がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

新しい「モノ」に喜怒哀楽

やけにスーツケースが軽いなと思ってはいたのだが、いざ実家に着いて開けてみたら化粧品が全くはいっていない。
しまった。大きな化粧品バッグに基礎化粧品から「化けるための道具」全てはいっていたのに、忘れてきてしまったのだ。バッグに入っていたポーチには、口紅やアイライナーくらいしかない。
基礎化粧品はいくつか母に借りることにしたが、それでも足りないものはかなりある。

「ちょ うど大きいのができたばかりだから、いってらっしゃい」との母の言葉に送られて、近くの大手薬局チェーンに出かけた。以前からあったのだが、いきなり4倍 ほどの大きさになり、隣のセブンイレブンよりはるかに広い。あまりの広さに、どこに何があるのか把握するのに時間がかかるくらいだ。
そして、洗顔 フォームひとつ買うにも、何十種類もあってどれがいいのかさっぱりわからない。これがバンコクやパースだと、ドラッグストアにあるものは結構限られてい て、5種類がいいところなのだ。それどころかここには、マスカラも、アイシャドウも、頬紅も、シャンプーも、コンディショナーもなんだかめまいがするほど 沢山ある。
パースでは見つけるのに苦労するアイブロウペンシルなんぞ、数えたらブランドだけで12種類もあった。多民族国家であるオーストラリアにこんなに沢山の色がないのに、基本的には黒髪黒目だけの日本のほうがはるかに色の種類が豊富というのもおもしろい。

小一時間もそこでウロウロしていたら、疲れてしまった。

ビジネス出張で2ヶ月に一度は帰国していたころと違い、このごろでは帰るたびに新しいモノが増えていてとまどうことが多い。日本を離れたのはわたしなのに、帰国するたびにまるで外国に取り残されていたような思いを味わうのはこんなときだ。
こんなに沢山のモノに囲まれていたら、わたしは毎日ショッピングをし、毎日色々なモノを試し、毎日ありとあらゆる雑誌をナナメ読みし、毎日テレビにかじりついていることだろう。いやいや、それでは24時間なんだか「暇つぶし」以外できなくなるかもしれない。
日本にいるひとたちは、こうした次から次へと現れる「新しいモノ」あるいは「新しい情報」を、どうやって自分の基本的日常を脅かさずに利用しているのだろうか、とふと考えてしまった。

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