昨日もひたすら採点していたら、こりゃ間違いなくカンニングという答案を見つけてしまった。
「偶然」近くに座っていた8年生4人の答案が「偶然」全く同じ文章で、しかも間違った答えも「偶然」同じであり、おまけにスペルミスまで「偶然」同じ箇所なのだ。いや、これだけ偶然が重なってくれると、いかにわたしが甘いと言っても限度がある。
それも4人のうちひとりはほとんどいつも満点の優等生、そしてあとの3人はどの科目も落第寸前のいわゆる「出来ない子たち」だ。
全員呼んで諭したが、皆それでも頑として認めない。それでは全員追試と言い渡したら、優等生が泣き出した。見せたほうも同罪なのだが、あとの3人が「いや彼 女は追試しなくてもいいひとなんです」と事実上カンニングを認めた。「どうして彼女はしなくていいの?」と聞いたら、ぐっと詰まってしまう。わたしに言われるまで認めちゃったことに気づかないのだから困ったもんだ。ここで折れると今後のためにならないので追試は行うが、一応答案を皆に見せた優等生に気遣いを見せるあたり、かわいいなあとも思ってしまう。
それにしても文章くらい少し変えて書いたり、どこか少し自分自身のミスをいれたりするくらいの知恵が働かないものなのだろうか。文章には癖というものがあるから、そのままただコピーしたらすぐにわかってしまうのに。
もうひとりの日本語教師にその話をしたら、「そこまでアタマが回るくらいだったら、落第寸前にまで行かないって。」それもそうだ。
————————————————–
この季節は、高校教師などと一緒に住むようなひとたちにもツライらしい。
同僚のご主人は、学年末の2週間ほど果てしなく続く「ぱらりん、しゅわっち」という紙(=答案)をめくる音と、サラサラと絶え間なく動く赤ペンの音に、「ボクはノイローゼになりそうだっ。その音が聞こえ出すと気が狂いそうだっ。」と叫びだすとか。
忙しいのはわたしも同じなので、今日はベトナム食品店で野菜の生春巻きとスパイスいりさつま揚げを買う。生春巻きは野菜だけでもあっさりとして美味しい。