ウォルフレーンの The Spaniard

パースの王立劇場の地下はキャバレーになっている。いや「キャバレー」と言っても日本語で使われる意味ではなく、席についたら横にすわってくれるホステスもいなければ、飲み物や食べ物を運んでくれるウェイターもいない。小さなテーブルと椅子が舞台を囲んでいて、食べたり飲んだりしながらショーを楽しむことができる店だ。飲み物はカウンターで購入し、自分で席まで持って行く。食べ物は乾物類(ポテトチップスやポップコーン)だけだ。

11月4日のキャバレーは、オーストラリアのミュージカル女優ジェラルディン・ターナーの独り舞台だ。

前置きが長くなったが、キャバレーの舞台は7時半に始まるので、早めの晩ゴハンを食べようということになった。
王立劇場の向かいのKing Streetでグッチやらバリーやらルイ・ヴィトンやらの大物ブランドが立ち並ぶ一角を抜け、Wolf Laneで右に曲がるとそこはすでに車の入れない路地だ。外階段の壁には「うわあ、メリー・ポピンズだ」…と思ったら、大きなバッグではなく機関銃を持っている。何だこれは。

細い路地には土曜日だからか、結婚式の新郎新婦と招待客たちがプロのカメラマンに写真を撮ってもらっている。それも3組も。つまり1組目が終わるのを2組目と3組目が待っているというわけ。
店の中からそんな幸せそうなひとたちの写真をパチリ。

さて、本題のThe Spaniard(ザ・スパニアード)だが、中はカジュアルでどちらかと言うとバーのような雰囲気。だが、メニューはスペイン料理がかなり豊富に揃っている。わたしたちが行ったのはそのあとキャバレーに行くために早めの5時半。飲んでいる客がちらほらといるだけだった。

パエリャが食べたかったが、今回は誰もそんなにお腹がすいていないので断念。軽いタパスを注文することにした。
こちらはスペインハムの盛り合わせ。どれもスライスしたばかりで美味しい。

そして、野菜のスペイン風煮込み。フランスのラタトゥイユと同じくトマト味でこってりとしている。上に乗っているのはうずらの卵の目玉焼き。

こちらは、海老のピリピリ…と、昔スイス・チューリッヒのスペイン料理店でいつも頼んでいた一品。ニンニクとチリの効いたぷりぷりの大海老を、オリーブオイルでさっと炒めてある。わたしのお気に入りタパス。

最後はタコのぶつ切りをゴートチーズの上に載せてローストしたタパス。

どれも美味しかったけれど、さすがにオリーブオイルたっぷりの料理ばかりで、あとで少々胃がもたれそうになった。

料理は季節によってメニューが変わるというので、またキャバレーを観に来たときに寄ってみようと思う。ただし、パエリャは注文してから40分かかるというので、こちらはもっとゆっくりのディナーのときに。実はバルセローナ風のイカ入り真っ黒パエリャがあるのだ。昔バルセローナで食べただけなので、これだけはぜひもう一度食べてみたい。

シェントンパークの Kiri Japanese Restaurant

パースに住み始めたときの最初のアパートは、Shenton Parkという西オーストラリア大学に近い静かな住宅街にあった。そのころまだ車を運転していなかったので(いや、免許はあったがいわゆるペーパードライバーというやつで)、大学院の真ん前までバスで5分という立地と隣にあるスーパーのせいで即決したアパートだった。寝室がふたつ、そしてリビング・ダイニング・キッチンがオープンになっていて、ものすごく古いだけに家賃はとても安かったのを覚えている。そして同じアパート内の同じ間取りが、その当時約900万円ほどで売りに出されていた。ああ、買っておけばよかったなあ。パースの物価高騰にともなって今じゃ3倍から5倍になってしまった。

わたしが引っ越したあとで、色々な店がそのアパートの周りにできて、今では予約するのも難しいイタリア料理店なども並んでいる。

そして、そのレストランがいくつも並んだ一角にひっそりとKiriがある。
入り口はふたつ。右側はカジュアルな雰囲気のテイクアウト屋さんで、そこで食べることも持ち帰ることもできる。左側の入り口をはいると、こちらは小さいながらも本格的なレストランだ。

