ダイ・ハードの一作目が世に出たのは、なんと1988年、ほとんど20年前だ。
スーパーマンのように空を飛ぶわけでもなく、007のようにカッコよくもなく、ただひたすら悪態をつきながら満身創痍で走り回るブルース・ウィリスがとても人間くさかった。そして、テンポのよい息もつかせぬアクションに、ポップコーンを食べるのも忘れて見入ってしまった19年前のワタクシ。
その、ブルース・ウィリスが戻ってきた。
カリフォルニア知事になる前のシュワルツネガーだって、ロボットのくせに皺が深くなった20年後のターミネーターをやっちゃったし、来年には65歳のハリソン・フォードがまたもやインディー・ジョーンズになるくらいだ。ブルース・ウィリスが、額の後退を気にせずにすむ坊主頭で戻ってきても、不思議じゃない。
アメリカの都市としての機能を完全に麻痺させるサイバーテロ集団に立ち向かう、アナログ人間ジョン・マクレーン。エレベーターから墜落しそうになったり、カンフー娘に痛めつけられたり、糸をひかなくてもスパイダーマンのような華麗なる動きをする敵を見事にやっつけたり、カーチェイスではF35に攻撃されたり、それでも生き残る男ジョン・マクレーン。F35が真正面からミサイル撃ってきているのにもかかわらず、だ。
コンピューターグラフィックの技術が進んだため、1と2よりはるかに多用されているのがちょいと残念だ。それがマクレーンを、なんだかスーパーマンのように変身させてしまったような気がする。あまりにも規模が大きくなりすぎて、タダの人間じゃあとても脱出不可能の状況は、「ほう」という感嘆とともに「くすり」という笑いをも誘う。
そのマクレーンの相棒になる、コンピューターおたくの男の子。この童顔はどこかで見たぞ、と思ったら、MacのコマーシャルでさんざWindows(役の役者)を馬鹿にするMac役の男の子だ。その前は、ギャラクシー・クエストでやっぱりコンピューターおたく(というよりTVドラマおたく)を演じていた。こういうのも、タイプキャストというのだろうか。クチの達者な少年というイメージで、親しみやすい顔だ。
この二人がコンビを組んで悪のサイバー集団に立ち向かうわけだが、なんで物足りないのかと思ったら、悪役がどうも情けないのだ。サイバー集団というだけあって、「戦える」のは悪ボスの愛人のカンフー娘(こういうのもタイプキャストだなあ)と、糸なしスパイダーマンだけだ。あとは、みんなカチカチとキーボードを叩いているだけ。華麗なる指さばきで、次々と移り変わるWindowと意味なし文字の羅列に目をこらす。現代的と言ってしまえばそれまでなのだけれど、みな頭デッカチで、目をぎらぎらさせる「悪の権化」的インパクトに欠ける。
だから、見ごたえはあくまでもブルース・ウィリスだ。
超人だろうがハゲだろうが、彼は男くささムンムン、まだまだ現役だ。妻には逃げられ、娘には鼻であしらわれ、しかし最後にはみなの賞賛を集めてしまう傷だらけの男は、彼をおいて他にはいない。五十二歳にして自らのアクションだけで主役をはるのは、並大抵のことじゃないのだ。
あと十年たって、定年間近のジョン・マクレーンが「腰の痛さを押して走るところ」をまた見たい。