全額負担の日本診療で知るオーストラリアとの違い

恒例の正月一時帰国は、弟の家族と妹も一緒で家族全員集まり楽しく過ごした。
集まったと言っても数日のことでわたし以外は皆仕事に戻り、それからは母と二人きり、実家での静かな生活だ。

…と思ったら、一度大雨でぐっしょり濡れて帰った翌日どうも喉が痛い。わたしはよく扁桃腺が腫れる。そして、腫れたら必ず高熱を発する。そんなわけで戦々兢々の2日ほど過ごしたわけだが、今度は咳と痰が出始めた。手が熱い。息も熱い。頭痛もひどい。それなのに、熱はまだそれほど上がらない。36.4度。

それでも、やはり医者に行ったほうがいいかなと思い始め、近くの医院に行ったら運の悪いことに木曜日は休診日。もうひとつの医院まで続けて歩いて行ったら、そこも木曜日は休診日だ。仕方なく、そのまま家に戻ってベッドに潜り込んだ。

そして、夕方になると本格的に熱が上がり始めた。38.2度。これはマズイ。母に訊くともうひとつクリニックが駅の側にあるらしい。わたしが支度をしている間に母が電話をしたら、夜7時まで開いているのですぐ来るようにとのこと。そのときすでに6時半。熱があるので外に出たらフラフラする。何だか酔っ払いのようにゆっくりと歩いて3-4分、クリニックに着くと誰もいない。
「すみませぇぇん…」といつものわたしとは全く違う、蚊の鳴くようなカスレ声で言うと、中からアシスタントのひとが出てきた。
「保険証は?」
「ありません、一時帰国なので」
「帰ってくる予定がありましたら、それまで保険適用保留にもできますが」
「いえ、一時帰国ですから、国民保険を取得する予定は今のところありません」

内科医はとても親切なひとで、「うわあ、それは大変だ」「うわあ、ずいぶん喉が腫れていますね」とイチイチ八の字眉毛にして気の毒がってくれたが、最初から熱がどっと上がったわけではなく、その他の症状が先に出ているので風邪と認定。
そう言えば、昔ひどい扁桃腺炎にかかったときには日本語会話試験の最中に熱が上がって友達に迎えに来てもらったっけ。あのときは41度という高熱でひとりで歩けなくなったほどだ。

保険ナシの「全額自費」と書かれた請求書を恐る恐る見たら、なんと4030円。このぐらいは保険アリのオーストラリアでも普通の診療に払う金額だ。日本は医療費が安いと言われているが、本当だったんだな。これの三割負担だったら大したことはない。

処方箋をもらい隣のビルの薬局に行くと、また訊かれた。
「保険証は?」
同じように応えると、同じような質問の「でも後で帰ってくるようでしたら…」と訊かれ、また同じ答えで応じた。「保険証がない患者」というのはやはり少ないらしい。

処方箋をきちんと見ていなかったので、出てきた薬の量に驚いた。なんと五種類。抗生物質、風邪薬、痰を切る薬、咳を鎮める薬、最後のは熱冷ましだったかな。それが五日分である。今度こそとんでもない支払いになるのでは、と思ったら拍子抜けするほどの2800円。
他のひとの払っている金額は300円だの500円だのだから、そのひとたちから見たら一体どんなものすごい病気かというような額ではあるが。

日本で初めて「おくすり手帳」をもらってちょっと嬉しかったので、写真も撮ってみた。

しかし、日本の薬のなんと小さくてのみやすいこと。
オーストラリアはひとも大きいが薬のサイズも巨大だ。日本のもののように三つ四つまとめて口に放り込むなんて到底できそうもない。

日本の錠剤と比べてみたのがコチラ。
左上の赤い錠剤は毎日朝晩1錠ずつのわたしの常用薬。下の紫色の錠剤はマルチビタミン剤。どれだけ大きさが違うか一目瞭然だ。倍以上である。これを毎日のまなければならないわたしの苦労たるや…。

いずれにせよ、今回生まれて初めて日本で「保険なし、全額負担」で医者にかかってみて、さほど大きな負担ではなかったことに驚いた。これがオーストラリアだったら、保険なしでは数万円が飛んでいったところだ。これになんと歯科治療までついているのだから羨ましい。オーストラリアでは、歯科治療は保険適用外だ。だから全額負担か、改めて歯科用の保険をかけるしかない。

その代わり主治医から直接病院に指示が出た場合、例えば前回のわたしの大腸内視鏡検査の場合などは全額無料、ただし公立病院を選ぶととんでもない期間待たされることもある。わたしのときは半年ほど待たされたので。

これが一般のCTスキャンなどだと話が違う。日本だと7000円ぐらいだそうだが、こちらでの自己負担は全額約7万円のうち3万円ほど。それプラス主治医のところで結果を聞くだけで10分3000円ほど請求される。