今回は友達の紹介で皆で「シェフのおまかせコース」をお願いした。

まず出てきたのが、刺身の前菜。帆立貝の上に海老とキュウリのジュリエンヌ風、そして小さな紫蘇の葉が上にふわりと載せられている。添えられた柚子胡椒をつけて食べてみると美味しい。どこで紫蘇が手に入るんだろうねえ、とひとしきりテーブルで話題に。

次は鴨の冷製。ベビーグリーンが上に載せられていて、その下に口の中でとろけそうな柔らかい鴨に出し汁がかけられている。これにはテーブルで歓声があがった。鴨と言ったらコンフィかね、というパースでこんな繊細な鴨肉の和風だしが食べられるとは思わなかった。小鉢に注いで出し汁も最後の一滴まで美味しく飲んでしまったのは言うまでもない。

刺身盛り合わせは、新鮮で活きのいい魚ばかり。マグロの赤身、サーモン、ハマチ、タコ、そしてちょっと変わっているのが昆布に挟まれたキング・ジョージ・ホワイティング。日本語ではアメギスというキスの一種だそうだが、昆布の歯ざわりと重なってさっぱりと食べられた。

次に来たのが、天ぷら盛り合わせだ。大海老に添えられたのは何とケイルの天ぷら。お隣にはタケノコと紫蘇を白身魚で巻いたものが揚げてあった。ケイルはカリカリにローストしておつまみにすることもできるが、天ぷらにしても美味しいとは考えてもみなかった。海老はもちろんアタマとシッポもかりかりと食べられる。オーストラリア人の仲間がひとりアタマとシッポを残していたので、下げられる前に日本人の友達がさっとさらって食べてしまった。残してしまうにはもったいない。

ナスの揚げびたし。
ナスはやっぱり揚げるのが一番美味しい。油を吸ってとろりとしたところに出し汁をかけて冷たくしてある。

寿司盛り合わせは、今日楽しみにしていたコースのメインのひとつ。マグロ、スナッパー(鯛の一種)そしてウナギ。あとからイクラの軍艦巻も出てきた。 そして、ほっとするような豆腐とわかめの入った味噌汁がついている。

あとはデザートだね、と言っていたら、なんと小豆入りの抹茶ロールケーキが白薔薇に囲まれてテーブルの上へ。ロウソクが1本刺さっている。
えっ。
実は友達が店に頼んで用意してもらったわたしの誕生日(10月8日)の一月遅れのお祝いだった。うわあ…とこれには本当に感激してしまった。嬉しかった。

そして、デザートのきなこ入りのアイスクリームには、先ほどの抹茶ロールケーキが添えられていた。

パースの和食はオーストラリア料理とのフュージョンも多いが、Kiriの料理はオーストラリアの素材を活かした伝統的な和食だ。金曜日の晩は予約も難しいそうだが、早めの時間帯だったわたしたちが座ってから1時間もたたないうちに満席となった。

今回はおまかせコースだったが、次回はアラカルトで注文してみたい。学校からの帰り道でもあるので、テイクアウトでお弁当も買ってみたい。

旧「がびのテラス」より:大量生産される「涙を誘うドキュメント」

今日は11月10日。
28年前の今日、ベルリンで東と西を分断していた壁が崩壊した。

すでに16年前になるが、まだ手打ちHTMLで旧「がびのテラス」をつくっていたころ、テレビについて書いたことがある。ベルリンの壁崩壊についても言及した。

わたしがこの短いエッセイを書いたときから日本のテレビ界はあまり変わったようには見えない。が、ドイツは確実に国内外に変化をもたらしてきた。その始まりを、歴史がつくられる瞬間を、間接的とは言えスイスのテレビを通じて見たときの感想である。

