がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

スマトラ沖大地震・ボランティア最終日

2日目のボランティア・ヘルプデスクは「ダメ押し」なので、あまりすることもない。現在プーケットにいる津波被災者としてのスイス人は10人ほどの負傷者で、バンコクを通さず直接スイスからの救援飛行機によって本国に送られる。

そんなわけで、暇をつぶすために本と新聞、そしてもちろん長袖ジャケット(空港は冷蔵庫の中のように徹底的にエアコンが効いている)を持ち込んだ。
しかし、9時半到着のプーケット便からひとりのタイ人が降りて、まっすぐドイツ大使館デスクに向かった。大きなビニール袋をいくつも抱えている。
「わたしはメルセデス・ベンツの代理店の者ですが、ベンツの破損状態などを視察・確認するためにプーケットを回り、今戻ってきたところです。カオ・ラックの現場で見つけた被災者の貴重品と、その持ち主であろうと見られる西洋人の遺体の写真を持ってきました。ほとんどドイツ語だと思いますが、その他の国々のひとたちのものも混じっているかもしれません」
袋から次々と現れたのは、まだ砂にまみれ、湿ってゴワゴワになったパスポート、各種カード、証明書、そして様々な財布とその中に入れていたと見られる小さな写真の束。証明書類を開くと、笑っている顔、そして難しい顔。年齢も様々だ。それがひとまとめになってゴッソリと発見されたところを見ると、たぶんホテルの貴重品預かり所だったのではないか。

同じく砂まみれの財布を開くと、若い女性がその夫か恋人と見られる男性と抱き合ってこちらを向いている写真が何枚も出てきた。財布には、現金ははいっていない。そう言えば、何枚もあるカードの中には、有名どころのクレジットカードさえ一枚も見当たらない。何十人ものひとたちの貴重品の山の中に、現金とクレジットカードがないのだ。おそらく、地元のひとびとがすでに抜き取った後なのだろう。なんだか、悲しくなった。
写真はメモリーから直接、ドイツ大使館のボランティアが持っていたノートパソコンに繋いでダウンロードした。開いてみて、ディスプレイを覗いていたドイツ大使館、スイス大使館の4人はわたしも含めて、「うっ」と声を上げた。顔をそむけたいほど、悲惨でむごたらしい。何十人もの写真の中で、身元が確認されたのはひとりのみ。それも、彼がいつも肌身離さずはめていた時計が、生存家族にとっての決め手となった。証拠のために、生前の写真が添えられた遺体は、とても同一人物とは思えないほど変化していたからだ。
一応の説明だけ聞いて、わたしはその場を離れた。とてもじゃないが、渡された砂まみれのスイスパスポートの笑顔を、その遺体の写真の列に探すことはできない。
わたしには、できない。

Neue Zuercher Zeitung(ノイエ・ツゥルヒャー・ツァイトング、スイス)オンラインロイターズ・ドイツによると、現在のところ、スイス人の死者は確認されただけでも16人、まだ85人の消息がつかめない。家族などから届けが出ている津波周辺地の行方不明者は約550人だ。ドイツ人は死者60人、行方不明者は1000人以上となっている。死者の数はまだまだ増え続ける模様だ。

ついでながら、ドイツ大使館の情報によると、被災したがすぐには本国に戻らなかった観光客が、プーケットにまだ20人以上残っていることがわかった。その中には、医者、医学生、看護婦たちもまじっていると言う。皆、死者をそのままにしておくに忍びなく、ボランティアで処理の手伝いをしているひとたちだ。もうそろそろ一週間になろうという津波現場での仕事は、生易しいものではないだろう。遺体を洗い、写真を撮り、検屍医たちの手伝いをし、そしてまた運ぶ。

明と暗を分けた津波の瞬間を共有した彼ら、「生者」は、「死者」のもとに残ることで心の救いを求めているのかもしれない。

 

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