確認を願う家族たちの思いから、段々と離れていく。