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2001年1月28日

1月の半ばに一時帰国した日本は、大寒波の真っ只中、皮膚がタイ仕様になっているわたしにとって、外に出たくない季節となっていました。
とは言うものの、大寒波だろうが、熱帯夜だろうが、日本に帰ってまずすることといえばTV鑑賞、どのチャンネルもすべて日本語という世界にどっぷり漬かるのが、わたしの楽しみでもあります。

今回気がついたのですが、「視聴者の私生活公開番組」のようなものがずいぶんと増えているようです。
自分の私生活の悩み、夫婦間の問題、三角関係のもつれを公開し、芸能人がしたり顔で意見をするものから、チマタのちょっとよいホロリとする話、または「肉親捜し」のように劇的な出会いを追ったもらい泣きをしてしまう番組など、毎日ゴールデンタイムと呼ばれる時間帯にどこかでこれらのシーンに出くわします。

特に、長いことなんらかの理由で別れざるをえなかった肉親を捜すために、TVというメディアを利用するひとびとと、「演出」する番組制作者たち、そしてそれに涙する視聴者との三つ巴の需要・供給の鎖に、感心してしまいました。

もちろん、自分の隠しておきたい私生活をおおやけにしても、メディアの強大な力にすがって肉親を捜したいと思うひとの気持ちには切実なる決意があるのでしょう。「売名行為」などという言葉のはいりこむ余地もない、悲惨な人生を語るかたたちも登場します。
しかし、その「事実」の重みがはらりと落ちる一瞬の涙以上のものを視聴者にもたらさないのは、「もっともっと」と劇的な出会いを盛り上げるBGM、三文役者を使った再現フィルム、そしてその過剰で安易な演出とにあるのではないでしょうか。

わたしは涙腺がゆるいので、必ず実家では母と一緒に大泣きをしますが、いつもすぐあとには「よかったねえ、会えて」という言葉とともにさっぱりと次の番組に移ります。あまりにも陳腐な言葉と映像で埋め尽くした演出が、「事実」の重みさえ、ツクリモノ的なハッピィエンドとともに忘れ去られてしまう結果を招いているのです。
つまり、大量生産された「感動的な話」は、これまた大量生産の「刹那的感動」しかもたらさないのではないか、ということです。

ドキュメントとニュース画像では根本的に制作のありかたが違うのでしょうが、わたしはこれらの番組を見ていたときに、ひとつの忘れることのできない感動的な場面を思い出していました。
1989年11月のベルリン、ブランデンブルグ広場での壁崩壊のニュースです。当時スイスのチューリッヒにいたわたしは、TVの実況を観ていたのでした。

東西ドイツに分かれていた同じ言葉を話すひとびとが、長い時を隔ててその象徴であった壁の周りに群がり、登り、壊し、笑い、叫び、無料のふるまい酒を浴び、広場はお祭り騒ぎの様相を呈していました。
TVカメラはそのひとびとの間を縫って、そのあふれんばかりの笑顔を撮っていましたが、突如、悲鳴のような声に振り向き、ふたりの抱擁するひとをレンズにとらえたのです。
騒音に時々かき消されそうになるその会話は、20年以上引き裂かれていた老婦人とその東ベルリンの甥のものでした。涙と鼻水をぬぐいもせずかわされる再会の言葉は、その老婦人の妹の死を伝え、広場での偶然の出会いを、圧倒的な真実の衝撃を、視聴者に送っていたのです。

感動的なBGMも解説もなく、あるのはただ騒音とひとびとの群れ、カメラさえゆらゆらとひとにぶつかり、また元に戻り、しかしTVの前で涙したひとはわたしだけではなかったであろうと思います。

ニュース画像には、「偶然」という要素があるのは否定できませんし、またその反対に、ドキュメンタリーとして意図的に制作された作品が、ひとの心をしっかりととらえることもあります。
しかし、そのどちらの範疇にも属さぬ、安易な「涙の大量生産」を目的とした番組のありかたが、ただの「ひとの生活を覗き見する時間つぶし」以外のなにを訴えうるのか、と鼻をかみながらふと考えたのでした。ちん。