がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

「ちょうどよい距離」の違いに戸惑う

ひとと話すときにちょうどよい距離、というものは確かにある。

わたしの場合、それは自分の腕をまっすぐ前に伸ばしたくらいの距離。遠すぎもせず、かと言って唾が飛びそうなほど近くもない。このくらいの距離が、何だか安心して話せるような気がするのだ。これは、友達と話すときにも、ビジネス上の会話でも変わらない。
そりゃあ、唇が触れなんばかりの距離で話すことも(回数は少なくなったが)ないわけではない。が、この場合は双方の選択と合意と新密度のもとに距離が縮尺されているのであって、一般的な「ちょうどよい距離」には当てはまらない。

ところが、たまにこの「距離」を脅かすひとたちがいる。
近すぎるのだ。

「やあ、元気?」というところから、たとえばパブカウンターでの立ち話が始まる。そのときにはもうすでに彼の顔は息が感じられるほど近い(とわたしには思える)。
「うん、元気よ。ここんとこ見なかったけど、どうしてたの?」と言いながら、わたしは1ミリずつ後ずさりする。
「いやあ、実は××が○○でさあ…」ほんの少し遠ざかっていた彼の顔が、またズームアップする。わたしが後ずさったぶんだけ、彼が前進したからだ
「へえ、でも△△だったのにぃ」わたしのカカトが後ろにあった椅子にぶつかる。おっとっと、と大げさに振り向いて、その背の高いスツールをどかすフリをしながら、すばやく後ろに廻る。
「うん、だけど△△は◇◇になっちゃったんだよ」彼の手がスツールの背もたれにかかる。
「あ、そうか。で、◎◎◎はその後どうした?」スツールはまだわたしと彼の間にあるが、油断はできない。
「◎◎◎は、××と一緒だよ。君はいまどこの学校?」背もたれにかかっていた彼の手はすでにスツールのふちにあてがわれ、クルクルまわしたかと思うと、その横に立つ。再び彼の顔は近づき、寄り目になったわたしは、じりじりと後ずさり。
「わたしは□□にいるの。でも○○が大変で…」L字型になったカウンターの角に触れて、わたしの後ずさりは今や左後方へと方向を修正。
「なるほどねえ」彼もそのまま方向を右前方に修正、さきほどカウンターにおいたビールグラスを取り戻すために大きく後ろを振り返るが、即座にわたしの顔面に鼻がくっつきそうなほど接近。

こんな具合に、いつも追い詰められてしまう。
共通の知り合いにちょっともらしたこともあるが、そのひとも大きくうなずいたから、これはわたしだけの悩みではないらしい。彼が、その共通の友人(オトコ)とわたし(オンナ)の両方にヨコシマな想いをいだいているとは到底思えない。また、「彼」はもちろん「彼女」のこともあるし、東洋人や西洋人のこともある。こればかりは、文化の違いというわけでもなさそうだ。

「ちょうどよい距離」から一歩踏み込むとき、ひとは何かしらの決意をいだいているものだ。好意を持ってもう少し相手の傍に寄りたいと思うとき、そして反対に相手を威嚇しようとするとき。自分にとっての安全な距離さえ無視して相手に近づくことは、どちらの場合にも少々の緊張感をはらむ。

ところが、この感覚を持たないひとたちがいる。相手の唾がかかるほど近よっても気にならず、フツウにおしゃべりを楽しむことのできるひとたちだ。それどころか、相手がひけば、必ずと言ってよいほどまたその距離を縮める。
相手の体臭と同じで、こういうことは面と向かって「悪いんだけど…」と言うもままならない。だって、相手はわたしに近づきすぎているなんて思いもよらないんだから。反対に、ヘンに誤解しているんじゃないか、ととられるくらいがオチだ。それに、距離感以外はとても気持ちのよいひとだし、話していても面白い。
だから、そんなひとと一緒のときは、きちんと椅子に座ったほうがいい。それも彼の横ではなく、テーブルを挟んだ向こう側だな、うん。

バンコクの休暇も残り少なくなった明日金曜日、わたしはその「近づきすぎるひと」を含む何人かの知り合いとディナーの予定。

 

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