センセイの放課後: 2004年3月アーカイブ
雅楽多blogで見つけた日能研「シカクいアタマをマルくする」。
オーストラリアでは、もうずいぶん長いこと学校で一般的に使われている Open End Task と呼ばれる「答えがひとつではない」問題のことである。
人生には「1足す1が2」にならないことが沢山ある。そして、そうした問題が自分で考える頭を生み出すのだ。日本の教育が一番ヘタクソなのが、このひとりひとりの能力を伸ばすことだったが、今さらながら西洋の教育トレンドが浸透してきたようである。
やっかいなのは教師の仕事が増えることだ。
こうした問題の常で、採点が難しいし、時間がかかる。
子供たちに接していると、どの子が「いじめっ子」なのかわかる。周りの子供たちの彼に対する反応が、微妙に臆しているからだ。
日本の話だけではなく、実際にオーストラリアでも「いじめ」はある。それが証拠に、スタッフルームのポスターには、そうした子供たちの電話相談や面談の記事が載り、「いじめ」についての公開講座も行われている。特定の子供が「いじめ」にあっているようなので、教室内で気をつけること、などと秘密扱いの名指しでメモが回ってくることもある。
今日も、そんないじめに遭っている15歳の少年が自殺未遂をした。
わたしの同僚教師の甥である。
彼女の携帯に電話がかかり、その知らせが来た。どうやら命はとりとめたようだが、原因はその少年がゲイだったことにある。大人の社会でもまだ偏見を持っているひとたちがいるが、子供の世界はもっと残酷だ。毎日のようにいじめられ疎外されていたらしい。
彼の自殺はこれで2度目だと言う。こういう話はやりきれない。
わたしのクラスにもひとり、とても優しげな瞳に女性らしい仕草の少年がいる。彼は決して男の子たちと交わらない。一緒にいるのはいつも少女たちだ。9年生の少年たちは皆思春期の始まりで、大人になりつつある体と心の不一致から、扱いにくくなる時期にある。かなり荒れたクラスが多くなるのもこの9年生たちだ。
そんなクラスに置かれるのが嫌で、彼は去年8年生のときに猛烈に勉強した。「センセイ、日本語がもっと出来るようになれば、9年生になったときに選抜クラスのほうに行けるんでしょう?」と必死の瞳でわたしに聞いて以来、一生懸命がんばり、テストのたびに「ボクの成績は選抜クラスに十分ですか?」と確認してきた。
9年生選抜クラスは成績優秀な生徒の集まりで、平均的に少女たちのほうが語学能力が優れているため、少年は3分の1にも満たない。反対に普通のクラスは、はるかに少年が多いのだ。
年度末のクラス調整の際、彼の成績は優秀ではあるが選抜クラスに行くには少々足りなかった。しかし彼の日常の友人関係を見れば、少女が数人しかいないクラスで「いじめ」の起きる可能性が大きいのは明らかである。
そうした理由をもとに、わたしが強く押したこともあり、彼は今年から9年生選抜クラスに行くことになった。
今年はそんなわけで、彼はとても嬉しそうだ。廊下で会ったときに「センセーーー、ボク今年はまたセンセイのクラスです。それも選抜クラスです。」と頬を染めて話しかけてきた。
この優しい少年が、今後残酷ないじめに遭わないことを願うばかりである。
週の半ばだと言うのに、あまりよく眠れないせいか疲れた。こういうときは、仕事なんかしないで、テレビを観たり本を読んだりするほうがいい。
ところが、本を開いたとたん「仙人」から電話があった。
わたしの教師友達のひとりだ。背が高くてエンピツのようにかりかりと痩せているし、どうも俗世と性が合わないくせに色々なことに手を出すシンガポール人でもある。だから「仙人」だ。
30も過ぎたので、シンガポールの親がなんと強引に見合いの相手をパースに連れてきたらしい。しかし、あちらでも「三高」は流行だそうで、「背が高いのと高学歴はあるけれど、金がないからなあ」という彼の言葉から、どうやら断られる見込みだ。
「それはそうと、教師の仕事だけじゃなくて、他にも履歴書送った。」どこだと聞いたら、なんとでかいホテルのカジノでディーラー見習いの口だと言う。アジア政治史、中国古典、日本文学で3つも修士を取っておきながら、なんで今度はディーラーなんだ。
その前には教師の口がなくて、「身分を隠して」レストランのキッチン手伝いなんかしていた。キッチンの手伝いなんぞ、彼のような高学歴の履歴書を披露したら悪い冗談かと思われてしまうからだ。
わたしも去年は半年ほど教師の口がなくて失業していたが、彼の場合はもっと運が悪いようだ。
「今度また刺身用の新鮮な魚を買って行くから、寿司食べさせてねえ」とノンキなことを言っているが、そんなお金あるのかいな。
このところ新入生(新8年生、日本の中学1年生に当たる)の歓迎の意味なのか、彼らの参加する催しが相次いで行われている。そのせいで、半分以上の子供たちが抜けたクラスが多く、授業が少々遅れ気味だ。
その中のひとつ、今日は水泳大会だ。
日本のように単に赤組、白組ではなく、赤、青、緑に金色の組がありそのチームの対抗となっている。これは8年生全員が参加するので、今日わたしの担当する8年生クラスはお休みだ。しかし、だからといってセンセイまでお休みにはならない。授業のないクラスのセンセイは、水泳大会で抜けている体育のセンセイたちのクラスにピンチヒッターとして出かける。わたしも1時間、12年生の授業(もちろんわたしが教えるわけではなく自習)の監督だ。
もう1時間は水泳大会が行われているプールサイドの監視である。泳ぐのは8年生だけかと思ったら、9年生から12年生までの選抜選手たちも参加している。こちらはほとんど模範競技のようで、ばちゃばちゃと泳ぐ8年生に比べると、速いしかなり泳ぎなれている水泳部の生徒たちらしい。
12歳から17歳までの子供たちの水着姿を見ていると、ふうんとうなってしまった。何しろ、この時期の子供たちの成長は目を瞠るものがある。12歳くらいだとまだまだ手足も細く、男の子か女の子か見分けがつかないくらいちっぽけな体型なのに、1年ごとに肉がつき、筋肉がつき、水泳部の最上級生17歳になると、もうオトナの身体だ。
去年わたしが担当していた8年生日本語クラスにいた男の子が、今年は9年生水泳部の選手として参加しているが、わたしが初めて見たときには、まだ声の甲高い、エンピツのように細く小さい男の子だった。それが、半年でもう見事にわたしの背を追い抜き、声が変わり、二の腕と胸に筋肉がついている。
「ニンゲンの生物学的変化と成長を見ているようですねえ」と感心して呟いたら、わたしの隣にいた数学教師がぶっと吹き出した。