それでも、公立病院の救急外来は24時間無料だ。この場合はもちろん症状のひどい患者に優先権があるので、待たされる時間は状況による。わたしが胆石症発作で行ったときには、最初診てもらったのは20分以内だったが、危険ではないとしてその後ベッドで3時間も待たされた。
最終的にわたしの危険度最高の胆石症発作が起こったのは、運悪くバンコクだった。つまり、このオーストラリアの「緊急外来で即手術しかも全額無料」の恩恵には与れなかったわけだ。残念。

もうひとつの違いは、日本ではかなり安易に使える無料の救急車だ。オーストラリアの救急車は消防の管轄ではなく各々の病院から発車される。つまり有料である。州によって違うけれど約9万円ぐらいか。カバーできる民間の保険もあるが、国民保険には含まれていない。だから滅多なことじゃ使わないのだ。わたしの胆石症発作のときだって、救急車なんぞ呼んでいない。友達の車で緊急外来に送ってもらっただけだ。

どちらが良いとは一概には言えないが、風邪をひいたおかげで日本とオーストラリアの医療の違いがわかって興味深い。

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「できない子」について

オーストラリアでは極少数の学校のみが入学試験を課している。
ちなみに西オーストラリアでは私立男子校が一校、公立共学校が一校だけだ。つまり、公立校も私立校もどちらも試験なしで入学できるわけだ。公立校はもちろん住所のある地域の学校に行かなければならないが、私立校は地域に関係なく入学できるので、わたしの教えている学校のように寮が併設されていて、地方や外国からの生徒たちが住んでいることが多い。

要するに公立だろうと私立だろうと、どの教室にも「できる子」と「できない子」が存在しているのである。

私立校の1クラスは中等部であれば大体20人前後だが、公立校は33人が定員だ。私立校は「各々の生徒に合った対応」が厳しく求められており、またそれを前提に教室のサイズが制限されていると言っても過言ではない。公立校では、その30人以上の子供たちを何とかまとめて授業を進行させなければならない。悪ガキも多く、補習をしようとしても逃げられてしまうことが多い。だから、教室の中の限られた時間で何とか子供たちの目と耳を授業に向けさせるだけで精一杯だった。当然のことだが、わたしが公立校の数年で学んだ教室管理の技術は、私立女子校ではそのまま使えなかった。

さて、今の私立女子校のわたしのクラスにも必然的に「できない子」がいる。
彼女たちは、実は「どうやって勉強したらいいかわからない子」だ。だから中等部の生徒たちには定期的に「勉強の仕方」の補習をする。例えば1日10分のオンライン語彙反復練習。そしてテストでは一問目にその反復の語彙を使った易しい質問を出す。

「できない子」は「勉強したらできた経験のない子」でもあるので、たまにまぐれでできてもそれが次の勉強には繋がらない。だから反復させてそれが結果に繋がることを経験させるのだ。一問目は一番簡単だが、結果へのささやかな自信に繋がる。

だから教室のワークシートはいつも2種類だ。ひとつは易しいのと中ぐらい。もうひとつはその同じ中ぐらいのと難しいチャレンジ問題。「できる子」に「早く終るとまた他のをやらされる」と思わせないためでもある。できるから沢山やらなければならない、というのは不公平だ。そして「できない子」にはもちろん易しい問題から始めさせて、中ぐらいまで行けるように手伝ってやる。それでもできなかったら、朝か放課後の補習時間もつくる。

わたしは大した教師ではないかもしれないけど、「できない子」は無視しない。いや、無視したくない。「できない子」だってできたら嬉しい。その嬉しい顔を見ると、ああ、やって良かったというささやかな「わたしの」自信にも繋がる。明日も何か工夫しようという気になる。

ところで余談ではあるが、公立校で教えた悪ガキのひとりは今わたしのFacebookの友達の中にいる。ITで才覚を表したとみえて今はソフトウェアエンジニアとして働いているが、当時の日本語教室では「できない子」として多大な迷惑と面倒な補習時間と親への電話をわたしに与えたヤツだ。それがコンタクトをしてきた。

「センセイ、僕のことを覚えていますか。悪ガキのXXです。でも、センセイのクラスは楽しかったよ」
「忘れるわけないじゃない。そう言えば、テストのときヘタクソな男性器を答案いっぱいに描いて、わたしにコピーを親に送らせたのはアンタだったねえ」
「うへえ」

その話を彼に書いたおかげで、彼とつるんで悪さばかりしていた元「できない子たち」がもう二人ほどFacebookの友達になってしまった。

だから、センセイは時々当時の話や写真を暴露してやる。Facebookの楽しみのひとつなのである。

クリスマス・イブの小さなローストチキン、Mistkratzerli

「クリスマスイブは独り身にはツライ」そうだが、それはもちろん「イブは恋人の夜」みたいなイベントにしてしまった日本だけの話。オーストラリアでは12月25日のランチとそれに続く「ダラダラ飲み」が普通だ。家族だけだったり、親戚も呼んだり、または仲のよい友達と集まったり。スイスでも同じようなものだった。つまり日本の元旦みたいなものだ。イブは夜教会のミサに行くけれど、日本だって大晦日に神社やお寺に行くのだから、やることはよく似ている。

