顔の見えない援助

昨日と今日実家にある古新聞を眺めていたら、「顔の見えない援助」という言葉がちらほらと目にはいった。これは多額の援助を申し出たが、「一体具体的にどんな行動をとるのかが不明」な小泉首相に対する皮肉なのだろうが、こういう言葉をメディアが使うとは意外だ。
正月早々にはスマトラ沖大地震をトップニュースからはずし、津波の被害状況そして自衛隊・民間団体の捜索・復旧活動を「具体的に伝えなかった」のは、メディアだ。少なくともドイツ・スイス・スウェーデンの各メディアは、被害状況と自国からの援助を詳細に、そして繰り返し伝えている。
なぜ、DNA専門家が送られたことをニュースにしないのか。なぜ、偶然インド洋にいた自衛隊の護衛艦が遺体収容の任についたことを、ほんの数行で済ませてしまうのか。なぜ、日本ではセンセーショナルではないニュースはないがしろにされるのか。なぜ、津波で家族を失った少年が帰国すると、カメラマンが成田で大騒ぎをし、少年の小学校の黙祷の様子と校長の話まで映されるのか。現地の様子を見に行って、具体的な援助の様子をリポートする記者はいないのか。
「見えない援助」をひとびとに見えるようにするのは、政府だけの責任なのだろうか。

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