がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

「わかっちゃいるけどヤメラレナイ職業」なのかもしれない

教師になってすでに七年目。オーストラリア生活八年目である。
ビジネスでばりばりやっていたころと比べると、忙しいことに変わりはないが、はるかに気分的に落ち着いたような気がする。

ビジネスだろうが教育だろうが、仕事がらみでひととの関係は始まる。違うのは、ビジネス界ではほとんどがオトナだったが、現在では十代の子供たちのほうがはるかに多くなったことだ。昔は、十代の子供たちなんて、たまに家族も一緒に招待されているレセプションでつまらなそうにひたすら食べている顔を見るくらいだった。

パースで働き始めたころは、正式採用でないためか中学生クラス(八年生から十年生のローティーン)だけだったが、教えるにつれ段々と上級生のクラスも受け持つことになった。2006年末に卒業した子供たちは、わたしが公立高校で最後に受け持った上級生クラスだ。学校を離れたあとも、元同僚の長期休暇によってピンチヒッターとして戻り、半年間受け持った受験クラスでもある。三年に渡って、成長を見てきた子供たちだ。
そして、今も年に何回かクラス会を開く。何故かウマが合うようで、十九人いたクラスから出席しないのはたったの二−三人だ。それも理由があってのことが多い。
前回「今度うちでパーティーしましょう」と何気なく言ったら、みんな目を輝かせていた。十八人前後の若い子たちを呼ぶなんて、、、いや何だかオソロシイことになりそうだが、こういう失言は口の中に戻せない。

私立の女子高に移ってから送り出した卒業生は二回。このごろの傾向で(というより、私立お嬢様学校の傾向なんだろうが)、卒業したあとパースを離れ、「大都会」として憧れるメルボルンやシドニーで大学に行く子たちが多い。一回目の生徒を送り出したときに、パースの大学に入ったのはたった一人だ。時々「いよっ、センセイげんきかーいっ」などと言いながら(漫画の影響ですな)オフィスを訪ねてくる。

去年送り出した日本語クラスの十二年生は四人だ。とても少ないが、それでも一人には偶然中華料理屋で出くわした。わたしを見ると、回りのひとたちが「なんだ、なんだ」と振り向くほどキャンキャンと子犬のように飛びついてきた。まだまだ女学校気分が抜けないらしく、いやはや可愛いものである。。
もう一人はやっと韓国の休暇から戻り、電話をかけてきた。これからはパースの大学生だ。母親は韓国住まい、パースに父親と二人で暮らしている彼女には「センセイって、わたしのお母さんにすごーく似ている」と初めて教えたときに言われた。どこにでもある顔だからそんなこともあるだろう、と思っていたら、一度学校のファンクションで彼女の父親に会って穴があくほど見つめられた。呆然としているその顔から察するに、本当によく似ていたのだろうと思われる。そのせいかどうか、彼女には去年一杯「センセイ、センセイ」といつもまとわりつかれていた。家が偶然近いこともあり、何だかこの子との関係は少しの間続くような気がする。

2 COMMENTS

MAO

「教師」という職業に憧れたことはなかったけど、最近になってチャンスがあればやってみたいな、と思う。やはり人生折り返し点を過ぎてしまうと、これは帰り道だから、自分の経験なんかを後輩、後進へ伝えたくなるのかもしれない。
でも自分に教師の素養があるかどうかとなるとこれはかなり疑問だろうな。今、かみさんの姉の長男、つまり義理の甥っ子が中国からやって来てK大の大学院に進む準備をしているのだが、こいつを見ているとついイライラするので、厳しく当たってしまう。
中国も一人っ子世代はどうもひ弱で、年長者からあまり叱られたこともないのかもしれない。かみさんは褒めて伸ばしてやった方がいいよ、と言う。一理はあるのだが、じっくり見ていても褒めるところが見つからないので、またぼく流に指導すると、最近では怖がってしまって黙り込んでしまった。
さあてどうしたらいいんだろう。
うちには子どもがいないから、勝手がわからない。
日本語が難しくて悩んでいるのは分かっているのだが、それを克服するには先ずは下手でも使わないといけないのだけどね。
難しいもんです。

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がび

MAOさん、こんばんは。
奥様、正しいです。(笑)
管理職と教師は、実はとてもよく似ていると思います。要するにビスマルク政策ですね。「飴」と「鞭」です。ほんの少しのことでも、できたときには褒めまくります。そして、加えて「ここんとこは、こうしたほうがいいよー」というと、結構ノセられてしまうものなんです。で、でも、調子に乗って「おちゃらけすぎ」のときは、一喝です。こちらが何かを教えているときにきちんと聞いていなかったら、怖いセンセイになります、わたし。
子供だろうが、オトナだろうが、実は「ほめられる」というのは嬉しいものです。わたしでも、校長やら副校長やらに一言褒められると「もう少し、がんばっちゃおうかなー」と思ってしまいますから。やったことを自分以外の誰かに認めてもらう、ということ自体が、たぶん達成感をもたらすんでしょうね。自分のやったことが、何かに向かって少しずつ進んでいるのか、あるいはこの道でよかったのか、というのは他人の言葉で確認されて初めてほっとできるんだ、と思います。
実は、わたしも子供がいません。
学校の子供たちに「センセイはどうして子供がいないの? キライなの?」と聞かれることもあります。そういうときには、「学校でこんなにたくさんあなたたちみたいないい子供たちに、わたしのイチバン好きなものを教えられるんだから、わたしは十分幸せなの」ということにしています。
そう言ったときに、子供たちが頬に浮かべる微笑を見るのはとても楽しいものです。たとえ、時にはニックラシイばかもーんどもであっても、ね。(笑)

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