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ヒルデのこと

Hilde Dixonは、わたしが二年半前今の高校で働き出したときから同僚だった女性だ。

改めていくつかのエントリを読み返してみたら、「同僚のフランス語教師」という名で、わたしがgaby’s diary@anywhereという日記を書き始めたときから何度も登場していた。

あるとき、何百人もの生徒の成績表を書く期末に、睡眠時間を削りながらやっていたら、学校にいる間もなぜか険しい表情になってしまっていた。そういうときに限って、悪ガキが授業中におしゃべりをしたり、いたずらをしたり、全く集中できないなんてことがある。

ヒルデは、そうしたわたしのため息に敏感だった。
「あなたねえ、今日はもう4回も『今日はダメだわあ』ってため息ついているのよ。帰りなさい。うちに帰ってワインでもかっくらいなさい。採点なんかの仕事を持って帰っちゃだめよ」
そう言って、放課後まだ残っていたわたしを追い立てた(自分も実は残って仕事しているのに、である)。何となく晴れやかに、答案を放り出したまま外に出た。しかし、十メートルも行かないうちにヒルデが追いかけてきた。
「もう。放り出して帰っていいのは、答案よ。うちの鍵から車の鍵までついているキーホルダーを置いて行っちゃったら、何にもならないでしょっ」
ふたりで吹きだしてしまった。そして、わたしに向かって放り投げられたキーホルダーを受け止めながら、「ありがとー、愛しているわよー」と叫んで、放課後に校庭を掃除していた掃除係のオジサンをぎょっとさせてしまった。

ヨーロッパからの移民、ベルギー人だったヒルデの乾いたユーモアは、オーストラリア人たちのものとは確かに違っていた。

40度を越す夏に、サウナのような教室でへろへろになりながら、わたしたち教師が授業をしていたときのことだ。職員室にも総務にも受付にもさわやかなエアコンというものがある。しかし、2年前そんな気の利いたものは教室にはなかった。
涼しげなワンピースを着た総務の女性が、「エアコンの効いた」職員室で暑さに文句をたれる教師たちに、にこやかにこう言い放った。
「あら、わたし夏って大好きよ。熱気が体に触れるのっていいわあ。海もきれいだし、町も生き生きとしているし。汗をかけるってのもキモチがいいわ」
ヒルデは、片方の眉毛をひょんと上げて言い返した。
「そりゃあそうよねえ。わたしだって、ビーチで本でも読めるんだったら夏だーいすき。そして、エアコンの中でキモチよく授業ができるんだったら夏だーいすき。でも、それでなくても体温の高い子供たち30人と一緒に40度の教室に押し込められていたら、もっともっとイジメてえええ、ってマゾじゃないかぎりそういうこと言えないのよ」

ワインもチョコレートも好きだったヒルデは、休み時間時々缶に隠してあったチョコレートをわたしにくれた。
「中年ぶとりの世界にようこそおおおお」
そう言って、わたしには到底真似のできないような洒落たウィンクをよこした。

ランチから帰ったわたしが、オフィスのドアを半分ほど開けたまま外の生徒と言葉を交わしていたことがある。立ち話が終わって、そのままドアを見ずに手で「それ」を押したら、何だか柔らかい。あれ、とドアを見たら、それはオフィスの中からドアをちょうど開けたばかりのヒルデの胸だった。
「やあねえ、生徒の見ている前でわたしの胸触っちゃだめよっ」
「あらま、なんかドアが柔らかいと思ったら…」
二人で涙の出るほど大笑いをした。

ランチのあとでほとんど剥げてしまった口紅を塗りなおしているとき、わたしはヒルデが後ろにいないか確かめることがよくあった。気をつけていないと、彼女が後ろからぽんと頭を押すからだった。もちろん口紅はとんでもない方向にはみ出す。細心の注意を払っているのに、何回もわたしは口紅を鼻の方向に塗ってしまった。ヒルデは「へっへっへ」と楽しそうに笑う。

ほかのオーストラリア人フランス語教師たちが知らないようなスラングを言い合って、爆笑したこともある。
「何だか変よねえ、オーストラリアで日本人のあなたとフランス語のスラングを言い合って笑うなんて」

休み時間や授業が空いたときなど、よく二人で色々な話をした。ヨーロッパのこと、家族のこと、そして彼女の好きなヨットのこと。

わたしはヒルデが大好きだった。

今度わたしのうちにも遊びに来てね、と約束していた。もう少し暖かくなってパティオで食事ができるようになってから、ね。そのころちょうど引っ越したばかりだったわたしは、そう言ってヒルデがうなずくのをとても嬉しく思った。

そして去年の十一月、ヒルデの乳癌は再発した。
長い療養にはいったヒルデに会ったのは、それからたったの二回だ。去年の十二月に学校を訪れた彼女は、もとの金髪に似たとても美しいカツラをかぶっていた。化学療法のために髪を全て失っていたのだった。

