西オーストラリアで日本語教師になるには:「教室の現状」

「オーストラリアの生徒たちを教えるのってどうですか?」とよく訊かれる。実は、わたしは日本で教えた経験が全くないので、はるか彼方のン十年前の自分の「生徒としての経験」を苦労して思い浮かべて比較するしかない。そして、現在の日本の中学/高校が一体どんなふうなのかもよくわからない。だが、交換留学生として来ている日本人の生徒やネットなどからの情報と比較してみると、日本の教室はやはりかなり違った雰囲気だということは想像できる。

オーストラリアはほとんどの学校が中学・高校一貫教育なので、このエントリーでわたしが「学校」と呼ぶ機関はこれを指す。

わたしが初めて「西オーストラリア公立学校」に足を踏み入れたのは、教育実習のときだ。最初の日「へええ、こういうとこなんだ」とまるで物見遊山に来たように、珍しそうにキョロキョロしたものだ。教育実習は、その学校の日本語教師が実習生の指導者となる。その日本語教師に連れられて、オフィスを紹介され日本語教室に連れて行かれた。オーストラリアの学校は、普通科目ごとに教室が決められていて、生徒たちは授業ごとにその教科の教室に行く。その日本語教室は、まあポスターなどが数枚貼られていて、何となく「日本語を教えている教室だな」とわかる程度には飾られていた。
ところが、その隣の小さな部屋に制服を着た警官の姿が見える。不信に思ってその日本語教師に訊いてみたら、「ああ、あの警官は8時から3時まで常駐しているのよ。去年、ナイフで生徒が教師を傷つけるという傷害事件があったから」とさらっと言われた。正直に告白すると、わたしはこの時点で、バンコクに戻りたくなった。

それでも気を取り直し、実習生として授業を始めてみると、その騒がしさに茫然とした。授業にならない。ひとりひとりが勝手におしゃべりをする。喧嘩が始まる。いきなり立って歩き回る。こういうものか、と思い、深く息をすうと一喝した。そして、その後は皆が気味が悪くなるほどの静かな声で諌め、脅かし、授業を始めた。まあ、こういうことが数回。わたしは、実際疲れきってしまった。
そして、大学側からの審査の日。あろうことか、指導する日本語教師が「用事がある」と消えてしまった。そして、日本語教室の設備交換とかで追い出され、科学教室を与えられる。そんな。科学教室は、普通の教室と違い様々なものが置いてある。日本語教師を探しに行く暇もなく、わたしは何とか生徒たちをまとめようと必死。ひとりの男子生徒が奇声を上げて、教科書を略奪し始め、それを受け取ったもうひとりの悪ガキが大きな洗面台にそれを投げ込み、水道の蛇口をひねる。女生徒たちは一角にかたまって、お化粧をしたりおしゃべりをしたり。わたしは、あっけに取られた。そして、教室の片隅を見ると、そこにはやはりあっけにとられた大学からの指導教授の顔が。

その後「こんなひどい学校に実習生を送るなんて言語道断」とアタマから湯気を出した指導教授の決断で、わたしの審査は保留、もうひとつの学校(実習は二校で審査される)で二度審査されるということになった。大学がそれ以来二度と実習生を送らなくなった学校は、数年後また刃傷沙汰があり、荒廃校のひとつとして今も名を馳せている。

これは、まあ、あまりの特別なケースだろうけれど、それでも教室のマネージメントは重要なポイントだ。ハッキリ言って、授業での日本語指導よりはるかに重要なのだ。
そして、これが日本人教師たちの致命的な弱点でもある。教室内の騒音に愕然として、立ち尽くす。子供たちは、残酷だ。このセンセイは何をやっても大丈夫だ、とみくびられると、もうそれだけで違うイメージを与えようがない。クラスはますます騒々しさを増し、収拾がつかなくなる。言葉の問題もある。子供たちの早口が聴き取れない。ある程度英語に自信があるひとでも、子供たち30人以上とひとつの教室に閉じ込められると、どうも上手く言葉が出てこない。今までは自分を主張せずとも何とかやってこれたのに、教室ではひとりぼっちだ。そして、自分の言っていることを子供たちが理解してくれない。笑われる。そうした様々な出来事で、心身ともに疲れきってしまう。これはこうした教室マネージメントに慣れていない日本人だけではなく、若いオーストリア人教師にも言えることなのだが、真面目なひとほど深く真剣に考え込み、どんどん自分を追いつめ、結局「自分には向いていないのだ」と教えることから遠ざかってしまう。
残るひとより、やめるひとのほうが多い、と言われる世界だ。わたしと一緒に机を並べたディプロマコースの外国語教育専攻では、二十五人が教員免許を取得している。現在も教師としてパースで働いているのは、フルタイムではわたしひとり、パートタイムでは四人しか残っていない。これが今日の実情だ。

わたしのように人生でもビジネスでも世界中で荒波にもまれ、「わたしをナメるには10年早いよ、バーカ」と全身で表現しているオバさんでさえ、最初はたじろいだくらいだ。クラスにもよるが、最初のころは、放課後になるとぐったりと疲れて何もしたくなかった。それでも次の日、またもそうした悪ガキたちのクラスでテンテコマイになる。本気でやめようかと考えたこともあった。

