chineseporkchop.jpgちょいと気の重い出来事があって、頭痛も相まってとても出かける気になれず、友達の誘いを断って家でゆっくりすることにした。こういうこともたまにはあるが、そういうときは美味しいものでも食べて、酒でも飲むに限る。

今日は帰り道で寄った肉屋のポークチョップを使う。
この肉屋はスーパーのパックされた肉とは違い、ウィンドウから直接選んで包んでもらうタイプの店だ。右だの左だのとサンザ指図をして選んだのは、わたしひとりで食べる場合にちょうどいいぐらいの大きさだ。
ついでに隣の中国人の八百屋で葉っぱのピンとはった新鮮な青梗菜も買った。

日本で料理用の酒と言ったら日本酒だろうが、わたしは時々中国の紹興酒も使う。中華料理屋の蒸し物や炒め物などでたっぷりふってあるのがこれだ。入れると入れないのでは、やはりコクが違うので、中華料理風のソースを作るときには必ず少々加えることにしている。

今日は、またもや料理とも言えないスピード晩ゴハンだ。

豚肉には塩コショウと五香粉をふり、フライパンで両面に焦げ目をつけてから200度のオーブンで五分。その間に青梗菜をざっと洗って縦半分に切り、紹興酒と塩少々をふってからラップをして電子レンジで一分。ショウガとニンニクをみじん切りにして、ごま油で炒め、たっぷりと紹興酒を入れてアルコールを飛ばす。そこにオイスターソースをさっと混ぜ合わせ、焦げないようにすぐに火をとめる。これがソースだ。

青梗菜とポークチョップを皿に盛り、ソースをたっぷりとかける。

ソースを別につくることで、肉に焦げ付いたりすることもなく見た目もきれいに仕上がった。紹興酒と五香粉でかなり本格的な中華味の変わりポークチョップだが、普通のステーキに飽きたときにも簡単ですぐにできる一品。

気分転換には南オーストラリアの赤ワインをグラスで二杯ほど、いや三杯ぐらいはいけるかもしれないね、と今晩は自分を甘やかすことに決めた。

lemoncuminchicken.jpg今日こそ日が落ちないうちに帰るぞ、と固く心に誓っていた。だから急いでデスクを片づけ、今日中に書かなければならないメールを3つほど目にもとまらぬ速さで書き上げ、ラプトップをバッグに放り込み、窓とドアから誰も見えないのを見計らってばばっと洋服を脱ぎ捨て、ジム用上下に着替え、ジムシューズを履いて、オフィスを飛び出した。時刻は四時半。
ジムはうちの近くで車でたっぷり35分かかる。先月またもスピード違反の罰金を払ってからは、もうどんなにびゅんびゅん追い抜かれようときちんと制限速度を守っているからだ。
結局一汗流してうちに着いたときには六時を回っていた。夜になっても28度から下がらない西向きの部屋では、とてもがんがんと火を使う気にはなれない。

よし、鶏肉を焼くだけでできるちょいと温かいサラダだ。

まず、オリーブオイルをたっぷりボウルにいれて、つぶしたニンニクとレモンの皮一個分をがりがりと削って加える。そこにクーミンと塩コショウ。全て混ぜ合わせてから、鶏の骨ナシ皮ナシもも肉をマリネ。その間にサラダを作る。チェリートマト、キュウリ、玉ねぎのスライスに、たっぷりとミントとイタリアンパセリをさっと刻んだ。もちろんハーブは庭からむしりとってきたものだ。

すでに温まっていたグリルで、もも肉をじっくりと焼いていると、隣では湯をわかしてさっと加えたクスクスがすでに出来上がっている。これをサラダボウルに放り込んでドレッシングを作る。プレーンヨーグルトにクーミンと蜂蜜を加え、よく混ぜて塩コショウしただけのシンプルなものにした。
焼きあがったもも肉をざっと切って、サラダの上にちょんと置く。
ヨーグルトドレッシングをかけてしまうと下に何があるのかわからなくなってしまうので、取りあえず写真だけを撮って最後にたっぷりドレッシングをかけた。

