センセイの放課後の最近のブログ記事

stressbusterkit.jpg実は、さっき十時ごろに帰宅した。
九年生(日本の中学二年生に当たる)の父兄との懇親会があったのだ。九年生の担任は全員出席と言い渡されていたから、覚悟はしていた。七時から九時半までだったので、比較的近くに住んでいる教師たちは、一旦帰宅して食事をしてから戻ってきたようだ。わたしは往復一時間もかけて帰るくらいなら、とそのままオフィスで仕事をしていたがさすがに疲れた。
こんな感じの時間外労働がかならず一学期に何回かある。

今朝の休み時間自分のデスクに戻ってみたら、手のひらにおさまってしまうほど小さな紙の箱がぽつんとあった。開いてみたら、一枚のメモとともに色々なものがはいっている。小さなビー玉、五セント玉、輪ゴム、タコ糸のキレッパシ、チョコレートがひとつ。

メモには、「ストレス撃退キット」とあった。

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1.ビー玉は、あなたがもしかしたら自分を見失いそうなときのために(Losing marbles‐ビー玉を無くす、は慣用句で「自分を見失う」とか「気が狂いそうになる」という意味)
2.五セント玉は、あなたが無一文にならないために
3.輪ゴムは、あなた自身を自分の限界よりさらに伸ばすために
4.タコ糸のキレッパシは、あなたの人生がバラバラになる前に、一個ずつ繋ぎとめるために
5.チョコレートは、いつも誰かがあなたのことを気にかけているってことを思い出させるために

PS: もしチョコレートを無くしちゃって代わりが欲しいときには、いつでもわたしに会いに来てね
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こういう細やかな心遣いをするのは、仏語担当の若いフランス人教師だ。わたしには絶対できそうにない、気の利いたユーモアが詰まった小さなプレゼント。今日懇親会で遅くまで学校にいなければならない語学教師に配っていたらしい。

懇親会前に、帰宅する直前の彼女を捕まえて心からお礼を言った。
教師になってすでに七年目。オーストラリア生活八年目である。
ビジネスでばりばりやっていたころと比べると、忙しいことに変わりはないが、はるかに気分的に落ち着いたような気がする。

ビジネスだろうが教育だろうが、仕事がらみでひととの関係は始まる。違うのは、ビジネス界ではほとんどがオトナだったが、現在では十代の子供たちのほうがはるかに多くなったことだ。昔は、十代の子供たちなんて、たまに家族も一緒に招待されているレセプションでつまらなそうにひたすら食べている顔を見るくらいだった。

パースで働き始めたころは、正式採用でないためか中学生クラス(八年生から十年生のローティーン)だけだったが、教えるにつれ段々と上級生のクラスも受け持つことになった。2006年末に卒業した子供たちは、わたしが公立高校で最後に受け持った上級生クラスだ。学校を離れたあとも、元同僚の長期休暇によってピンチヒッターとして戻り、半年間受け持った受験クラスでもある。三年に渡って、成長を見てきた子供たちだ。
そして、今も年に何回かクラス会を開く。何故かウマが合うようで、十九人いたクラスから出席しないのはたったの二-三人だ。それも理由があってのことが多い。
前回「今度うちでパーティーしましょう」と何気なく言ったら、みんな目を輝かせていた。十八人前後の若い子たちを呼ぶなんて、、、いや何だかオソロシイことになりそうだが、こういう失言は口の中に戻せない。

私立の女子高に移ってから送り出した卒業生は二回。このごろの傾向で(というより、私立お嬢様学校の傾向なんだろうが)、卒業したあとパースを離れ、「大都会」として憧れるメルボルンやシドニーで大学に行く子たちが多い。一回目の生徒を送り出したときに、パースの大学に入ったのはたった一人だ。時々「いよっ、センセイげんきかーいっ」などと言いながら(漫画の影響ですな)オフィスを訪ねてくる。

去年送り出した日本語クラスの十二年生は四人だ。とても少ないが、それでも一人には偶然中華料理屋で出くわした。わたしを見ると、回りのひとたちが「なんだ、なんだ」と振り向くほどキャンキャンと子犬のように飛びついてきた。まだまだ女学校気分が抜けないらしく、いやはや可愛いものである。。
もう一人はやっと韓国の休暇から戻り、電話をかけてきた。これからはパースの大学生だ。母親は韓国住まい、パースに父親と二人で暮らしている彼女には「センセイって、わたしのお母さんにすごーく似ている」と初めて教えたときに言われた。どこにでもある顔だからそんなこともあるだろう、と思っていたら、一度学校のファンクションで彼女の父親に会って穴があくほど見つめられた。呆然としているその顔から察するに、本当によく似ていたのだろうと思われる。そのせいかどうか、彼女には去年一杯「センセイ、センセイ」といつもまとわりつかれていた。家が偶然近いこともあり、何だかこの子との関係は少しの間続くような気がする。

