デラシネ@Perth: 2004年11月アーカイブ
昨日から気温が上昇してきた。36℃まで上がると身体がだるくなる。明日も同じような天気らしいが、一日中11年生スピーキング試験の試験官をしなければならない。28人分とのこと、また声が嗄れそう。
窓やドアを閉めて、ブライドも朝からおろしてある。熱気が家にはいりこまないように、だ。レンガ作りの家は、密封しておけば中の気温はそれほど上がらない。それでもやはり暑いことに変わりはないのだが。(写真は、床でノビているゆきちゃん。そりゃあその毛皮じゃ暑いよねえ)
わたしの今の家にはセントラルクーラーシステムがついているのだが、修理をしてもらわなくてはならない部分がある。
サービスを頼んだのだが、来ると言った時刻には現れず、再三夕方までは誰もいないよと伝えてあるにもかかわらず、真昼間にやってきて「修理はまだ完了できませんので、電話ください」などと腹立たしいメモを残していく。
ウンザリしながらもまた電話をすると、予約は次の土曜日までイッパイです、と来る。じゃ土曜日の朝に必ず来てくださいね、と予約したのに、金曜日の午後わたしのいないときにまたやってきて、「修理は完了できません」とメモを残す。一度ならず二度とも同じことが起きると、アンタは一体どこに脳みそがはいってるんだ、と天を仰ぎたくもなる。いいかげんなサービスセンターだ。
そんなわけで、最初に頼んでから二週間、バカモンのせいで今だにエアコンが使えない。
ところがバカモンはエアコンサービスセンターだけではなく、庭の給水設備の設置に関しても同じことが起こった。
給水設備の用具店は、庭全ての給水プランを無料で引き受け、その代わり材料一切を売る。庭の設計図を預けてから、毎日「明日できあがる」という言葉を聞いてきた。必ずできあがると約束していながら、店にでかけると「あ、まだです。明日です」と来る。結局給水プランが出来上がったのは、最初に「明日」と言われた日から5日目だった。最初っから「5日後」と指定してくれたら、イライラすることもなかったのに。
お次は、給水設備の設置を頼んだ「便利屋」だ、オーストラリアには、家の修理やら芝刈やら、簡単な日曜大工的な仕事やらを引き受けるハンディマンという職業が存在する。家の近くのこうしたハンディマンに給水設備の設置を頼んだのだが、彼は約束した日には現れない。本気で取りかかれば2日で済む仕事なのだが、週末だけで完了する仕事にもうすでに二週間かけている。明日の朝来ます、と言いながら来るのは午後1時だ。そして5時にはもう片付けて忽然と消える。こんな仕事ぶりでは、何日もかかるのは当然だ。しかし、今さら他のひとを頼むのには遅すぎる。我慢に我慢を重ねて、やっと明日が最終日の「予定」だ。この「明日」というのも、今日来ると言いながら現れないので、わたしが電話をしたのだ。なんだらかんだらと理由をつけているが、庭で遊んでいるらしく子供の声さえ聞こえる。「明日来てもらえないと、明後日に庭師がはいるのをキャンセルしなきゃならないんですけど」と脅すと、「ぜったい来ますっ」とのこと。よーし、明日の朝イチバンで、もう一度確認のオドシ電話をかけよう。
最後に登場するのは「庭師」である。彼女はシンプルであまり手間のかからない庭の設計をしてくれたのだが、何しろ彼女との唯一の通信手段である携帯電話に出ない。だから、メッセージを残しておいて彼女が電話をかけ直してくれるのを待つわけだが、こないだなんぞ四日待たされた。それも毎日メッセージを入れ続けて、である。ちょっとした確認と質問に答えが返ってくるのが3-4日後、植物の注文から庭つくりまで頼んであるのに、こんなふうではいつ全て出来上がるのか心もとない。乾期の夏にはいる前に庭を完成させたいから、急いでいるのは彼女も承知のことである。
かかわったサービスの効率の悪さに時間が無駄に流れ、最初に「猫のヒタイほどの庭」の設計を頼んだときからすでに三ヶ月近く経過している。
引っ越してからというもの、こうしてエアコンや庭のためにかなり気力を使い果たしてしまった。
これがオーストラリアだとは思いたくないが、4つの異なったサービスを頼んでそれが全てとどこおっている。仮にも個人でショーバイをし、それで生活費を稼ぎ出しているにしては、彼らの仕事振りはあまりにもいいかげんだ。
しかし、わたしがこうして電話でイチイチ確認を取り、仕事をなるたけ早くスムースに終わらせてもらうべく気をつかっているのは、学校で生徒を相手にしているのと同じことじゃないか。何度もうるさいくらい確認をとらないと、子供たちはきれいサッパリ何でも忘れてくれるからだ。
まさか金を払って同じことをやらされるとは、思ってもみなかった。やれやれ。