さっぱりとしていてエキゾチックなサラダだが、暑くなってきたパースの夜にとてもよく似合う一品となった。
winesnack.jpg西オーストラリアの大学入学資格試験では、全ての科目の筆記試験が始まる前に音楽、ダンス、ドラマは実技、そして外国語は口語インタビュー試験がある。今日と明日はそのインタビュー試験だ。わたしは試験官のひとりなので、二日間学校から許可を得てカンヅメになる。

試験会場は某国立大学の五室。試験官は二人で、交互にインタビューを受け持つ。試験時間は、最初の90秒のスピーチを含めて12分以内。学生と直接話さないほうの試験官はその12分間ずっとメモをとらなければならない。十分の休憩を置いて五人続けてインタビューなので、なんらかの理由がない限り、たとえ相棒がオーストラリア人と言えど交互にインタビュワー役になる。でも、五人目の最初は必ず主試験官が担当するので、結果的にわたしはどのブロックでも三人のインタビューをこなす。

日本語が母国語だからといって決して楽ではない試験だ。最低でも五年は日本語を勉強している高校最上級生たちをたったの十五分間で採点するのだから、責任は重い。二人の試験官はインタビューのあと、最終結果を出す前にまず各々の結果を記す。それからお互いの採点を見せ合って協議する。二人の平均点が最終結果というわけではないからだ。なぜ、その点数にしたのか、またなぜその点数が適切と思ったかということを的確に述べなければならない。
そして、最終的にどちらも合意できる点数に達したときに、それがその学生の最終結果となるわけだ。合意に達しない場合は主席試験官がでてきて、もう一度協議になる。協議はもちろん全て英語だ。

それを二十回繰り返した今日は、終わったときに目の下にクマがくっきりと浮かんだ。

ジムにも行きたくないし、料理もしたくない。こういうときには、冷蔵庫の中のあり合わせのものを皿に並べ、題して「がびんちの取りあえずのオツマミ」となる。

行きつけのイタリア食材店で買ったソフトチーズのブリー(フランス産)とエメンタール(スイス産)は冷蔵庫にいつも切らせたことがない。そして黒いカラマータオリーブ。
サンドライ・トマト、ごく小さい酢漬けキュウリ。それからアーティチョークのマリネ(スペイン産)と自分でローストしたアーモンド。そこに香りの強い庭のローズマリとイタリアンパセリを添えた。

まだ薄暗い庭のパティオで、切らせたことがない「いつものワイン」のTaylorsのカベルネ・ソーヴィニオンを一杯。ゆきちゃんもこっそりと出てきて、薄闇のパティオで鼻をひくひくさせる。

春の香りは、まだ夜には遠いパティオをさわさわと満たしている。
sumacchicken.jpg放課後のミーティングの後、このところサボってばかりいたジムに行った。ヒト汗かいてうちに帰れば、ゆきちゃんがにやあ(訳:アタシのゴハンはどこよっ)と鳴く。時計を見たら、すでに七時半だ。

「エクササイズは朝に限る」というひとも多いが、今でさえ六時に起きているのに暗いうちから鶏のようにごそごそするのは気が進まない。体にいいのはわかっているが、こればっかりは朝のヨワイわたしには無理というもの。

七時半に帰宅して「さあアナタ、ゴハンにしますか、オフロにしますか」と聞いてくれるような妻のいないわたしは、さて何食べようか、と冷蔵庫を開ける。運よく昨日の晩から冷蔵庫で解凍し始めた鶏肉がある。またもや「フレンチにした」鶏胸肉。もも肉のように見えるが、これは手羽元をつけたままの胸肉で、見た目のよさからまたもや「フレンチにした」という形容詞をつけられている。以前、ひとを呼んで晩ご飯をつくったときの残りだ。