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実は、教師としての給料は驚くほど安い。拘束時間も長い。八時から三時半まで、そして放課後にすぐ帰れることは、まずない。六時前後に帰宅、そして夕食後も次の日の準備やら、やり残した雑用を片付けることも多い。週末も同じようなものだ。
ビジネス時代も忙しいことは忙しかったが、種類が違う。昼間トイレに行く時間がない、なんてことはまずなかった。学校では、授業のある八時半から三時二十分までの間に、教室を離れることはできないからだ。休み時間は、「休む」というより「雑用」の時間だ。珈琲を飲むのはコンピューターに向かいながら、である。その間にも、なんらかの用事で、教師や生徒たちがひっきりなしに語学オフィスのドアをたたく。そして、放課後はご存知の通り、クラブ活動なんて厄介なものもある。残業手当は教師にはない。

そして、教師をやめる若いひとたちの理由として一番多いのが、これだ。荒れたクラスだろうが、意地悪されようが、どんなに英語のアクセントをからかわれようが、そんな「些細なこと」は自分の心の中で、あるいは教室の中で解決しなければならない。一応サポートがあるにはあるが、実際の助けには程遠い。

「でも、休暇がたくさんあっていいじゃない」というひとがいるが、これはちょいと違う。学期休みの二週間、全ての仕事を放り出して休暇に「専念する」という教師はほとんどいないはずだ。始まって数日間は、残った仕事の片付け。セミナーやらワークショップやらクラブ活動に参加するひとたちもいる。そして、やっと「ああ休暇だったっけ」と思い出し、ほんのちょっと寝坊したり夜更かししたり、友達と出かけて大酒を飲んでみたりする。学校が始まる数日前からは、すでに段々と「スクールモード」に戻って行く。鍵を持っているから、まだしんとしている学校に戻って来学期の準備をする。つまり正味数日の休みにしかならないのだ。
普段の果てしない残業のことを思うと、これじゃあ「休暇」とは言えない。

それでもわたしが教師として残るのには、「ワーカホリックだから」以外にも理由がある。子供たちだ。

毎年、何百人もの子供たちに接する。何人かは、たとえ二十年たってもはっきりとわたしを覚えているだろう。好きだった先生として、またはダイッキライだった先生としてでもいい。
子供たちにささやかな影響を与え、彼らの記憶の片隅に残るんじゃないか、と時々感づくようになった。そして、何人かの卒業生たちからの近況に接しながら、「こういう人生も悪くないね」と思うようになった。

学校が始まった。

とは言っても、今週火曜日から二日間はスタッフのみ、そして今日からは最上級生の十二年生だけが授業開始だ。昨日まで、すがすがしいほどしんと静まり返っていた学校が、「きゃああああ、げんきぃぃぃぃ」「どうしてたのぅぅぅ」という嬌声と騒音で満たされる。どうして二十センチぐらいしか離れていないのに、叫びあわなければならないんだ。
来週からは全生徒がそろうわけだけれど、ああ、想像したくもない。

しかし、月曜に学校に行けるのだろうか、わたし。
実は、今朝ギックリ腰になってしまったのだ。別に、ベッドを片手で持ち上げたわけでも、電子レンジを振り回したわけでもない。ただ床に落ちたヘアブラシを拾おうとしただけなのに。
学校に行くまではまだ鈍い痛みだったのだけれど、着いて車から降りたときにはすでに痛みがひどくなっていた。腰に響かないようにすり足で進んだけれど、とても荷物を運べる状態ではない。ほとんど壁伝いに歩き、椅子から立ち上がるときにもどこかにしっかりつかまらなくてはならない。階段を一段下りるだけで、脂汗をかく。
しかたなく理学療法士に連絡して予約をとり、午後は休んでやっと車を運転してたどりついた。
「こりゃあ腰の捻挫ですな」
「ね、ねんざ?」
「ひねったんですよ、神経を。で、そのときに筋肉が上手に働かなかったから、かたまっちゃったんです」
「へえ」

英語に「ギックリ腰」という言葉はない。味気ない「急性腰痛」という言葉だけ。ドイツ語では、Hexenschussがあって、まさに日本語の「ギックリ腰」と同じ状況で使う。「魔女の一撃」という意味だが、言い得て妙ではある。

とにかく、横になって療法を受けたが、今度は起き上がろうとしても激痛が走って起き上がれない。五分かけて慣らしながらやっと立ち上がり、療法士の助けを借りてなんとか歩き出したら少し楽になった。こんな痛みは初めて、あまりの苦痛でびっしょり汗をかいてしまった。
「明日の医者を予約しておいてあげましたからね。仕事に行くなんてのは、問題外です」はっきり宣告されて、新学期の第一週目に休むはめになったことを知る。

車を運転するのも大儀だ。何しろブレーキとアクセルを踏むだけで、腰にびびーんと来る。なるべくブレーキを踏まないように、いつものような「どけどけー」はなし、おとなしく制限速度以下でそろそろと進む。
途中「処方箋なしで買えるイチバン強い痛み止め」を買い、うちに帰ってそれを口に放り込んだら、しばらくして利いてきた。どんどん、どんどん利いてきて、今度はほとんどいいキモチになった。痛みはそれほどでもなくなりほっとしたが、いや薬局で「これ飲んだら、ゼッタイ車を運転しないでください」と言われた意味がやっとわかった。こんな強い薬、わたしぐらいの体で「オトナ分」飲んでよかったのかふと疑問がアタマをよぎるが、背に腹は変えられない。

明日の朝はこの「キモチよくなる薬」を飲んでから、そうっと起きあがるしかないね。なんてこった。