がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

タスマニアへ:ロスの「魔女の宅急便」のパン屋

4月20日(水)
ローンセストンから一気にホバートに戻ることもできた。レンタカーを返してローンセストンから飛行機に乗ったらもっと時間の節約もできた、と思ったが後の祭り。

まあ仕方ないかと車に乗り込み、広大な景色と羊と牛と道端の野生動物の死骸を見ながら南下。
実はホバートにいたときに色々と資料を検索していたら、なんとあの宮﨑駿の名作アニメ「魔女の宅急便」にでてきたパン屋のモデルがタスマニアにあるとわかった。日本のアニメがなんでタスマニアの、それもかなり鄙びた町のパン屋を使ったのか。どこにもそうした理由が書かれていないが、とにかく歴史的な町らしいので途中下車にしようということになった。

ローンセストンから約80キロ、着いてみたら本当に小さな小さな町。1812年につくられた受刑者の働く工場と軍隊駐屯地の町とも言える。町の中の歴史的建造物はそのほとんどが砂岩で作られていて、独特の雰囲気だ。人口は…280人に満たない。店と言ったらふたつのパン屋とガソリンスタンドと土産物店とパブぐらいだ。レストランはない。普段の買い物にはお隣のもっと大きい町(と言っても人口770人の)キャンベルタウンに行くらしい。

それでも、歴史的邸宅は休暇用の家具付き民宿に改造されているところもあるし、観光客も訪れる。ただし、全部を見て回るだけなら午後の数時間で十分だ。実際、大きな観光バス2台でやって来た中国人の団体は、町の至る所でささっと写真を撮り、沢山のお土産を買い、1時間ほどでまたバスに乗り込んで砂ぼこりだけを残して去って行ってしまった。1980−90年代の日本人海外団体旅行を見る思いだ。違うのはあのころのフィルムカメラが今ではiPhoneに取って代わられたこと。

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ここがキキの働いていたパン屋のモデル、Ross Bakery。左側の建物はベッド&ブレックファストになっていて、入り口の角の小さな部屋は土産物店だ。Bed&Breakfastというのは、日本でいう民宿のようなもので3部屋以下の民間宿泊施設だ。ベッドと朝食がセットになっている英国式の宿泊方式で、俗にB&Bと呼ばれる。

パン屋は1860年ごろから操業。今でも当時の薪をくべるオーブンでパンを焼き、今でも希少価値のある伝統的な手法を守っている。店は狭く、5人ほどの客がいるだけでいっぱいだ。左側の奥にパン焼き窯が見える。

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店にはその「魔女の宅急便」のモデルにされたことを報じる新聞がウィンドウに飾られているが、それ以外には何ひとつ広告さえない素朴な店だ。
…とは言え、ここ1週間の旅で日本人旅行者を見たのはこの小さな町が初めてだ。わたしたちが店に入ったときに、すでにお菓子を食べ終わっていた日本人女性の2人連れと外のテラスで隣のテーブルに座っていた日本人家族。すごいなあ、有名なんだなあ、とその時初めて思った。と同時に日本人はこういう小さな情報を集めるのが本当に上手だと気づいた。わたしがこのパン屋について知ったのは、日本語の検索ではなく英語のタスマニア情報だったからだ。

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いずれにせよ、このパン屋のすぐ真上の屋根裏部屋(つまり、キキが住み込んでいた部屋)も今はベッド&ブレックファストの一室として借りることができる。Ross Bakery Inn のホームページを見ると部屋の様子が大体わかるが、わたしはここで1泊したくてホバートから連絡していた。ちょうどホバートに戻る中間地点なので便利だというのも理由だ。だが、残念ながら3週間以上先までどの部屋も満室だった。

遅いランチはここのテラスで、名物の帆立貝のパイを。カレーソースも帆立貝もたっぷり入っていて、サラダと一緒に食べるとお腹がいっぱいになってしまった。

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しかし、帆立貝の「エンガワ」を食べるのは日本人ぐらいなのだろうか。東南アジアの料理でもオーストラリアの料理でも、たとえどこで名物となっていても、食べる帆立貝にエンガワはついていない。取って捨てちゃうんだろうなあ。エンガワを酒のツマミに一杯、などと考える日本人のわたしは、もったいないなあと思ってしまうんだけど。

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ランチを食べ終わって、通りを散策してみる。19世紀当時の歴史的建物がほとんどで州の指定保存建築にされているものが多い。コテージとして休暇用に借りられるものもあるが、全て3日以上のレンタルとなっている。ここで3日以上何をするのだろう…と都会っ子のわたしなどは思ってしまうが、自然を満喫して散歩、乗馬などをするひとたちも多いのだろう。

ここは古い郵便局だった建物。今では土産店として近所のひとたちの手工芸品などを売っている。

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こちらは町に1軒だけあるガソリンスタンド兼雑貨屋。ガソリンの機械自体もものすごく古くてビックリしたが、「BP(英国石油)カード承っております」という張り紙でいきなり19世紀から現代に引き戻されてしまった。

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広い(が、ひとがほとんどいない)大通りをまっすぐ行くと、左に英国教会付属の日曜学校の史跡がある。昔は学校として機能していたらしいが、現在では史跡として保存されているだけで、子供は隣町まで通っているという。

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そして、この先の橋を渡ってホバートへ。
橋はその昔服役中の囚人たちが作った砂岩の橋だ。あまりにも古いので、20トン以上のトラックは渡れません、と記してある。

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橋を渡ったらホバートまで寄り道なしで120キロほど南下。
5時過ぎににホバート近くのローダーデールに到着。ホバートより数キロ離れているが、空港には10分で着ける距離だ。車の長旅で疲れるのがわかっていたので、ホバートの街中ではなくここで寝るだけのモーテルを予約していおいたのだった。

 

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