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Quantity over Quality−西豪州公立高校事情(のグチ)

同じ学校で2年半働いた。

常勤教師のステータスのないわたしがこんなに長く同じ場所にいられるのは、一重に学校が色々と手を尽くしてくれたおかげでもある。しかし、来年はもうダメなようだ。学校もわたしにいて欲しい、わたしも残りたい、と言っていても、常勤資格のある教師が教育省に余っている場合は、彼らに優先権が与えられるためだ。

西オーストラリアはパースを首都としているが、その面積はオーストラリア全土の三分の一以上ある。州土に散らばった辺境というしかない土地に行きたい教師は、ほとんどいない。日本の三倍はあるその土地にある学校の数は大変なものだが、パースを除いた西オーストラリア各地の教師不足は深刻だ。教育省では、何とかして充分な数の教師を確保しようと必死だが、その政策のひとつとして何年も前に打ち出されたのが、「常勤資格制度」だ。つまり、石の上にも三年ならぬ「鉱山村にも三年」我慢して、英語の読み書きもままならない現地民族アボリジナル人70%などという辺境の地で教えれば、晴れて「常勤資格のある教師」としてパースに凱旋できるというのだ。この「常勤資格」さえあれば、毎年契約に応募して常勤教師たちのオコボレに頼らずとも、どっかと腰を据えて何年でも同じ学校で教えられる。

まだ家族を持たない若い教師たちが、こうして何人も辺境の地に旅立って行く。鼻の前にぶらさがった「ニンジン」の魅力は大きい。

問題はそうして「常勤資格」を与えられて戻ってきた彼らの能力だ。わたしの知るうちにも、何人か高学年の数学や語学を教えられない教師たちがいる。高校と大学で日本語を習って教師の資格をとり、辺境ではもちろん最低限の初級日本語しか教えていない。日本語で大学に行く子供たちなど、そうした土地からは皆無に等しいからだ。
三年たって帰ってきてみると、なるほど教える態度はサマになってきたかもしれないが、肝心の日本語がサビついている。十二年生の採点ができない。中級文法がわからない。助詞の「に」と「で」の区別がつかない。漢字がほとんど書けない。

ある学校では、そうした常勤教師が二年ほどフルタイムで教えていたため、大学入学試験の日本語平均成績がいきなり悪くなった。彼女の机の上に開かれていた上級生の答案を見たら、間違いが半分以上添削されていない。彼女には間違いさえ見つけることができなかったのだ。こういう教師は、それでも解雇されない。あまりにも日本語の成績が全般的に落ちたので、彼女のほうが居心地が悪くなった。「高学年の日本語を教えたくないんですけど」と学校にお伺いを立てる。学校のほうでは「ちょっと無理だったみたいですねえ、では高学年を教えられる非常勤の教師を雇いましょう。そして、あなたフルタイムじゃなくなっちゃうけど、どうしましょ。何か他に教えられるものある?」「大学で一応、外国人のための英語教師の資格をとりましたけど」「あ、じゃあそれいきましょう。うちの学校の外国子女のための英語教室には、確か非常勤の教師がいたから、その職をとりあげましょう。週六時間だから、あなたが教えられる下級生の初級日本語と合わせればちょうどフルタイム。これでいい?」

かくして、彼女は今だにその学校でフルタイムの教師をしている。
教師の「質」は問われない。とりあえず「数」だけはそろえてみても、これでは英国公立高校の荒廃を確実に追っているのではないか。

 

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