実家に子犬がやって来た

実家にチワワの子犬がやってきてから、はや1週間。
やはり心配で毎日のように電話をしているが、老いた母の「新しい相棒」は小さいながら元気がいいらしい。部屋の中を全速力で駆け回り、オモチャを噛んで振り回し、ケージに戻って水を飲み、また走り回る。

「アタシはもう大奥の奥女中のようにスリ足で歩いているのよう。あまりにも小さくて速いから、踏んづけちゃいそうでさ」と、母は「楽しそうに」ため息をつく。

有名なペットショップのチェーン店はアフターケアも徹底していて、数日置きに電話までしてくるらしい。母が「もう走り回っちゃって、すごい元気なんですよ」と言うと、「まだ人間の歳では3歳から4歳ですから、あまり疲れさせないように」だとさ。「人間のおヒイさまのようだねえ、まるで」と電話で二人で笑ってしまった。

水は湯ざまし、餌は「徹底的にふやかせた」ドライフードに様々な「ふりかけ」をちらして子犬用ミルクで混ぜたもの、だそうで、以前のシーズーだって血統書つきではあったが、これほど世話はかからなかった。すごいなあ、チワワって。

思い出せば、わたしが小学生のころ飼っていた雑種犬なんて、人間サマのご飯の残りものを食べていたんだった。だからと言って、決して栄養失調だったわけではなく、家族の一員として大切にされ、元気いっぱいペット生活を謳歌していた。狂犬病の予防注射はかかさなかったし、玄関の表札の下には区の登録票である「犬」のシールも数限りなく繋がって貼ってあった。わたしたちは自他ともに認める「動物ダイスキ」な家族で、家にペットがいることは物心ついたときから当然だった。

人間の食生活が豊かになるに従って、犬の食生活も「ペット産業の一環として」商売になると見直され、晩ごはんの残りものは捨てるべきであって、ペットの餌にはならなくなった。犬たちは、犬用に開発された様々なビタミンやら缶詰やらドライフードを口にするようになり、雨が降ったと言ってはレインコートを羽織って散歩し、定期的に動物病院を訪問し、うつ病になって抗うつ剤を提供される。犬と人間の関係も「一段下のイキモノ」ではなく、対等の関係になってきたのかもしれない。いい意味にせよ、悪い意味にせよ。

母にとっては、前のペットだったシーズーを飼い始めたときからだったと思う。猫は別として、それまでの犬は全て外の犬小屋で飼われていたが、この犬は座敷で育てられたからだ。皮膚が弱くて夏になるとブツブツができ、ソファから飛び降りて股関節を脱臼した。毛が長いから2ヶ月おきには美容院に行き、「アタシより美容院に行く回数が多い」と母に言わせた。2ヶ月以上カットに行かないと、顔の毛が伸びすぎてまるで「おたふく風邪にかかったお下げの女の子」みたいになってしまうからだ。母は自分の髪の毛を染めに行くのを忘れても、ゆうちゃんの美容院通いだけは忘れなかった。
かなり手のかかる犬だったが、それでも対等で大切な相棒だっと思う。

「今度のゆうちゃんはねえ、頭がものすごくよくて、トイレもほとんどシートでできるんだよ」と母は言う。前の犬はトイレのしつけに何ヶ月もかかったからだ。
だが、待てよ。「お母さん、何でまたゆうちゃんなの? 今度の犬は女の子でしょ?」
「ゆうちゃん」は本当は「裕次郎」というイサマシイ名前で、石原裕次郎のファンである母の命名だった。
「いいのよう。今度の名前はゆうこなんだからっ。もう登録もしちゃったよ」
へええ。「ゆうちゃん」と呼びたいがためにコジつけたとしか思えないが、ま、いいか。

 

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