バンコクに戻ることで、日常から離れてまた「もうひとつの日常」を体験する。
つまり、「戻る」という言葉を使うこと自体、すでに「休暇」という本来の意味から離れていて、一年に一度「日本に戻る」ことも、これから先また機会あって「スイスに戻る」ことも、わたしにとっては「旅行」ではない。
過去にわたしが存在していた場所を数日間なぞることで、記憶を確かめる。家族や友達に会い、近況を交換して「じゃ、またね」と言って別れる。
わたしが会ったひとたちは、それぞれに異なった日常を持ち、普段はわたしの知らない交友関係も持っていることだろう。そして一年に一度、または何年かに一度会い、「そうか、がびっていうひともいたっけね」と思い出す。
わたしが疑似体験している日常とは、相手にとっては過去からの囁きなのかもしれない、とこのごろ思うようになった。