タスマニアへ:ホバートからパースへ

lauderdale

4月20日(水)
ローダーデールのモーテルはかなり大きくて、しかもカジノが併設されている。いや、カジノと言ってもパースのようにブラックジャックやカード・テーブルや、1枚10万円単位のチップをやりとりする個室があるわけではなく、Pokiesと呼ばれるポーカー機がずらりと設置されているだけ。地元のひとたちが夜やってきて、パブで酒を飲み、小銭を賭けるというヤツだ。

夕食はここで摂ったが、スパゲッティーは量だけは3人分ぐらいあったが、アルデンテを10分ぐらい通り越してふにゃふにゃだったし、サラダはデザート並みに甘いドレッシングがかかっていてとても食べられたものではない。ああ、パースのレストランが恋しいと思うのはこんなときだ。または、自分で作るパスタ。

ロスのベーカリーでパンのひとつも買って来なかったのが悔やまれた。

夜にかけて雨がポツポツと降り出し気温が一気に下る。そう言えば、ここ1週間曇ったこともあったが、天候にはかなり恵まれていたことに気づいた。帰る日直前の夜に雨が降るとは…送り雨だね。

4月21日(木)
朝食は前日の夕食でよくわかっていたので、部屋で紅茶に口をつけただけでモーテルを出た。雨は激しくなっている。

空港でレンタカーを返してから、ホバート空港のカンタス空港ラウンジへ。
結構混んでいるのは、国内線しかない空港でしかも次はメルボルン行きだから。

airport1

ここの珈琲は大型の全自動で、自分の好みのものが作れる。これは、カプチーノ。すでに朝食として濃いラテを飲んでチーズを挟んだトーストサンドイッチを食べてしまっているので、ビスケットと。

airport3

わたしが乗るカンタス・リンクの飛行機。カンガルー印のカンタス航空国内線用子会社の飛行機だ。天気が急に昨日から悪化したので、暗くてシトシトと雨が降り続いている。

airport2

飛行時間は1時間と15分なので、客室乗務員たちにとってはかなり忙しい。紙の箱に入った食事を配ったり、飲み物を用意したり。例によって飛行機の食べ物がキライなわたしは紅茶だけ頼んだ。

hobart_melbourne

メルボルン空港のラウンジで1時間半ほど待たされ、そこからは4時間と5分の旅だ。

mel_perth

飛行機の中ではまたiPadが渡され、今回は日本映画の「あん」を観た。樹木希林と永瀬正敏主演で、どら焼き屋を営む過去のある男とハンセン病患者の交流を世間の偏見を織り込みながら描いている。飛行機の中で鼻をかみながら泣いてしまった映画だ。日本映画の特徴でもあるセリフの少ない淡々と進むストーリーだが、長いことお婆さんを演じてきた樹木希林の自然な演技が実にいい。
若いころから年寄りの役をやる女優には故・北林谷栄がいたが、本当に年をとっってからはものすごく味のある演技をするひとだった。樹木希林も昔はかなりエキセントリックだったが、その若さゆえの棘が抜けたいまのほうがシリアスな老人役が似合う。

いずれにしろ感動して泣いてしまったおかげで、そのあとは映画を続けて観る気が起きず、Kindleで読書をしてつい読みふけっているうちに着いてしまった。早いものだ。

パース空港ではもちろん国内線用ゲートなので、税関なしですぐに荷物が出てくるだろうと思ったら、これが大きな間違い。かなり長く待たされたうえに時間が立つに連れてどんどんと前に出てくるひとが増え、160センチのわたしにはもう前方が全く見えない。どこでどう自分のスーツケースが出るのか、ひとの間を縫って背伸びをしたりかがんだりと目を凝らしていたため、いやはや疲れてしまった。

perthairport

今回の旅はルノーのコレオスSUVを借り、タスマニア州の東海岸を行って戻って全部で1022キロ走ってきた。駆け足のタスマニアだったが、1週間以上の旅は久しぶりである。

昔はよく旅をしたものだが、どうも年を重ねると腰を上げるのがおっくうになるのかもしれない。オーストラリアは大きい。またどこかに行きたいと思うようになったのも、今回の旅のおかげらしい。それほど楽しかった。

 

タスマニアへ:ロスの「魔女の宅急便」のパン屋

ross

4月20日(水)
ローンセストンから一気にホバートに戻ることもできた。レンタカーを返してローンセストンから飛行機に乗ったらもっと時間の節約もできた、と思ったが後の祭り。

まあ仕方ないかと車に乗り込み、広大な景色と羊と牛と道端の野生動物の死骸を見ながら南下。
実はホバートにいたときに色々と資料を検索していたら、なんとあの宮﨑駿の名作アニメ「魔女の宅急便」にでてきたパン屋のモデルがタスマニアにあるとわかった。日本のアニメがなんでタスマニアの、それもかなり鄙びた町のパン屋を使ったのか。どこにもそうした理由が書かれていないが、とにかく歴史的な町らしいので途中下車にしようということになった。