フライパンはふたつ使う。

まず、鶏肉用の鉄のフライパンにはオリーブオイルを熱し、その間に鶏肉に塩コショウしてからクーミン、チリ、スマックをなすりつける。鶏肉をフライパンに入れたら、今度はつけあわせだ。もう少し大きいフライパンにこれまたオリーブオイルを熱し、ささっとマッシュルームを切って入れ、塩コショウしてバルサミコ酢を鍋肌からたらし、ざっと混ぜたら庭からむしってきたイタリアンパセリを加えて火を止める。

鶏肉をひっくり返して、もうひとつのフライパンを洗い、オリーブオイルを熱して今度はニンニクのスライスをぱらぱら。ほうれん草をさっと炒めて塩コショウ。皿に盛り付けて、鶏肉を待つ。回りがカリカリしてきたらちょいとフォークを刺してみて焼けているかどうか確認し、マッシュルームとほうれん草のベッドの上に置き、レモン片を添えて出来上がり。

スマックという中近東のスパイスは、クーミンとともに使うとなぜかとてもエキゾチックな味わいで気に入っている。写真を撮ってから、忘れていたギリシア風ヨーグルトを大さじたっぷり盛って鶏肉の上にたらし、クーミンをぱらぱらと振りかけた。
七時半に帰っても八時には食べられる手抜き料理は、わたしの得意とするところ。

budqapestroll.jpg土曜日の閉店ぎりぎりのショッピングセンターでは、様々なものが値下げされている。昨日買ったのはラム肉のコトレットだけではなく、ブダペストロールと呼ばれるこのケーキ。思わず買ってしまったので、今朝友達と朝の散歩のあとで入れたての珈琲とともにきちんと腹におさめた。

軽いクラストにさっぱりとした日本人好みのあまり甘くないクリーム、そして桃の実がところどころで甘酸っぱく爽やかな味を添えている。

四年前に亡くなったわたしの公立高校での同僚ヒルデは、このケーキに目がなかった。

「ケーキ? そこらへんの安物ケーキ買っちゃダメよっ。ヘンにべちゃべちゃ甘くて色さえ華やかならいいと思っているケーキはもってのほか。わたしが買うわっ」

その学校のクリスマス前のスタッフデイは、皆学科ごとに持ち寄ったり、レストランに行ったりしてランチを愉しむのが慣わしだった。わたしはほうれん草とフェタチーズのパイを作って持っていったが、ヒルデはケーキとなると真っ先に手を挙げた。どちらかというとクリスマスケーキには素朴な形と色のそのブダペストロールは、軽くて美味しくて皆声を上げて舌鼓をうった。

ヒルデは得意げに鼻をふふんと鳴らせ、「この体を作りあげるためにどれだけ苦労したと思ってんの?」と楽しげに笑った。乳癌が再発するまでの彼女はとてもふくよかで、痩せる努力なんぞこれっぽちもしないよ、といつも美味しいものをわたしたちに勧めてくれたものだ。

ヒルデが亡くなったあとで、わたしはその公立校を去り、その時外国語科の主任だったフランス語教師は二年前に退職した。当時からとても気の合っていた日本語教師も、子供たちが皆成人して家を出たために、近い将来退職後に小さな郵便局出張所を開く決心をしている。わたしが最後に教えた卒業生たちはすでに大学生で、そろそろ卒業後の進路を考える歳になった。今もFaceBookで連絡を取り合う仲で、将来医者や理学療法士や薬剤師になるだろう彼らは写真を見るたびにオトナになっていく。そして、ヒルデの名前を冠したフランス語関連の奨学金は今でも成績のよい高校生たちの学費補助をまかなっていて、ローカル新聞でその名前を見るとわたしは彼女のことを思い出す。

月日がたち、死者は遠くなり、ひとも変わり、子供たちは成長する。

友達が帰ったあと、まだ少し残っていたケーキを切った。口に含めば、さっぱりした甘さとともにさほど遠くない過去の出来事がひとつひとつよみがえる。忘れないよ、と声に出して言ったとたん、不覚にも涙がこぼれた。

関連エントリ:ヒルデのこと(2005年10月25日)

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