今日は、ボランティアのひとたちが一ヶ月も前から準備していたホスピス・ディだ。
ホスピスと言うのは、日本でももうそろそろ一般に知識が浸透してきたが、癌などの末期症状患者のためのいわゆる介護センターだ。病院という雰囲気は、ない。どちらかというと、リゾートのように美しく開放的だ。治療も最低限痛みを軽減する程度で、最後の日々を穏やかに過ごしてもらおうとするための施設だ。だから、体にとても負担のかかる化学療法も管を体中にくっつけたまま亡くなるということもない。
わたしの同僚である日本語教師のお姉さまも、去年癌のためここで亡くなった。そのせいもあり、彼女は率先してボランティアを引き受けた。わたしの通う公立高校の中庭を開放して、近くのマードック病院付属のホスピスへの寄付を集めるため、チャリティ・イベントをプロデュースしたのだ。今日までの一ヶ月間、チケットを作り、寄付の品々を仕分け、値段をつけ、食べ物の屋台を提供してくれるボランティアや、その他の屋台を担当してくれるひとびとをつのっていた。
わたしがしたのは、家で眠っていた小さな品々を寄付したり、一ヶ月前から十一ドル分買える十ドルのチケットを売るくらいだったが、当日は「客」に早変わりだ。
どちらかと言うと、内輪の催しだから、近所のひとたちや生徒たちとその家族だけだろう、と思っていたら、とんでもない。わたしが着いたのは朝十一時を過ぎていたが、まるでお祭りのように混雑して活気がある。生徒たちが屋台から声をはりあげて、寄付のぬいぐるみや、CD、本、小物などを売っている。せんせええええ、の声に振り向いてみれば、日本語クラスの生徒たちが、中華料理やインドネシア料理のお弁当を売っている。
中庭のステージでは、生徒たちのオーケストラや外からのボランティア・ミュージシャンたちの演奏が始まっている。
天気がいいこともあって、親子連れも子供たちもとても楽しそうだ。
オソロシイことに、もちろんお菓子やケーキの屋台もあった。うちの学校は国際色豊かなので、なんだか珍しいものもあって思わずたくさん買い込んでしまう。まずい。これは、まずい。わたしのダイエットはどうなるのだ。あまり長居をすると本当にもっと買ってしまいそうだったので、一目散に逃げようとしたら、「ちょっとーっっ」と声をかけられた。副校長だ。
「がびっ、わたしの屋台を素通りする気ぃっ」
引き戻されて、屋台の前に立ったのが運のツキ。彼女はギリシャ系オーストラリア人だ。覗いてみると、ギリシャなんとか、と銘打った不思議なお菓子がたくさん並んでいる。
「わたしのターキッシュ・デライトは最高よ」
そう言えば、トルコとギリシャはお隣同士だったな、と思って、ひとつ四十円ほどのその小さなデライトをいくつか買った。ローズ・ウォーターを使っているので薄いピンク色をしている、ゼリーのようなお菓子だ。市販のものは食べたことがあるが、副校長の手作りはそれよりはるかに美味しい。うちに帰って四つ全部平らげてしまいそうになり、あわてて最後の一個の写真を撮った。(写真は、その最後の一個)こりゃあ、是非ともレシピを奪わねばならないね。
昼過ぎにはわたしは学校をあとにしたが、催しはまだ続いている。ただ単に寄付集めとして献金をつのるより、それを地域でチャリティー・イベント化してひとを呼び寄せるというのも、オーストラリアらしくてわたしは好きだ。生徒たちも皆誇らしくボランティアを引き受けているし、家族で何かを売っているひとたちも多い。売り上げは全てマードック・ホスピスに行くから、目的もはっきりしている。学校という場所を提供することで、それがコミュニティの媒介ともなっている。
今度こういう機会があったらもっと積極的に参加してみよう、と思った。
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あぁ 二度目は生きていてくれてるんですね^^
嬉しい がびさん ありがとうございます
この言葉 大事にさせていただきます