ローンセストンから約80キロ、着いてみたら本当に小さな小さな町。1812年につくられた受刑者の働く工場と軍隊駐屯地の町とも言える。町の中の歴史的建造物はそのほとんどが砂岩で作られていて、独特の雰囲気だ。人口は…280人に満たない。店と言ったらふたつのパン屋とガソリンスタンドと土産物店とパブぐらいだ。レストランはない。普段の買い物にはお隣のもっと大きい町(と言っても人口770人の)キャンベルタウンに行くらしい。

それでも、歴史的邸宅は休暇用の家具付き民宿に改造されているところもあるし、観光客も訪れる。ただし、全部を見て回るだけなら午後の数時間で十分だ。実際、大きな観光バス2台でやって来た中国人の団体は、町の至る所でささっと写真を撮り、沢山のお土産を買い、1時間ほどでまたバスに乗り込んで砂ぼこりだけを残して去って行ってしまった。1980−90年代の日本人海外団体旅行を見る思いだ。違うのはあのころのフィルムカメラが今ではiPhoneに取って代わられたこと。

ross3

ここがキキの働いていたパン屋のモデル、Ross Bakery。左側の建物はベッド&ブレックファストになっていて、入り口の角の小さな部屋は土産物店だ。Bed&Breakfastというのは、日本でいう民宿のようなもので3部屋以下の民間宿泊施設だ。ベッドと朝食がセットになっている英国式の宿泊方式で、俗にB&Bと呼ばれる。

パン屋は1860年ごろから操業。今でも当時の薪をくべるオーブンでパンを焼き、今でも希少価値のある伝統的な手法を守っている。店は狭く、5人ほどの客がいるだけでいっぱいだ。左側の奥にパン焼き窯が見える。

ross4

店にはその「魔女の宅急便」のモデルにされたことを報じる新聞がウィンドウに飾られているが、それ以外には何ひとつ広告さえない素朴な店だ。
…とは言え、ここ1週間の旅で日本人旅行者を見たのはこの小さな町が初めてだ。わたしたちが店に入ったときに、すでにお菓子を食べ終わっていた日本人女性の2人連れと外のテラスで隣のテーブルに座っていた日本人家族。すごいなあ、有名なんだなあ、とその時初めて思った。と同時に日本人はこういう小さな情報を集めるのが本当に上手だと気づいた。わたしがこのパン屋について知ったのは、日本語の検索ではなく英語のタスマニア情報だったからだ。

ross5

いずれにせよ、このパン屋のすぐ真上の屋根裏部屋(つまり、キキが住み込んでいた部屋)も今はベッド&ブレックファストの一室として借りることができる。Ross Bakery Inn のホームページを見ると部屋の様子が大体わかるが、わたしはここで1泊したくてホバートから連絡していた。ちょうどホバートに戻る中間地点なので便利だというのも理由だ。だが、残念ながら3週間以上先までどの部屋も満室だった。

遅いランチはここのテラスで、名物の帆立貝のパイを。カレーソースも帆立貝もたっぷり入っていて、サラダと一緒に食べるとお腹がいっぱいになってしまった。

ross9

ross10

しかし、帆立貝の「エンガワ」を食べるのは日本人ぐらいなのだろうか。東南アジアの料理でもオーストラリアの料理でも、たとえどこで名物となっていても、食べる帆立貝にエンガワはついていない。取って捨てちゃうんだろうなあ。エンガワを酒のツマミに一杯、などと考える日本人のわたしは、もったいないなあと思ってしまうんだけど。

ross7

ランチを食べ終わって、通りを散策してみる。19世紀当時の歴史的建物がほとんどで州の指定保存建築にされているものが多い。コテージとして休暇用に借りられるものもあるが、全て3日以上のレンタルとなっている。ここで3日以上何をするのだろう…と都会っ子のわたしなどは思ってしまうが、自然を満喫して散歩、乗馬などをするひとたちも多いのだろう。

ここは古い郵便局だった建物。今では土産店として近所のひとたちの手工芸品などを売っている。

ross2

こちらは町に1軒だけあるガソリンスタンド兼雑貨屋。ガソリンの機械自体もものすごく古くてビックリしたが、「BP(英国石油)カード承っております」という張り紙でいきなり19世紀から現代に引き戻されてしまった。

ross1

広い(が、ひとがほとんどいない)大通りをまっすぐ行くと、左に英国教会付属の日曜学校の史跡がある。昔は学校として機能していたらしいが、現在では史跡として保存されているだけで、子供は隣町まで通っているという。

ross8

そして、この先の橋を渡ってホバートへ。
橋はその昔服役中の囚人たちが作った砂岩の橋だ。あまりにも古いので、20トン以上のトラックは渡れません、と記してある。

ross6

橋を渡ったらホバートまで寄り道なしで120キロほど南下。
5時過ぎににホバート近くのローダーデールに到着。ホバートより数キロ離れているが、空港には10分で着ける距離だ。車の長旅で疲れるのがわかっていたので、ホバートの街中ではなくここで寝るだけのモーテルを予約していおいたのだった。