その次に会ったのは、今年の四月だった。ふくよかだったヒルデは少し痩せていた。そして、いつも周りのひとびとを楽しくさせた微笑みが消えていた。わたしはそれでも彼女にまた会えたことが嬉しくて、とても疲れて見える彼女をそっと抱きしめた。もっと話したかったのだが、授業のベルがすでに鳴っていた。わたしは名残リ惜しくその場を離れたが、授業が終わったときヒルデはすでに帰ったあとだった。

それが、彼女の顔を見た最後だった。

先月九月十日、ヒルデは自宅で家族に見守られながら亡くなった。五十二歳だった。

葬式の後、たった一度だけ電話で話したことがある彼女の夫はわたしの手を握って言った。
「電話で話したあなたを覚えているよ。ヒルデがあなたのことを話していたのも覚えているよ」
葬式の間中悲しくて涙の止まらなかったわたしだが、それを聞いてまた喉もとがつまった。

 

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    この 日記が ずっと頭から離れませんでした。
    親友と呼べる友達がいて 彼女との密度の濃い時間が沢山あって 病気になって 告知された時 手術するとき ホスピスには入らず 苦しい治療を続けていながら 助からないとわかったとき いつでも その間死は近くにありました。けれど 私は 彼女が死んでしまうという 現実味がまるで ありませんでした。それどころか もう少し先 まだ死なないって 自分自身が目をそむけていました。彼女とした沢山の約束 果たせないまま 初七日約束を果たしに 独りで海に行きました。そのときも 彼女と話していた私がいました。自分が生きていく罪悪感 幸せになる成功することへの罪悪感 ずっと 離れませんでした。
    わかっていても もっとできることは無かったの?と独り問いかける私が居ました。贖罪の日々でした。 3年後 「亡くなった人が 大事にしていたものは 亡くなった人の形見だからたいせつにしなきゃいけない あなたは亡くなった人の形見だから幸せになって良いんだよ」と言われたことで 自分に許すことを覚えました。 もう 彼女とは話せない 寂しいですね。
    どうして こんな大事な人を連れていってしまうんだろう?応えは無いですよね。いつだって 先に逝く人は良い人です。

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    ひとは「二度死ぬ」と思います。
    最初は、肉体が滅びるとき。そして、そのひとがこの世界から完全に忘れ去られてしまったとき。子孫への遺伝がどうのというのではなく、「記憶」のことです。
    だから、わたしは時々「忘れないよ」と亡くなった親しいひとたちに向かってつぶやきます。

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    色々と思い出して、涙が出てしまいました。。。
    以前、がびさんに話した事があったかな?
    結婚式直前にスキルスを発病し、他界した私の婚約者の話。。。決して忘れる事ができない思い。
    それでも、普段思い出す事が無い様に、心の奥底にある秘密の金庫に、鍵をしっかりと掛けてしまった筈の彼女への愛。。。
    彼女の記憶、果たせなかった数々の約束。そして、贖罪の日々。。。
    相手が友人であったなら、忘れないよってつぶやける。
    でも、愛した女の事は忘れないよってつぶやけなかった。忘れたくても忘れる事などできないから。
    気持ちが落ち着くまでに、長い長い時間を必要としました。今でもフラッシュバックして瞬間的に思い出してしまっている事がある。もしかしたら、私が生きている限り延々と続くのかも知れない。
    それでも、生かされている限り前を向いて人生って奴を歩き続けるしかないんでしょうね。生かされているから、新しく大好きになれる人と巡り会う事もできるんだから。
    がびさんも、その一人。
    愛しているぜ! がび姐さん :)

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    ひでさん、こんにちは。
    もちろんはっきり覚えていますよ、ひでさんの愛の話。
    わたしもこのごろでは父のことを少しずつ書くようになりましたが、最初の五年ほどは全くダメでした。
    でも、ね。
    父の葬式のとき、皆で大笑いをしてしまったこともありました。父の葬式用の写真が出来てきて、葬儀屋のオジサンが包みをほどいたときでした。その写真は元々「一番よく撮れているね」という旅行の写真の一部分だったので、背景が暗かったのですね。その背景を除いて、葬儀写真用にに白い背景に変えたため、ほとんど禿げていた父の頭の周りに丸くそして黒々と髪が乗っていました。つまり、背景に「当然あるべき」黒髪が溶け込んでしまっていると思っちゃったらしく、「このくらい髪かなあ」と、適当に描きこんだのでしょう。
    「オトウサン、こんな髪ふさふさにされちゃって。。。」今までずっと泣いていた母と妹とわたしはどっと笑いころげてしまったのでした。なんだか悲しいのと可笑しいのとでまだ涙をふきながら、わたしは白い修正液で父の髪を消し、葬儀屋さんに「こんなの見たら、葬儀に来たひとみんな笑い出しますから、修正してくださいね」と渡しました。
    父は楽しく賑やかなわたしたちの笑い声が大好きでしたから、きっと「またかい、しょうがないなあ」と苦笑いしていたことと思います。

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