デラシネ@Perth: 2005年6月アーカイブ
先週から続いている雨のおかげで、今週末ははヒーターをつけて家の中で過ごしている。庭の温度計を見たら、11度しかない。ひえ。ムシムシする日本の梅雨と違い、こちらで「雨の季節」と言ったら「冬」なのだ。慢性水不足の西オーストラリアでは、「やんなっちゃうよねえ」とコボしながらも「でも、これで乾期の夏にダムに十分な水が貯まるかも」とほっとするのが正直なところ。
例によって、5cmほどもある分厚い土曜日の新聞(決して読み応えがあるわけではなく、求人やら車やら不動産やらの広告がたくさん載っているだけ)をめくっていたら、ローカルニュースで、「「半世紀離れて生まれた二人の真実の愛」と題された記事に当たった。この六月十一日付 "The West Australian"紙の詳細はネット上にないが、新聞に載った写真はこちらで拝見できる。
「そりゃあ、ひとは指差して色々と陰口をたたくわよ。でもそんなことで傷ついていたら、外出もできないじゃない。だから、そういう批判を見たり聞いたりしたら、わたしたちは顔を見合わせてくすくす笑うだけなの」
妻の Sylvia Baker-Dewanさんは99歳の誕生日(ネットの写真では誤植で95歳になっている)に、13年来の伴侶 Frankさん(48歳)から赤い薔薇の花束と指輪をもらい、幸福そうに笑った。
1992年、85歳の未亡人はバスの中で34歳の青年に出会った。
最初は彼が家の中の修理などを気軽に引き受けたりしていたが、そのカジュアルな関係は回を追うごとに深まっていったと言う。毎日何時間も電話をして、語り、笑う。数週間西オーストラリアを離れていたときも、彼は彼女のことしか考えられなかった。
「あなたを失いたくないんだ。こんなに美しくて素晴らしい女性を失うなんて、とてもできない。結婚してください」
30代からすでに未亡人であったシルビアさんの3度の断りにも負けず、ついに一緒に住むことに。しかし、暖かく結婚を祝福したシルビアさんの家族と違い、田舎の老婦人と結婚したFrankさんは、断固反対する自分の家族と断絶しなければならなかった。
「僕にとって、年の違いはまったく問題ではなかったのです。じゃあ、なぜ周りのひとたちの問題になるんでしょうね。僕が半世紀あとに生まれたってことだけが、唯一の違いなのに」
こんな記事を読んだら、「もしかしてこのオバアサン、ものすげー金持ちなのでは」と考えるひともいることだろう。だが、彼女はどうも田舎の古びた家に暮らすフツウのオバアサンらしい。財力と権力を誇示して、ついでに嫁さんも半世紀ばかり若い女性たちから選ぶ世のオジイサンたちとはちと異なる。いずれにせよ、女性にとっては大変羨ましい話だが、世にもマレな話だから記事になるのであって、こういうことが実際に身の回りにひんぱんに起こるとは思えない。
だが、待てよ。
以前読んだ記事には「70代からのセックス」などというものもあったし、一週間ほど前に95歳の誕生日を迎えた友達のお母さんなどは、今だに車を自分で運転している。もっともそのくらいの高齢になると、一年に一度は健康診断書の提出が求められるが。
界隈のレクリエーション・センターからのダイレクト・メールには、シニア市民の様々な活動が記されている。ダンスやら、高齢者用のエアロビクス、水泳教室からイタリア語レッスンまで、わたしだってやってみたいようなものばかりだ。
新聞の「交際求む」欄にだって、かなり高齢者が多い。
わたしのような「まだ老いを考えるには少々早い」と思っている中年たち、言い換えれば未知の世界「老い」に漠然と危惧を抱いているひとたちが思うほど、老いることは悪くないのかもしれない。いきなり人格が変わるわけでもなし、わたしはこのわたし自身のまま、動きが多少鈍くなり、アルミホイルをくしゃくしゃにしたような皺に覆われるくらいか。
それに、わたしの「晩年のボーイフレンド」はもしかしたらまだ生まれていないのかもしれない、とほくそえむのもまた楽しい。ふっふっふ。
三連休二日目。
わたしは夜更かしが大好きなので、丸三日間朝早く起きなくてよい、または好きな時間に昼寝ができるなんて言われると、もう嬉しくて寝てなんかいられない。読みたかった本をベッドに持ち込んでマブタを開けていられなくなるまで読んだり、DVDを2本続けて観ちゃったり、今回は友達のオサソイをすべて断って、「自宅を愉しむ連休」だ。
週末の愉しみは、しかし朝に始まる。だから、まずゆきちゃんに餌をやって珈琲をたて、マグカップを持ってパジャマのまま庭にでる。野鳥のさえずりを聞くためだ。
白黒模様のマグパイや緑と赤の鮮やかな野生インコが空を舞う。右隣のうちのオバアサンが鶏に餌をやるので、「こーこっこっこ」という静かな歓喜の声もする。その鶏の餌のオコボレを待ちながら、鳩たちも庭の境目の大きな木にとまっている。
わたしと一緒に庭に出てきたゆきちゃんは、しばし草を噛んでから池の水を飲む。毎日二回餌をやるたびに新鮮な水をボウルに入れるのに、めったなことではそれを飲まない。彼女が好きなのは、池の水なのだ。池の金魚を目で追うのも好きだが、それが「餌」にもなり得るとは知らないらしい。水を飲んだ後は、もちろんテツガク的瞑想にふけるのもいつものこと。


