垂涎の日々: 2004年4月アーカイブ
北京の街には、乾いた砂埃とともに冬が訪れます。静電気がびりびりと光を放つほどの低い湿度は、この街に独特の香りと色を漂わせながら、薄く黄土色の幕をおろしはじめるのです。
こんなふうに寒くなると、人民服の下にたくさんの下着をつける中国人は皆ころころと丸くなります。20年前の北京では、防寒コートと呼べるものは人民兵の着る緑色の大きなもの以外見かけることがありませんでした。
そして、街の市場にはちらほらと甘栗の屋台が立つようになります。ヨーロッパでよく見かける焼き栗ではなく、日本でもおなじみの甘く焦げ臭い甘栗です。
そのころ住んでいたホテルの近くにはそんな大きな市場があり、そうした甘栗の香りが散歩していたわたしの鼻をくすぐりました。身振りでひとつ欲しいと伝えて、札を出すと屋台のおばさんは困ったような顔をしながらも、おつりを渡してくれます。その当時の外人は皆、外貨から両替した特別紙幣しか持っていなかったので、街中でもそのお金を出すことで人だかりを作ってしまうのでした。
「あなたも甘栗が好きなんですね」と後ろから声をかけられて振り向くと、なんとわたしの住むホテルのレストランのウェイトレスです。
首から上は毎日見る頬の赤い顔なのですが、その下は粗末な人民服がパンパンになるほど着こんでいるのです。普段は真っ赤な刺繍のはいったチャイナドレスを着ている、すらりとした女性ですが、そのなまめかしいスリットから見えるのは赤い毛糸のパンツというのが、その当時のちぐはぐな北京の現代化を物語っていました。
北京に着いてまだ1ヶ月とたっていなかったころのことですが、初めて見る普段着の彼女の素朴な笑顔と温かい甘栗のぬくもりを、今でもよく覚えています。
(初出:AVANCE!No.125, 18/04/2004)
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期末近くなると、必ず膨大な量の採点に時間をとられ、週末はほとんど赤ペンを握りしめる生活になります。
今回はトータル768枚の答案があり、クラス人数の多い下級生たちを受け持っているわたしは、またしても学校内でイチバン多い答案保持教師の座を勝ち取りました。
そんなわけで、週末に優雅な料理なんぞしている暇もあらばこそ、気がついたらランチまで忘れていました。ヘンテコな時間ですが、そのまま答案をかついで近くのベトナム料理屋に。
そんな時間にもかかわらず、安くて美味しいと評判の食堂は半分ほどテーブルが埋まっています。わたしは答案を広げるのにちょうどよい4人席にでんと座り、いつものように辛味噌入りの汁ビーフンを注文してから、がりがりと赤ペンを走らせていました。
ドアの近くの席だったので、はいってくる客からわたしのしていることは丸見えです。まあ知っている顔もいないだろうとタカをくくっていたら、ちょうどはいってきた大勢のひとたちの中に見覚えのある8年生の子供の顔が。そしてその後ろから見えるのは、彼女の姉である9年生の女の子。隣には11年生の女の子。ぞろぞろと入ってきたのは、インドネシア系家族総勢9人だったのです。6人兄弟に父母、そしてどうやら祖母らしきひともいます。
わたしはと言えば、ジーンズにくたびれたTシャツ、もちろんすっぴんにド近眼めがねというイデタチです。いやいや、誰にも会いたくないときに限って、こうしたことは起こるものなのです。
「センセー、赤い汁を答案に飛ばさないでねー」とわざわざ笑いながら言いに来た9年生の後姿を見ながら、わたしはそうっと麺をすすり始めました。