そんな12月24日の晩。
バンコクのレストランやホテルは、このときとばかり「クリスマスディナー」のコースメニューのみとなり、七面鳥やらハムやらの伝統的なメインを供する。

わたしもバンコクに住んでいたときには、毎年ビジネス仲間を沢山呼んで6キロ前後の七面鳥を焼いた。ただし、どんなに工夫してみても七面鳥自体はどちらかというと脂身の少ない大味の肉で、まあ年中行事に組み込まれたメニューだから仕方なく作っていたが、わたしはあまり好きではなかった。

だから、もう知るひともあまりいなくなったバンコクのクリスマスはチキンで祝うことにしている。
ところが先程いつものガイジン用スーパーに行ったら、丸ごとのものはとても小さなものしかない。ガイジンたちは皆ターキーの半身や大きなハムをを購入していて、鶏肉売り場になど見向きもしない。そのせいかな、と思ったが一応「これは雄?」と訊いてみた。頷くので、じゃあMistkratzerliだな、ということで2羽丸ごと購入。

ミストクラッツェルリというのは、スイスドイツ語で650グラム以下の雄鶏のことだ。普通、雄鶏はエサを与えても雌鶏のように大きく太ることはない。だから、スイスなどでは若いうちに出荷してしまう。これがミストクラッツェルリだ。小さいけれど、身は引き締まっていてなかなか味わい深い。

まず、詰め物だ…と思ったら、材料を何も買ってこなかったことに気づいた。今からまた外に出るのもめんどくさい。冷蔵庫にあるのは炒めようと思って買っておいたブナシメジが一袋のみ。あとは家にあるもので何とかなるだろうと、いつものように適当に作り始めた。

玉ねぎはみじん切り、ニンニクは薄くスライスして、たっぷりのオリーブオイルで炒める。キャベツも冷蔵庫にあったので、これも細切れにして入れてしまう。しんなりしたらシメジのざく切りを加えて塩コショウ、新鮮なタイムをぱらぱらと揉み入れ、レモンの皮をガリガリと削る。
冷めたらパン粉をふたつかみほど、そして本当ならパインナッツだがこれもないのでヒマワリの実で代用。卵をひとつ割り入れてざっくり混ぜたら、詰め物のできあがりだ。

鶏は洗って水を切り、指で胸の身と皮の間に指をいれてそっとポケットを作る。ここに先程の詰め物をポケットに穴を開けないように詰める。残った詰め物は丸めて野菜と一緒に焼いてしまう。鶏肉にレモンの皮、ナツメグ、パプリカ、塩、コショウをたっぷりと塗りたくり、オリーブオイルをかけて、最後にレモンとタイムを穴に詰めて出来上がり。鶏自体が小さいので、180℃のオーブンで1時間とちょっと焼いた。焼きあがったら、もちろんアルミホイルで包んで10分ほど寝かせる。

小さいほうのミストクラッツェルリは、焼いているうちに焦げた皮に大きな穴が空いてしまい、中の詰め物が丸見え。これは予期していなかった。普通の丸ごとチキンの皮はもっと厚いので、焦げても皮が破けることはない。
皮と身の間に詰め物を入れるのは、もっと味がよく染みてくれるからだ。普通はぽっかり空いた穴にぎゅうぎゅうと詰めるが、わたしはこちらのほうが好き。

あとは時間差でオーブンに入れた、ローズマリー風味のジャガイモとニンジン、ズッキーニ、エシャロットなどを付け合わせにした。

実はミストクラッツェルリを焼くのは初めてなので心配だったが、意外や意外、ジューシーに仕上がった。さすがに肉の量は少ないが、骨についた弾力のある肉の味が切り身で買う鶏肉より格段に美味しい。いい加減に作った詰め物も歯ざわりがよく、パン粉ばかりの市販の詰め物など買わないほうがいいと思った。

しかし、二人だったら一羽で十分。二つ目の丸焼きはそのまま残ってしまった。これは明日の昼にコールドチキンとしてサラダとともに食べよう。そのあとは、サンドイッチの具にしてもいい。

そして、最後にブッシュ・ド・ノエル。
買い物に行ったときに無性に食べたくなり、日系のベーカリーで求めた。

日本のケーキは甘さ控えめで、あっさりとしている。オーストラリアのこれでもかというほどの砂糖の量とは比べものにならない、懐かしい味だ。もっとも、オーストラリア人たちに言わせると「なんか甘くないね」となるので、これはひとそれぞれ、国それぞれなのかもしれない。

住宅街のクリスマス・イブはしんとしていて、時々通る車とバイクの音しかしない。今ごろホテルやレストランでは大騒ぎでクリスマスソングが鳴り響いていることだろうが、食後のキルシュをちびちびとやりながら、実はこのブログの名前ともなっている「がびのテラス」で風に吹かれるのも楽しいものだ。