日本の高校では、せいぜいちょっとおしゃべりをして注意され、あとは早弁と携帯メッセージとヨダレたらして本気でぐうぐう寝るぐらい、というから、大して騒音にもならない。中には荒れた学校もあるだろうが、大抵は授業の妨げになるほどの特殊なケースはあまりないらしい。そうした環境の教育現場からいきなりこちらの教室に立たされたら、面食らうどころかカルチャーショックでしばらく立ち直れないのもうなずける。こちらでは、教師は押しが強くなくては生き残れない。英語で堂々と子供たちを叱り、ぐうのネも言わせない態度と言葉が必要だ。

まず教室に入る前に、「野球帽をとれ」「教科書持って来たか確認しろ」「そのずり下がったズボンを上げろ」「うるさい、静かにしろ」と行ってから、「センセイが先っ」と言ってまずわたしが教室に入ってから、生徒たちを通す。間髪を入れず、日本語で丁寧にお辞儀をして挨拶。「センセイ、こんにちは」「みなさん、こんにちは」
すでに隣の子たちと話し出す生徒、数人。そいつらを黙らしてから、さて練習帳を出させ前回のオサライのひらがな。その間に、教室を回って、やってない子をおどしつけ、携帯を取り上げ、持って来なかった子に代わりのプリントをやり、おしゃべりを黙らせ、ガムを噛んでいる子に「すぐゴミ箱のとこに行って吐き
出せ」といい、出席をとり、今日の授業のスタートだ。文法の説明をしている間にも騒々しいヤツがいる。名前を呼び、黒板の隅に名前を書く。これが三回重なったら、昼休みにバケツとでかいピンセットを持ってゴミ拾いの罰則だ。わたしは1度やると言ったことは、必ずやる。子供たちは、言うだけで罰則を与えない教師を軽く見るからだ。説明をしている間も、問題でひとりひとり当てながら、教室を回り、話しながらも携帯を黙って取り上げ、おしゃべりしている子を目でにらみつけ、ぼうっとしている子にとんとんと指でページのどこをやっているか知らせる。

それでも薄ら笑いをして、おしゃべりをやめなかった男子生徒がいた。わたしは、「今度うるさかったらお母さんにも来てもらって放課後話をしなければね」とその前のクラスで言っておいた。そしてまた薄ら笑い。で、わたしが何をしたかと言うと、やにわに携帯電話を取り出し、教室で彼の母親に直接電話をかけた。教室、しーん。少し話してから彼に携帯を渡す。しどろもどろの彼の言葉を見逃すまいと、教室の静寂は続く。その後、彼の態度が改まったことは言うまでもない。目には目を、歯には歯を。

もうひとつのクラスの悪ガキは、わたしよりアタマひとつ大きかった。で、うるさい。すぐにまったく関係のないことを大声で、しかも教室のハシにいるやつに話しかける。ちょうど形容詞を教えているときで、「ナントカはかわいいです」に「はい」と「いいえ」で答える練習をしていた。で、ヤツに訊いてやった。「センセイはかわいいですか」ヤツはちょっと考え、めんどくさそうにとりあえず「はい」と言った。わたしは満面の笑みをうかべ「ありがとう」と言った。教室中笑い声でうまり、ヤツは何のことかわからずマッカになった。
次のクラスで、またうるさいヤツに今度は「センセイはこわいですか」と訊いてやった。ヤツは、もうその手には乗らないぞ、とにやにやしながら「いいえ」と言った。バカめ、似たような言葉だが意味は天と地ほども違う。わたしはまた満面の笑みをうかべ「やっぱりセンセイはこわくないんですね。かわいいんですね。ありがとう」とお辞儀までしてやった。クラスがまた笑いにつつまれたのは言うまでもない。
それ以来、形容詞だけはきちんといくつかわかるようになった。また、センセイに引っ掛けられちゃたまらないものね。ヤツが必修科目としての日本語を終って上級生になっても、たまにこの「センセイはかわいいですか」を訊いてやった。「いいえ」と叫び返す。それでもにやにやしている。ヤツはほかの言葉は忘れても、この「センセイはかわいいですか」だけは、いつまでも覚えていることだろう。

このブログの「センセイの放課後」というカテゴリには、少々そうした思い出も記してある。ほとんど前に働いていた公立校のものだが、わたしはそれだけその「うるさくも愛すべきバカモンたちがいる公立校」が大好きだったからだ。今でも、未練がある。現在働く私立女子校でもそれなりに教室マネージメントはあるが、それよりも雑用と書類の数が多すぎて、週七十時間なんてことも少なくない。

実際、教師という職業は好きでなければやっていられない。給料は少ないし、見返りは少ないし、ストレスは多いし、と否定的な事柄を上げ始めたらキリがない。それでもわたしが教え続けているのは、やはり子供たちが好きだから。わかったときの輝く目、試験が終って「よかったよ」と言ったときの恥ずかしそうな顔、「センセイ、ありがとう」と言うときのその感謝の重み。

わかっちゃいるけどヤメラレナイ、と思うのはこんなときだ。そして、そんな気分にさせてくれる子供たちにこちらからも心から「ありがとう」と言いたい。

「わかっちゃいるけどヤメラレナイ職業」なのかもしれない

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