がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

さらば、胆石の日々 3

胆嚢摘出手術に関しては、オーストラリアの主治医やすでに同じ手術をした友達から「ああ、内視鏡手術なら日帰りね」などと言われていたので、軽く考えていたような気がする。実際「日帰り」で胆嚢摘出手術をした同僚は、2日家で療養したあとは普通に仕事に来たそうである。が、わたしの経過を見るに、こりゃ1日でそのままウチに帰って2−3日療養で済むわけがないということがわかった。体力の違いなのだろうか…。

ひとによるのかもしれないが、まず背中をまっすぐにして立てない。歩くとき前かがみで「く」の字のまま進む。まっすぐ立つと、大きな絆創膏を貼った内視鏡の穴がかなり痛むのだった。穴は全部で4つ。一番大きいのはおへそのすぐ上だ。この部分の絆創膏はまるで「お座布団」である。あとはお腹の前面にそれよりは小さめの穴が3つ。この全部の「穴」が歩くたびにつれて「イタタタ…」となる。おまけに、尿もほんの少ししか出ない。便もダメ。結局2日目には利尿剤と座薬のお世話になった。

「トイレに行くときは必ず看護師を呼んでください」のせいで、残尿感のあるわたしは頻繁に看護師を呼ばなければならず、そのたびに点滴を電源からはずし、ガラガラと点滴スタンドを引きずってトイレに行き、ドアは半分開けたまま、用足しが終わったら「すみません、終わりました」で色と量を点検される。看護師にとってはいつものことでも、慣れていないわたしには屈辱の時間である。

そして、肺の機能がまだ低下したまま。これは手術が1時間じゃなく3時間かかったための副作用か。
歩けないわけではないのに、ちょっと動くと息が切れる。「息は十分吸い込むようにしてくださいね」と、1日に何回も点検される血圧、体温、酸素吸入状態のたびに言われる。業を煮やした担当医がこんなヘンテコな機械を持ってきた。

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息を吹き込むのではなく、息を吸ってニコニコマークが真ん中辺りに行ったらしばらく息をとめる。この繰り返しを1時間に10回は続けろ、と。ヒマだということもあるし、早く退院したいのでこれはかなり繰り返し練習した。

そして、熱とこめかみが締め付けられるような頭痛。退屈な入院生活でこれは辛かった。毎日看護師さんが持ってきてくれる読売新聞も(まあ、好き嫌いは別として)ざっと読めるだけで、すでに目の前がぼうっとしてしまう。熱は3日の間常時37から38度ほどあり、頭痛はほとんど絶え間ない。睡眠薬をもらってからはずっと楽になったけれど。やはり、夜寝られないということが影響を及ぼしていたらしい。

看護師たちは本当に優しくて、隅々まで行き届いた世話をしてくれるし、ちょっとしたことにも笑いころげるカワイイひとたちだ。お仕着せの寝間着は病院の薄い緑色だが、それがわたしのネイルと同じ色だ!と言って他の看護師を呼んできて笑う。回復室にいたときと同じだ。

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大体手術の際にネイルなんぞしているのは普通はもってのほかで、絶対オフしておかなければいけないんだよ…と妹も友達も言っていたが、いや、そんなヒマもない緊急手術だったので、これは例外。

しかし4日間の入院生活は退屈で退屈で、頭痛がひどいにも関わらずこんなに読書をしたのは久しぶりだというくらい本ばかり読んでいた。やっと「それじゃ今日は退院できますね」と朝の検診で担当医に言われたときには、もうそのまますぐにでも逃げ出したい気分。それでも最後の検査と精算のせいで午後まで待機だ。

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最後の病院食である昼ゴハンは「和風ラーメン」を注文しておいたが、来たのはコレ。なんだか麺が見えないぞと思ったら、下のほうに隠れていた。半分ぐらいはエノキダケである。ラーメンというより実だくさん細ウドンに薄いスープという具合で、こういうものを食べていたら1ヶ月でゲッソリと痩せられるなあと思った次第。

2時になっても来ないのでシビレを切らして会計に電話を入れたら、ものの10分もたたないうちに2人のスーツ姿の経理スタッフが飛んできた。つまり自分で会計に行くこともなく病室内で精算できるというわけだ。クレジットカード用のマシンももちろん持ってきている。この2人1セットというのは、安全のためにタイにおける高額の精算では一般的である。後は歩いて下まで降りて、車に乗って…退院。

数日後にまた検診のため病院を訪れたが、外来は初めてだったので迷ってしまい、看護師がひとりついて3人の医者(責任者の年寄り医者、執刀した若い外科医、頭痛のために担当になった脳外科医)まで案内してくれた。ここらへんも、タイの至れり尽くせりのサービスと言っていい。待合ロビーにはピアノの生演奏が流れ、まるでホテルである。

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パースに戻ってコトの顛末を友達や同僚に話したら、「そんな素晴らしいサービスはオーストラリアじゃ望めないわねえ」と笑われた。よかったのか悪かったのか、パースで緊急手術だったら全て無料になるところをかなり自費で埋め合わせている。こちらは財布に痛いが、とにかく新学期には1週間遅れ、胆嚢はすでに無く、食事にはまだ身体がなじんでいないので少々下痢もあり、それでも元気に暮らしている。あの激痛から開放されただけでもラッキーだな、と思う日々である。

 

2 COMMENTS

pooh

ひぇ~。
お腹に穴を4つも開けて、2~3日で社会復帰できる方のほうがすごいと思いますっ。
んでも、確かに至れり尽くせりのタイの病院で良かったのかもしれませんね。
「大丈夫だから」ってとっとと退院させられても困っちゃうし…。
とにかく、お疲れさまでした!

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がび

poohさま、ありがとうございます!
日帰りなんてとてもじゃないけどできない状況だったので、以前考えていたのとは全く違いました…。まあ、バンコクの国際病院の質がわかっただけでもよかったです。至れり尽くせりで、ホントに快適でしたから。

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