母方の親戚とは仲がいい。特に母にとっては1番上の姉である上野の伯母は、ほとんど第二の母、ひとりっ子の従兄弟は兄のような存在だ。亡くなった伯父については、以前「上野のおじちゃんとおばちゃん」に記した。
88歳の伯母は特別養護老人ホームに入って3年になる。入ったばかりのころはそれでも杖をついたりしていたと聞くが、ここ2年ほどはすでに車椅子のみ。食事と排泄などの日常最低限の生活もできなくなり、完全介護を受けている。
常時300人ほどの待機者がいると言うから、伯母の入所はかなり幸運だったと言うほかはない。それ以前は、従兄弟とその奥さんが自宅の横浜から上野まで毎日来て、交代で24時間世話をしていたのだから。入所する前に認知症はかなり進行していたが、まだ正気に戻る時間が多く、そのたびにどうしようもなく怒り、物を投げ、叫んだと言う。
あのちゃきちゃきと何でも素早く的確に処理する伯母が、気が強くて姉御肌の早口だった伯母が、たまに戻る正気の世界でどのような思いをしたのだろう。それを想像すると、胸が痛くなる。
今回、従兄弟が車で迎えに来てくれたので母とともに見舞いに訪れた。
伯母の部屋がある6階のエレベーターを降り、靴をスリッパに履き替えて行くと、大きなテーブルがあり、そのホールの周りに1人部屋が並んでいる。テーブルには老齢の女性が6人、そして男性が2人。全員が車椅子に座り、話すこともなくじっと目を閉じている。
介護士が伯母の肩に手をかけ、「ご家族の方がいらっしゃいましたよ」と言うと、小さく縮んでしまった伯母が目を開けた。入れ歯を外してしまっているので、鼻から下が奥に向かって閉じられている。介護士が指さしたわたしたちをじっと見ているだけだ。手を振ったわたしたちに、代わりに隣の女性が微笑んで手を振り返した。
入った伯母の部屋は、明るく広い。エアコンもついているし、箪笥などもある。その中で見る伯母の顔は蝋のように薄く白く、手は力なく時々動いてはわたしの手を握る。
昔の写真を見せればじっと見つめるが、表情は動かない。確かに何か言いたそうなときもあるが、その言葉はまるで泥酔したひとのようにロレツが回らず、意味を為さない。何とか理解しようと耳を傾けるより、母は分かったふりをして何度も「うん、うん」と頷いた。自分の名を呼ばれればわかるらしいが、かつては「お母さん」であり「姉ちゃん」であり「おばちゃん」であったことは覚えていない。だから、従兄弟も母も伯母を「名前」で呼ぶ。
ちょうど食事の時間だったので、伯母は入れ歯を入れてもらう。わたしの知っている顔に戻ったが、話しかけてもじっと見つめるだけだ。その目はわたしのほうを向いているが、全くわたしを見てはいない。
従兄弟がひとさじずつ伯母の口に運ぶ。首を振っていやいやをしたり、眉をしかめることはあるが、手はほとんど動かない。ゆっくりと食べるが、汁物はたれて顎を伝い、そのたびに従兄弟が拭いてやる。時々何か言うが、わたしたちにはあまりわからない。
半分ほど食べたあと、頑として口を開かなくなった伯母に「もうちょっと食べなきゃダメだよ。それとも、口移ししてやるか」と従兄弟が言ったとき、わたしたちが吹き出した。そうしたら、伯母も顔をゆがめてゆっくりと笑う。「あ、笑ったよ」と母が言い、皆でニコニコと声もなく笑いあった。
1時間以上もいたが、最後にやっと聞き取れた言葉は「自由がないの」。そして、顔をしかめて「束縛されるの」と言う。まだそんな言葉が言えることに、絶句した。母はもう泣いている。「帰りたいのよ、ここにいたくないのよ」と泣く母を見まいとして、わたしも涙をこらえる。
部屋から出ると、大きなテーブルにはすでに食事を終えた7人が同じように皆車椅子に座り、そして目を閉じている。テレビは音を落として付けっぱなしになっているが、誰も見るひとはいない。介護士が伯母の車椅子を押してエレベーターまで見送りに来てくれたが、そのときには伯母の顔はまた元の無表情に戻っていた。
「ばいばい、おばちゃん」とやっと言ったわたしの言葉は、伯母を通り越して虚しく消えていく。
駐車場に行く途中、また母が泣きだした。「かわいそうじゃないの。帰りたいのよ。かわいそうじゃないの」
泣きじゃくる母は、しかしそれが不可能なことも知っている。従兄弟が「家で面倒を見るのはもう難しいんだ。ひとりじゃ何もできない。動くこともできない。それなのに、暴れることさえある。俺だって辛い」と静かに言った。
車の助手席に座って、伯母を思う。
後ろに座る母の泣く声を聞きながら、あの大きなテーブルの一角に戻った伯母を思う。
今でもまだ従兄弟やわたしの母の名を呼ぶことはあると言う。だが、伯父のことはもう忘れてしまったらしい。「オヤジのことは一番先にわからなくなったなあ」と従兄弟が寂しそうに笑う。あんなに大好きだった伯父のことをもう覚えていない伯母は、今はひとりになった辛さも忘れて幸せなのだろうか。それとも時々上野の家のことを思い出しては、「束縛された今の生活」を辛く思うのだろうか。
車椅子にストッパーがかけられて介護士が離れると、伯母はそのまままたじっと前方を見つめるだろう。しんとしたあのホールには、テレビの音と介護士の小走りの足音だけが響いているだろう。
記憶はまた薄れていき、何を見たのか、誰に会ったのか、何をしたのか、それらの日常と全く関わりのない世界に伯母は戻っていくだろう。あのテーブルを囲んで座っていた老いたひとびとと同じように。
車の中では母のしゃくりあげる声が段々と小さくなったが、わたしの心の中の泣き声は次第に大きくなる。伯母が伯母ではなくなってしまったことに、決して慣れないであろう自分に舌打ちし、喉にこみ上げてくるものを何度も何度も飲み込んでいる。