 

タスマニアへ:ローンセストンのクイーンビクトリア博物館と美術館

qvmuseum

4月20日(水)
ローンセストンの朝、古いホテルの朝食ルームでの朝ゴハン。オーナーの犬が入り口で迎えてくれるが、決して中には入って来ないし客にも寄って行かない。よくしつけられている。

bakery1

bakery

8時ごろに降りていったが、まだ2組の客が朝食を摂っている。朝食はイギリス式、セルフサービスである。

bakery3

珈琲は夜明けにすでに作ってしまったかのように、ぬるくて不味い。こんな不味い珈琲を飲んだのは久しぶりだった。「各種フルーツ」と朝食メニューには書いてあったのに、フルーツはコンポートにした巨大なプルーン丸ごとがいくつか。たぶんこのホテルの手作りだろうなあと思わせる、素朴だけどあまり美味しくない…。残念。

だが、ごちゃごちゃと色々なものが置いてあって、見るだけで面白い。
例えば、このティーポット。暖炉だ。置き時計がつまみになっているし、ご丁寧に猫まで真ん前に陣取っている。

bakery6

こちらはミシン型ティーポット。

bakery5

トースター型のティーポット。こんなので誰がお茶を飲むんだろう…。

bakery4

珈琲はさすがに残してしまったが、あらゆる種類のガラクタ(失礼!)を眺めるのは楽しかった。

ホテルを後にしてから、クイーンビクトリア博物館へ。見どころはどちらかと言うと、わたしの趣味の範囲外。つまり恐竜の骨とか、オーストラリアの野生動物の剥製とか、馬車から蒸気機関車への歴史とか。

qvmuseum2

ちょっとおもしろかったのは「Perception Tunnel」(=知覚トンネル)。
人間の知覚というものがどれだけ外界の認識に左右されるかということがわかるトンネル。つまり、橋自体は全く動いていないのに、周囲の風景が上下に動くだけであたかも橋自体が揺れているように感じてしまうのだ。

qvmuseum3

子供たちが喜びそうなゲームが沢山あり、こちらタスマニア州もちょうど秋休みだったので館内は小学生ぐらいの子どもたちがたくさん。歩いているだけで、走ってくる子供にぶつかりそうになり、早々に退散。

車で4−5分のところにあるのはクイーンビクトリア美術館。こちらには19世紀から現代までの美術品が展示されている。博物館に比べるとこちらの美術館のほうにはあまりひとが入っていないようで、しーんとして落ち着いた雰囲気だ。

ほとんどの展示品が19世紀の写実的な肖像画で、ホバートやローンセストンに入植したかなり地位の高いひとたちとその家族の肖像だ。
その中で、ちょっと変わり種の肖像画を見つけた。

qvgallery1

肖像画が写実的で(たぶん実物よりはるかに)美しく描かれているのに、このふたつの肖像はどちらかというと戯画だ。じっと見つめていたら、美術館のスタッフが、たぶんガランとした美術館の見回りをするのに退屈していたのだろう、わたしに話しかけてきた。

「おもしろいでしょう?これはウィリアム・ブーロウ・グールドという画家の描いたもので、普通の肖像画とは違い面白おかしくしたかったのだと思います。グールドが借りていた家の家主夫妻を描いたもので、家賃を滞納していたのでその家賃代わりに描いたのだそうです。家主が大笑いして、家賃を何ヶ月分かタダにしてやったとか。」

グールドは日本では全く知られていない画家だが、この他にも静物画を沢山残している。躍動感のある精密な魚の絵や美しい季節の花々。英国リバプール生まれだが、24歳のときに窃盗の罪を犯してタスマニアに流刑となった。7年間の禁錮刑である。公文書には「武器をつきつけてコートを奪う」とある。以前にも絵の具を盗んで逮捕されたという但し書きがあった。それだけで7年はあまりにも長い流刑だろうと思うかもしれないが、ポート・アーサーの例を見ても、どうやら19世紀には至極当然の刑だったようだ。

自由の身となったあとはローンセストンから首都ホバートに移り、彼の絵が有名になるにつれてその金をほとんど酒に費やし、貧乏と窃盗の繰り返しがやってくる。1853年にベッドで自然死(というからには心臓発作か脳梗塞か)したという。52歳だった。
波乱万丈と言ってもいい無頼漢、そして芸術家としての一生だった。

入場料を取らない美術館だが、入り口でもグールドの絵の前でも説明を丁寧にしてもらったのでいくばくかの寄付をして外に出た。

さて、入り口の横にはこういう「芸術作品」が置いてある。まるで「さあ登ってみませんか」とでも言っているようだ。

DSC_0155 copy

もちろん本当に登っちゃうひとが沢山いたとみえて、横にはデカい立て札が。「危険:彫刻品には登らないでください」
つまり滑って落ちるひともいたということで危ないのである。やめようね。