がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

ベジタリアンにはなれない

人生の半分以上を日本以外の国々で過ごしてきたから、もちろん様々な食習慣にも出くわした。わたしがパリにいたホメイニ台頭の時期にはワンサカと金持ちイ ラン人がいたが、彼らはひとり残らずフランスパンのナカミだけを残した。まるでスポンジのようにフワフワの部分だけがテーブルのあちこちに置き忘れられ、 一種異様な雰囲気をかもしだしていたものである。
そして豚肉を食べないひともいれば、牛肉を食べないひともいる。宗教上の理由から全く肉魚類を口にしないひともいれば、健康上の理由から食べないひともいる。わたしのスイス人の知り合いのように、肉屋の息子だったためにベジタリアンになったという妙なオトコもいる。

わ たし自身はあまりにも「好奇心の強いイブクロ」を持っているがために、ゲテモノには箸をつけることができても決して菜食主義者にはなれない。肉屋の息子の ベジタリアンはかなりいいオトコだったが、野菜と豆腐しか食べないひとと恋に落ちることは決してなかったし、これからもないだろう。だって、枕を交わす前 に必ず食事くらいするではないか。そんなときに「あ、この炒め物はオイスターソース使ってますか?この味噌汁に魚のダシはいってますか?」なんて心配そう に聞かれたら、美味しい食事もまずくなってしまう。

菜食がキライというわけではない。野菜は大好きだし、野菜料理にも凝る。今晩は、そん なわけで肉も魚も使っていない。豪州にもベジタリアンは多数いるので、豆腐の種類はゴマンとある。夕食に使ったのは唐辛子でマリネした一口大の揚げ豆腐、 それを野菜とともに帆立貝入りの極上オイスターソースで炒めた。
しかしこんなソースを使ったら、やはりベジタリアン料理じゃないな。タイでは確か、シイタケ類から作った「オイスターソース風」のベジタリアン用ソースなんてものもあった。

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