上野のおじちゃんとおばちゃんの話

日本で大ヒットした「仁」第2部のDVDを貸してもらって観た。

昔懐かしい中村敦夫がイナセな鳶職の頭として出演している。わたしが昔観たのは彼の代表作「木枯らし紋次郎」だ。古いね。
彼の言葉を聞いていたら、妙に懐かしくなった。生粋の江戸っ子弁だ。今じゃ江戸落語でしか聞くことのできないイントネーションと間合い。そして、それがとても自然に口から出てくる。テレビの他のドラマでもよく見かけるが、若い俳優たちではどうもそのニュアンスが伝わらない。というより、全然江戸っ子弁じゃないのよ。が、中村敦夫のは見事だ。調べてみたら、やはり下町の生まれだった。

そして、懐かしかったのはその言葉の雰囲気が、10年以上前に亡くなった伯父にとてもよく似ていたからだった。伯父は年取ってオジイサンになっても、かなり苦みばしったイイ男だった。口はものすごく悪くて「バカヤロウ」だの「うるせえ」だのがかなり混じる巻き舌だったが、その言葉とは裏腹にとても優しいひとで、おもしろいことに泣き虫だった。悲しいドラマを見ていて眼を潤ませたり、感動する場面でいきなりトイレにたつ伯父だった。

伯父とは血のつながりはない。わたしの母の姉である伯母の夫だ。
その伯母が若いころ恋に落ちたのが、父(わたしの祖父)が怪我で入院していたときに隣のベッドにいた無口でハンサムな若者だった。長女なので、当時家を継ぐのはその伯母でなければならなかったが、祖父に反対されて駆け落ちしちゃったくらい惚れた関係だ。

確かに、伯父が生きていたときには二人はいつでも「ジジババ、恋愛中」というくらい仲が良かったし、二人でいつも一緒に飲みに行ったり、ひとを家に呼んだりといつもセットで暮らしていた。社交好きな夫婦だった。

わたしが初めて「デンキブラン」を飲んでみたのも、ふたりに連れられて神谷バーに行ったときだ。確か、妹もいたのではないか。伯父は注文をとりにきたウェイトレスに、「デンキブランを取りあえず10個」と頼んだ。なにそれ、と妹と顔を見合わせたわたしに「いちいち頼むんじゃまどろっこしいじゃねえか」と言って、運ばれてきた電気ブランを3杯ほど次々に飲んでいった。その後も何度か一緒に行ったが、伯父の飲み方は「ボトルキープ」さえ出来るようになっても、変わらなかった。

亡父は伯父と飲むのが大好きだったし、伯父宅はわたしたち兄弟にとっても第二の自宅と言ってもいいくらい、頻繁に家族ぐるみで行った場所だ。
その伯父が亡くなったのは、父と同じ肝臓がんだった。同じくらいの時期に父も伯父も別々の病院に入院していて、どちらも相手が同じ病気で入院していることさえ知らなかった。そして、どちらも自分たちが死に至る病を患っていることさえ知らなかった。伯父が最初に息をひきとり、その10日後に父も後を追った。

「いくら仲が良いったって、なにも死ぬのさえこんなに仲良くいっしょにやんなくたっていいじゃないの」と母と伯母は泣き笑いした。

その後、伯母は最愛の伯父をなくしたショックからか、段々と母の家に行く以外は外出さえしなくなった。何年にも渡って頻繁に伯父の夢をみて、母に「アタシはオトウサンの夢なんか全然みたことがないのに」と羨ましがらせたが、そのうち少しずつボケ始めた。今では、ひとりで暮らせる状態ではなく施設で生活している。

わたしだって、今でもあの伯父のクシャクシャの楽しそうな笑い顔が目に浮かぶ。かすれた笑いを含んだ「バカヤロウ」という声が聞こえることがある。顔だって声だって、忘れたことはない。

おばちゃんは、今でもおじちゃんの夢をみるのだろうか。
それとも、そういう思い出からはとうに離れた世界で生きているのだろうか。

次の帰国では、必ず母と施設を訪れよう。今まで、なんとなくわたしの顔を忘れた伯母に会うのが怖かったんだ。でも、もう一度笑顔が見たい。「おーばちゃん」と呼んで、以前のように「あら、元気でやってるの?よく帰って来たねえ」と、たとえ言ってくれなくても。

 

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