がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

近所の蕎麦屋から出前が来る

「お昼、どうしようか」などと、朝の歯科医検診から帰った母が言う。かぶせた歯が合わず、「ヤブ医者ー」などとこぼしながら何度も通っていたが、今日の予約でやっと「もう痛くないや」というところまできちんと削ってもらったようで、ほっとした矢先。

83歳というトシのわりに、健啖である。
和菓子には特に目がなく、昨日もわたしが買ってきたごまだれの串団子を3本ぺろりと食べてしまったくらいだ。

「そうだ、xxさんのとこの蕎麦をとろうよ」
ウチでは、その蕎麦屋を名前で呼んだことがない。蕎麦屋と言えばそこだし、名前を言うときは「xxさんとこ」である。それほど近い隣近所の店だ。

soba_demae小さな店だが、母が物心ついたころからあったというから、すでに80年近い歴史を持っている。が、そんなことを表に出して堂々と構えることもなく、ひっそりとした極普通の蕎麦屋だ。母が小さいころは、餅をのばす「のし板」に網を載せ、だしに使う鰹節が沢山干してあったそうだ。
わたしが覚えているのは、その調理場に続く勝手口の隣に大きな蕎麦製造機があったこと。今ではすでに自家製蕎麦を作っているわけではないが、昔はそんな機械さえあった。その機械を横目で見ながら、よく出前の蕎麦のどんぶりを返しに行ったものだ。実家ではさっと洗って、子どもたちがそれを蕎麦代とともにその勝手口まで返しにいくのが習わしだったのだ。だから、よくアパートなどでドアの横の足元にネギのこびりついたどんぶりが置いてあったりすると、今でもなぜか違和感を覚える。「食べたものを外の地面に直に置くなんて」というのが母の口癖だった。

勝手口がとんとんと叩かれ、出前がやってきた。

いつもの出前のおじさんと、いつもの出前の四角い盆。
このおじさんは、わたしが小さい頃から住み込みで出前を受け持っている。無口でわたしの目は決して見ないが、実家の犬にだけは甘く優しく声をかける。ウチまではあまりにも近いので歩いてやってくるが、盆の持ち方だけは今でも変わらない。手のひらを上に向けた腕で肩の上あたりで水平に盆を持つ。少し遠いところに行くときだけは自転車に乗るが、それでも盆を片手で肩の上あたりで水平に持ち、片手運転だ。あれは確か今では禁止されているのだろうが、おじさんというよりおじいさんが近所の横丁をふうらふうらと自転車で行くのを咎めるひとはいない。あんなふうに自転車で器用に出前のできるひとを、今ではもう見ることはない。
蕎麦屋が休みの日はジャンパーを来て競馬新聞を小脇に出て行ったが、今も続けているのだろうか。おにいさんがおじさんになり、すでにおじいさんと言われるトシになってしまったが、おじさんは今も住み込みの独身だ。たぶんすでに家族の一員という扱いなのだろう。母に言わせると、「あそこから葬式も出るんだろうねえ」ということだ。

ウチでは母とふたりで黙って蕎麦をすする…なんてことはしないので、「やっぱり蕎麦屋のつゆは美味しいねえ」などと言いながら、すする。確かにあの瓶の即席つゆなどとは違う、はるかに深みのある美味しいつゆだ。こういうものを、まだ「デリバリーチャージ」などという横文字で請求されることもなく無料で出前してもらえるのは、幸せだ。

母も年を取り、出前のおにいさんもおじいさんになってしまった。わたしが学生のころまで近所にいくつかあった蕎麦屋も、今ではここしかない。他の蕎麦屋はすでにマンションになり、古本屋になり、ファミリーマートになり、と様々に変わった。

変化に寂しさを感じるようになると、人生も後半に差し掛かったようである。

 

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