バンコクに帰ると必ず行くイタリア料理のレストランがある。ところが、一年ほど前に突然「居抜き」で新しいオーナーに譲られてしまった。オーナーのイタリア人は「なんだかめんどくさくなっちゃってねえ、年かな」と言っていたらしい。
居抜きだから、新しいオーナーになったと言っても内装は変わっていない。ロウソクの灯をメインにした、暖かい雰囲気もそのままだ。ただ、音楽が変わった。今までは、会話を妨げない程度にイタリアンオペラが静かに流れていたが、いきなりそれがイタリアのポップミュージックになり、音量も上がった。
メニューを見ると、少し値段も上がっている。ワインは「かなり」上がっている。変だな、と思ったのはそれだけではない。客が少ないのだ。この店は全く広告を出さないのにクチコミで客が絶えなく、毎日三回転すると言われていた。つまり、六時ごろ来るのが日本人の家族、そして七時半あたりからドイツ、イギリス、オランダあたりの家族と入れ替わり、九時を過ぎてから十時にラストオーダーとなる時間帯にイタリアやスペイン、フランスあたりのひとたちが駆けこんで、最後まで粘りに粘って十二時過ぎまでににぎやかだったのだ。ところが、わたしたちが予約をして出かけていった七時半にまだ二割ほどしかテーブルが埋まっていない。
それでも何回か行ったのだが、シェフも変わったようで料理が以前ほど美味しくない。
今年に入ってからは、新聞や観光客目当ての無料ペーパーなどに広告も載るようになり、自然と足も遠のいた。
普段着のイタリア料理なら、美味しいところも何軒か知っているが、白いテーブルクロスでサービスもよいところとなると、色々と試してはみたが、どうもコレというレストランが見つからない。
ところが偶然ネットで見つけたのが、三年ほど前から営業している小さなレストランだ。テーブルが八つしかなく、細い路地を右に左にと行ってやっと見つかる隠れ家のような一軒家だが、これは掘り出し物だった。
イタリア人のオーナーのひとりがフロア担当で、きちんと料理の説明をして、好みの料理を見つけてくれるし、それに合うワインの相談にも乗ってくれる。エノテカ(ワイン屋)イタリアーナというだけあって、イタリアワインの充実には舌を巻くほど、空調のついたワインルームを覗いてビックリした。三百本以上あって、これからも増える予定とのこと。
しかし、ホテルのレストランのように、いきなりン万円もするワインを勧めたりはしない。八千円から一万五千円あたりのワインを三本並べて説明し、「もっと予算があれば、相談にのります」という良心的な店だ。
料理はどちらかというと、創作イタリアンでかなり楽しめる。卵の殻に入った「パスタのつかないカルボナーラ」はとても豊かな味わいの前菜だったし、イタリア直輸入のハム類も食べきれないほどだ。
そして、わたしがメインとして頼んだのは、「子豚のスロウロースト」。イタリアから輸入した生後30日の子豚を半日以上ゆっくりとローストしたもので、タイ野菜のタワーと栗のクリーミィマッシュがついてくる。皮はカリカリなのに肉はフォークで切れるほど柔らかい。栗のクリームをちょっとつけてほおばると、繊細なタイムの香りがそっと鼻をくすぐるだけの淡いスパイス使いなのに臭みがまるでなく、豚肉とも思えない味わい。
これからのバンコクの愉しみがまたひとつ増えたね、とひとりほくそえむバンコク最後の晩。