この二十世紀初頭の建物は、現在ではポートレートで有名な写真スタジオとして使われている。卒業式の時期になると、いきなり忙しくなるたぐいのスタジオだ。よく車で通る道沿いにあるので、どうしてもこの二階にくっついているドアが眼にはいる。
元々アパートとして作られたビルだったのだろう。左右対称になっているから、たぶん上下合わせて4つのアパート。鉄の外階段から上がり、ドアの前のベランダから鍵を開けて入ることができたと思う。交通量が激しいそこがアパートとして使われなくなっても、まだドアだけは残っているというわけだ。中に階段を作ったから、外ドアを使わなくても二階に行けるのだろう。
それにしても、鍵だけはしっかりかかっていますように。
三週間ほど前にも書いたが、わたしは今「要塞」に住んでいる。
臆病モノで眠りが浅いがためであり、決してトイレが純金で出来ているわけでも、フェラーリが車庫に鎮座しているわけでも、腕が持ち上がらないほどデカイ宝石を両手指にギラギラさせているわけでもない。
ところが今朝その最新式の警報が鳴った。それも、朝の4時半だ。
正確に言うと「警報が鳴った」のではなく「ホンモノの警報が鳴る前の警告ブザーが鳴った」のだ。ピーッピーッと電子目覚まし時計のような音だが、それが段々と間隔を狭くしていき、しばらくしてとてもじゃないが「ゆっくりと何かを盗める状態ではないほどの大音量警報」が鳴ることになっている。警告ブザーは、住人のミスでいきなり警報が鳴り出すのを防ぐためなのだ。だからこのブザーが鳴っている数秒間は、警備会社にまだ連絡は行かない。
もちろん眠りの浅いわたしは、最初のピーッピーッ2音くらいでもうがばっと飛び起きた。そして手探りでアラームをオフにしてしまったのだ。
侵入者がいたとしたら、わたしの行動はマコトにアホウと言うほかはない。警備会社に連絡が行く前にアラームを切り、その上パジャマ姿で家中電気をつけまくったのだから。
しかし、誰もいないし誰かが入った形跡もない。家の中のセンサーが感知していないとすると、ガレージだ。おそるおそる玄関口を開けて、ガレージの方角を覗いてみると……ガレージのシャッターが閉まっていない。閉めるのを忘れたのだ。早朝の日光かあるいは小動物のたぐいが、開いているガレージのセンサーに引っかかったのだろう。
臆病モノと言いながらこういうヘマをするわたしは、おかげでひどい寝不足の一日を送ることになった。
ここ何週間か、工事中の道にデカイ看板が立っている。
上の看板は「ただ今工事中だから道のレイアウトが変更されていますよ」という注意書きなのだが、問題はその下だ。
道路の真ん中に車線がないので、「安全でない場合は」追い越ししないように……って、あなた(絶句)。
「安全でない」ときにあえて追い越しするほど度胸があるひとは、そうそういない。
飲み食い友達が数人集まると、「中華料理屋に行こうよ」が多くなります。
中華料理というものは、二人より四人のほうが、そして四人より六人のほうが格段に密度が濃くなり様々な料理が楽しめるからです。
土曜日にパブで集まった仲間たちは、そんな中華料理好きの仲間たちばかりでしたが、皆顔見知りの中に「友達の友達」が参加していました。西オーストラリアの田舎で牧場を経営しているという彼は、わたしより頭ふたつほど大きく、見上げると日焼けした顔を皺くちゃにして笑うとても素朴なひとです。
牧場のある場所を教えてくれましたが、全く地域の見当がつかないわたしは、「電車でどうやっていくのですか」と変な質問をして大笑いをされてしまいました。彼の牧場は一番近いバス停のあるタウンからでも300km、遠出をするときの乗り物はヘリコプターだそうです。「田舎」という言葉で定義するにはあまりに広大な西オーストラリアでは、彼のように普段は全く外界と接触を絶って暮らしているひとたちも多いのです。
さて、七品もの中華が並ぶ円卓には、泥蟹(マッドクラブ)のチリソースも並んでいます。その爪のひとつを手にとった彼は、どうやって食べたらいいのかわからず、困ったように指先を見つめました。「こうやって爪を割るのよ」と殻割りのピンセットを使ってみせると、「ほう」といかにも感心したように食べ始めました。それからはもう口もきかずに食べることに集中しています。殻をすすり、ねっとりとしたチリソースをすくい、指をなめ、また蟹肉をせせり、見とれてしまうほど丁寧でゆっくりとした食べ方です。そして、ようやくフィンガーボールで手を洗うと、満足そうにわたしに言いました。
「今度パースに来たら、泥蟹を3ダースばかり買って帰るかな。これ、ポンプのある生簀に放しておいたら何ヶ月か大丈夫だよね」
いやはや、西オーストラリアの牧場主は、買い物でもスケールが違うようです。


