しばらく消息を聞かなかった教師友達から、やっと電話があった。パースから 300kmほどの小さな町に日本語教師の職を見つけたのが6月、わたしが最後に電話を入れたのが9月、そのときに彼がもうそこをやめてパースに戻ったこと をルームメイトから知らされた。メイルも書いたのだが、音沙汰がない。もうシンガポールに帰ってしまったのかな、と心配していた矢先であった。
さっそく、飲茶を食べにいって話を聞くことに。
物 静かで優しく典型的な学者肌の彼は、よく言えば「すれていない」のだが、あまりにもマジメで傷つきやすく、とてもじゃないが放し飼いの動物園のような公立 高校で怒鳴りまくるタイプではない。長い時間をかけて作ったワークシートを、授業が終わったとたん彼の目の前でゴミ箱に放り込む悪ガキに、ため息をついて 悲しそうな顔をするだけなのだ。そんな彼は、アジアの歴史と政治に関してはとても詳しく、ふたつの修士課程を終えている。そのまま大学に残って研究してい たほうがどんなに彼に合っていることか、といつも思うのだが、「もうベンキョウはいやだ。働きたいんだ。」なんぞとダダをこねる。
ピアノもうまく シンガポールでは音楽教師の免許も持っているし、司書の資格もある。それを生かして、今は私立男子校の図書館でひとり静かに本の整理をしたり、音楽のスコ アを整理したりしているのだそうだ。今年末までのパートタイムだが、こういう仕事をするほうが彼には合っているのかもしれない。
「もう公立高校なんか行きたくない。だから来年私立高校教師の口がなかったら、他の仕事でも探そうと思うんだ。」
こ れで4人目である。同時に高校の語学教師となったクラスの仲間たちは、2年目を迎えて段々と教えることから遠ざかり始めている。安い給料に毎日のストレス 満載では、好きじゃなきゃやってられない。20代の高卒OLのほうがはるかにいい給料をもらっている現状では、若いひとたちが見切りをつけてしまうのも無 理はないのだ。
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わ たしと比べてはるかに食の細い彼も、この上海小籠包は好きである。豚のうまみのたっぷりつまったスープを煮こごりにし、材料と一緒に団子の中に詰めてから 蒸す。だから口に入れたとたん、溶けたスープも味わえるのだ。皮を破かないようにそっと口に入れる瞬間が、小籠包の醍醐味である。