がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

ふたつの身元確認センター

タイではこのところ地下鉄の事故だの選挙だのが紙面を賑わせ、バンコク・ポストでも「津波その後」は四面に下がってしまった。

タクア・パ地区寺の境内にある身元確認センターでは、まだボランティアの学生たちが遺体の処理のために働いている。
二十歳を出たかそこらの女子学生たちが、毎日遺体を洗い、歯型をとるために歯ブラシをつかって洗浄し、DNA採取のために電子チップを埋め込むための手伝いをしているのだ。災害から一ヶ月たった遺体の匂いが充満し、彼女たちの洋服にも皮膚にも髪にも染み込んだまま、決して落ちることがないと言う。
「ボランティアたちは仕事に心をこめているんです。不平は言いません。わたしたちのしていることは、何かの利益を考えてしていることではないんです。津波では多くのひとたちが亡くなりましたが、そのことで死ぬときは誰も何も持っていくことはできない、と気づきました」
仏教の教え「諸行無常」を彷彿とさせる言葉だ。

しかし、鳴り物入りで各国のメディアを賑わせて記者会見までしたのに、あのプーケットに設置されたDVIC(津波被害者身元確認センター)はどうなったのか。
彼女たちボランティアが働いているのは、依然としてタクア・パ地区の寺にある身元確認センターだ。わたしが先日書いた、ポーンティップ女史によって津波後すぐに活動を開始した身元確認のための組織であって、新しいDVICではない。

18日付バンコクポストによると、タクシン首相が中に割ってはいり、「2週間は、遺体をプーケットに移動しない」と公約した。ポーンティップ女史が、あと2週間で身元確認のための処置が終わる、と豪語したからだが。つまり、DNAのための肉片やら骨片やらと歯型などの採取が終わると言うのだ。そのために各国からの鑑識専門家たちとタイ鑑識チームとが、まだタクア・パの寺で働いている。要するに、こちらにもまだ数十人の外国からの鑑識専門家がいるのだ。

一体タイ警察とインターポールが組織したプーケットのDVICは、60人の外人鑑識チームを受け入れて、その間何をしているのだろう。

2週間たてば、遺体はプーケットの遺体安置所に輸送され、ポーンティップ女史の身元確認センターからDVICに全てのデータが移される。彼女とタクア・パ地区のセンターのやり方が気に入らないDVICは、また再度検査をするのだろうか。それとも、移されたデータをそっくりそのまま利用するのだろうか。
細切れの記事ではなにやら辻褄の合わないことが多すぎて、その場しのぎの報告で間に合わせているようにも見える。

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