屋台のたこ焼き、冷凍のたこ焼き

鰹節を切らしていたので、学校の帰りに夜9時まで開いている小さなショッピングセンターへ。
わたしがパースに住み始めたころはどの店もセンターもぴったり6時に閉まっていて、夜遅くまで働いたわたしはうちに食べるものがなくて途方に暮れた。10年しか住んでいなくても、確実に生活は変化している。
このショッピングセンターは週末には歩いて行く。車だと線路を渡るため大回りをして行かなければならないが、近くの駅の地下道を通って行けば、車と同じぐらいの5分で着く。ただし、沢山買い物はできない。コンパスで書いたような丸顔のお兄さんがいる魚屋も、仏頂面の中国人の八百屋も、最近出来た韓国食品店もあって、実は中にあるスーパーに行かないときのほうが多いくらいだ。
今日は、鰹節なので直接韓国食品店に向かう。
納豆も買おうかな、と冷凍食品庫をのぞいたら冷凍のたこ焼きがあった。昔はレストランで「前菜に」たこ焼きを注文しては、「すごいなあ、パースにまでたこ焼き器があるなんて」と感心していたが、今ではもうそれが冷凍モノだということを知っている。たこ焼きを昔風に、アイスピックのようなものでクルクルとひっくり返すようなことは誰もやっていないんだ、と知っている。

わたしの実家のある東京のはずれには、これまた昔風の商店街がまだ残っていて、夕方になると買い物をするひとたちでごった返す。自転車が行き交い、八百屋のお兄さんが威勢のいい声を上げる。
この商店街は、わたしが小さいころから、夕方になると買い物客で賑やかになる。たとえ、平屋だった八百屋がビルになり、魚屋が干物も扱うセルフサービスの店になっても、その雰囲気は昔から変わらない。そして、去年の冬、まさかと思った屋台を見たときには「あっ」と声が出てしまった。

わたしが小学校のときから、同じ場所でたこ焼きを売っていたおばさんの屋台だった。
おばさんは毛糸の帽子をかぶって、たこ焼きをクルクルと裏返していた。昔は、それが布巾で包まれた黒髪だったが、今では総白髪だ。綿入り半纏(はんてん)は今風のもこもこコートに変わっていた。
遅かった昼ゴハンのせいであまりお腹もすいていなかったが、どうしても買いたかった。
「おばさん、ひとつちょうだい」
昔、おばさんより背が低かったわたしが言ったのと同じ言葉だった。
「はいよ。ちょっと待っててね」
おばさんは、昔と同じように顔を上げもせずに言った。
「おばさん、わたし何十年も前からこのたこ焼きを買っていたんだよ。ものすごく小さいときから」
「ああ、ああ、そうだよねえ。わたしはここにもう50年いるからねえ、始めたときはまだ若かったんだよ。亭主に逃げられて、2人の子供を育てるには、手に職がないんでこれしかできなかったからねえ。」
「でも、おばさん冬しかたこ焼き売ってなかったよ」
「そうだよ、夏は掃除婦してたから。でも、たこ焼きのほうが実入りがいいんだよ。今でも、みんな懐かしがって買ってくれるしね。子供はみんなおっきくなって、孫ももう働いているくらいだ。でも、やっぱり冬になるとたこ焼きの屋台をひっぱっちゃうんだよ」
「おばさん、元気でね。また来年里帰りしたら、買いに来るからね。」
「あいよ、ありがとね。またね」

最後までわたしの顔も見ずに、忙しく手を動かしていたが、そのとき初めておばさんは顔を上げた。シワがたくさんあったが、いい顔だった。

ほかほかのたこ焼きを持って帰宅すると、母が「なーんだ、今日は鯛焼きじゃなくてたこ焼きかあ。あのおばさんとこ?」
「そうだよ、まだやっているんだねえ」
「あのひとんとこのたこ焼きはタコが米粒ほどの大きさのが1個だからねえ。メリケン粉ばっかりやたら多くてさ。」ひとくち食べて、また笑った。「やーっぱり、昔から全然変わってないや。まったくヘタクソなおばあちゃんだ」と、そのたこ焼き屋のおばさんよりトシ取っている母が言う。
「味も形もおんなじだね。おばさんもあまり変わってなかったよ。」
「うん、うん。懐かしいよね。屋台なんてほとんど見なくなっちゃったから。昔は沢山あったのに」
背中が丸くなってきた母と、白髪が生え際に目立ってきた娘は、そんなふうに去年一緒にたこ焼きを食べた。

今年の冬も、あのおばさんは屋台を出しているだろうか。
出ていたら、また「米粒ほどのタコしか入っていないメリケン粉だらけのたこ焼き」を買おう。そして、また母と「こーんな美味しくもなんともないものを、どうして買っちまうんだろねー」と一緒に笑おう。
あと1ヶ月で、東京だ。

 

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