がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

豚モモ肉のたれ焼きと久しぶりの白飯を仏壇に

忙しいときには、答案の束の採点をしなければならないのに放課後ミーティングがあったりして、ジムにも行けず疲れきって帰宅、ということがしばしばある。
そのため、1度つくったたれを使い回すことも多い。ただでさえ速いだけが取り柄の晩ゴハン作りがいっそう加速化することになる。

今日は何だか色々とあって夕方からずっとコンピューターに向かっていた。気づいたらすでに6時半。おっと、昼ゴハンも食べていない。道理でお腹がぐうと鳴ったわけだ。それは猫たちも同じとみえて、立ち上がったらすぐにのそのそとついてきた。「お腹すいたよ、おかあしゃま」

先にその腹っぺらしたちに餌をやり、冷蔵庫を開けると3日前に買った豚肉がある。いけないなあ、生肉を3日も冷蔵庫においておくなんて。それを取り出し、例の「たれ」、つまり数週間前に煮豚を作ったときの煮汁を解凍して漬けておく。こういうものは小分けにして「冷凍庫で保存」が、がびんちでは基本だ。このほうが長持ちするし、レンジで解凍するだけですぐに使える。
漬けている間に久しぶりにオーストラリア産コシヒカリを炊いた。

仏壇というにはあまりに小さいものがリビングにあって、母にならってゴハンを炊いたときだけは仏壇に供える。父の写真もそこだ。
「お父さんのために1本、伯父ちゃんのために1本、お母さんの代わりに1本とワタシの1本」と4本もお線香をフンパツしたら、煙くて猫たちが逃げていった。ごほごほ。
実家はずっと日蓮宗の近くの寺の檀家だが、わたしはあまり信仰心があるとは言えない。それでも、ごく幼かったときには祖母に連れられて寺に行き、手を合わせたことは覚えている。先祖供養は大事なこと、というのは信仰心があろうとなかろうとその家に生まれたものの義務だ、と自分の骨に染みこんでいるような気がする。

だから、ゴハンを炊かなくても、父を思い出すときには線香をあげる。ついでにと言ってはいけないが、父の次に大好きだった伯父にも1本。父と伯父は、同じ胃がんで伯父が先に、そして父が2週間後に死んだ。「そんなとこまで仲がいいのねえ」と母とその姉である伯母は泣いた。父と伯父は、よい飲み仲間だった。

伯母は、伯父の死以来徐々にボケてしまって今はホームで暮らしている。おお、忘れてはいけない、と伯母の代わりにもう1本。ごほごほ。

さて、肉をじゅうと焼こうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です