わたしひとりになってしまったオフィスで残った仕事を片付けていたとき、いきなり調子っぱずれなトランペットに象の遠吠えのようなトロンボーンが重なって、廊下ホールいっぱいに響いた。
小学部のブラスバンドコンサートが今夜だったことを忘れていた。わたしの働く外国語科のオフィスは小ホールから近いのだ。少しの間それでも仕事を続けていたのだが、段々と練習する楽器の数が増えてきて耐えられなくなり、結局退散することに。
六時過ぎてちゃあ店は当然閉まっているから、「あるもので作ってしまう」いつものパターンだ。さっそく鶏肉を解凍して、うーんと考える。鶏肉は安売りのときに丸ごと買った「放し飼いの鶏」。丸ごと冷凍してしまうこともあるが、これは、中華包丁でブツ切りにしてからバラバラにパックしておいたもので、煮るにも焼くにも、気軽に使える量だ。
今日は、オーブンに火を入れてからソースをすばやく作る。みじん切りの玉ねぎ、つぶしたニンニク、生唐辛子のみじん切りに、ケチャップをどぼんと加え、さらにディジョンの粒マスタードと白ワイン酢を混ぜ合わせる。味をみてから、砂糖少々。また味をみてから、今度は冷蔵庫にあったタイ産スイートチリソースと醤油も加える。また味をみてから、今度はウスターソースとオイスターソースなんかも少々。
これだから、ひとにレシピなんかあげられないだけどね。
ソースをしっかり鶏肉にからめてから、ベイキングシートを敷いたオーブントレイに並べ、220度のオーブンでちょいと焦げ目がついてソースがべたつくぐらいになるまで、つまりわたしのオーブンでは50分ぐらい焼く。調理にかける手間は10分ぐらいだが、あとはオーブンがやってくれるので、その間にちょいとワインを開けて、明日の授業の準備さえできてしまう。
さて、ケチャップ使用とここでは書いたが、これはアメリカ英語だからこちらで言っても通じない。オーストラリアでは、トマトソースだ。この加工された甘みの強いソースを使うことはめったにないのに、どうしてそんなものが冷蔵庫にでんと居座っているのかというと、実はオムライスと和風ハンバーグのソースを作るためなのだった。
わたしぐらいの年代は、ケチャップ味の料理で育っているひとたちが多い。スパゲッティーと言ったら、ケチャップをからめたものが洋風料理の付け合せとしてかかせなかったし、ピザだって初期のものはケチャップがベースだった。
だから、わたしがケチャップを使うのは、おかしなことに「和風料理」に限られている。若いときからヨーロッパ文化のど真ん中で暮らしてきたので、フライドポテトにだってケチャップをつける習慣はないし、料理にも全くと言っていいほど登場しない。トマト味がほしいときは、ホールトマトを使うからだ。
そんなわけで、この鶏肉料理は、オーブンを使う以外ほとんど日本の家庭料理の味になってしまっている。ご飯に合うのは当然と言えば当然。それに、このぐらいの時間をかけると、鶏肉は骨からすぐ離れるほど柔らかくなっているし、ソースは甘辛く匂って肉にからみつく。解凍したご飯一膳はまたたくまになくなってしまった。