映画の愉しみの最近のブログ記事
ヒース・レッジャーが突然ニューヨークのアパートで死亡したことは、記憶にも新しいと思う。彼がオーストラリアのパース出身だったため、どの新聞を開いても、どのテレビのスイッチをつけても、彼のニュースが飛び込んでくる。そして、死因を調査していた結果が最近出た。処方されていた薬の複数摂取が原因だったという。CNNのエンタメ・サイトにはその薬の名前が詳しく出ていたが、睡眠薬、鎮痛剤、精神安定剤など、実に六種類もの薬が処方されていたのだった。それら複数の薬を大量に服用したわけではなく、それら全てを一度に服用したことが彼の死につながったらしい。
彼の実父は「処方された薬物の複数摂取の危険をもっと重視するべきだ」というコメントを残しているが、リストされた薬物はそれぞれ二種類ずつの睡眠薬、鎮痛剤、精神安定剤だ。これらが全て、ひとりの医者から一度に処方されたとは考えにくい。だとすれば、ヒース・レッジャーが自ら複数の医者に出向いて入手したか、あるいは非合法的な手段で手に入れたと見るべきだろう。これを一般的な危険と考えるには、少々無理があるように思う。
美貌と金と才能に恵まれ、幸運でもあると思われたひとたちが、蓋を開けてみれば薬漬けだったことがわかる。わたしたち一般人には考えられないほどの、そして手に入れることのできないほどの量だ。
彼は、果たして何から逃げたかったのだろうか。
ダイ・ハードの一作目が世に出たのは、なんと1988年、ほとんど20年前だ。
スーパーマンのように空を飛ぶわけでもなく、007のようにカッコよくもなく、ただひたすら悪態をつきながら満身創痍で走り回るブルース・ウィリスがとても人間くさかった。そして、テンポのよい息もつかせぬアクションに、ポップコーンを食べるのも忘れて見入ってしまった19年前のワタクシ。
その、ブルース・ウィリスが戻ってきた。
カリフォルニア知事になる前のシュワルツネガーだって、ロボットのくせに皺が深くなった20年後のターミネーターをやっちゃったし、来年には65歳のハリソン・フォードがまたもやインディー・ジョーンズになるくらいだ。ブルース・ウィリスが、額の後退を気にせずにすむ坊主頭で戻ってきても、不思議じゃない。
アメリカの都市としての機能を完全に麻痺させるサイバーテロ集団に立ち向かう、アナログ人間ジョン・マクレーン。エレベーターから墜落しそうになったり、カンフー娘に痛めつけられたり、糸をひかなくてもスパイダーマンのような華麗なる動きをする敵を見事にやっつけたり、カーチェイスではF35に攻撃されたり、それでも生き残る男ジョン・マクレーン。F35が真正面からミサイル撃ってきているのにもかかわらず、だ。
コンピューターグラフィックの技術が進んだため、1と2よりはるかに多用されているのがちょいと残念だ。それがマクレーンを、なんだかスーパーマンのように変身させてしまったような気がする。あまりにも規模が大きくなりすぎて、タダの人間じゃあとても脱出不可能の状況は、「ほう」という感嘆とともに「くすり」という笑いをも誘う。
そのマクレーンの相棒になる、コンピューターおたくの男の子。この童顔はどこかで見たぞ、と思ったら、MacのコマーシャルでさんざWindows(役の役者)を馬鹿にするMac役の男の子だ。その前は、ギャラクシー・クエストでやっぱりコンピューターおたく(というよりTVドラマおたく)を演じていた。こういうのも、タイプキャストというのだろうか。クチの達者な少年というイメージで、親しみやすい顔だ。
この二人がコンビを組んで悪のサイバー集団に立ち向かうわけだが、なんで物足りないのかと思ったら、悪役がどうも情けないのだ。サイバー集団というだけあって、「戦える」のは悪ボスの愛人のカンフー娘(こういうのもタイプキャストだなあ)と、糸なしスパイダーマンだけだ。あとは、みんなカチカチとキーボードを叩いているだけ。華麗なる指さばきで、次々と移り変わるWindowと意味なし文字の羅列に目をこらす。現代的と言ってしまえばそれまでなのだけれど、みな頭デッカチで、目をぎらぎらさせる「悪の権化」的インパクトに欠ける。
だから、見ごたえはあくまでもブルース・ウィリスだ。
超人だろうがハゲだろうが、彼は男くささムンムン、まだまだ現役だ。妻には逃げられ、娘には鼻であしらわれ、しかし最後にはみなの賞賛を集めてしまう傷だらけの男は、彼をおいて他にはいない。五十二歳にして自らのアクションだけで主役をはるのは、並大抵のことじゃないのだ。
あと十年たって、定年間近のジョン・マクレーンが「腰の痛さを押して走るところ」をまた見たい。
今回いつものように山のような郵便物を開いていたら、新しい日本のDVDショップの号外が入っている。さっそく、邦画と韓国映画にひとつだけタイ映画を入れて、まとめて注文してみた。日本のDVDショップなら、タイ映画も日本語字幕つきだ。
英語タイトルは「Beautiful Boxer」。なんで「ボクサー」を「ボーイ」にしなきゃならなかったのか、邦画の題名にはいつも理解に苦しむ。ボクサーの話なんだからそのままにしときゃいいのにねえ。
とにかく、この「ビューティフル・ボーイ」は、九十年代末から新世紀にかけてタイでかなり有名だった、ムエタイ選手ノン・トゥームの話だ。
厚化粧をしてリングに上がり、勝つと相手選手に「ごめんね、痛かったでしょ」と頬にキスすることでも有名だった。計量のときに、裸になりたくない、と泣いちゃったこともある。要するに、ちょいとキワモノ的な名声のほうが先になってしまったが、彼ははっきり言って強かった。出てきたばかりの十代のころはほとんど全戦全勝、その後ホルモン投薬を始めたあたりから弱くなっちゃたけど。
だから、日本の東京ドームで女子プロの選手と試合をしたあたりは、人気が下降線をたどっていたころだ。
タイ映画には、普段「どうしようもないコメディー」か「どうしようもないホラー」しかないので、こんなふうにマットウな映画が出てくると正直感心してしまう。そりゃあ、苦笑してしまうようなヤラセの場面もあるが、本筋はあくまでも真摯に「オンナになりたかったキックボクサー」を追う。
映画自体は、彼の幼少時代から性転換手術をして女になるまでを、手術直前のインタビューで語ったという形をとっている。タイ北部の映像はとても美しいし、ムエタイの試合もかなり迫力があって怖いくらいだ。
しかし何よりも、強靭な肉体を持つ百戦錬磨のボクサーが「オンナになること」を夢見て戦うという大いなる矛盾。この矛盾をどのようにして共存させ、やがて心と身体を矛盾なきまで変化させるか、ということにわたしは興味があった。しかし、万人受けをねらったためか、あるいは美しい映像を損なわないためか、ところどころに入る彼のナレーション(インタビューという形をとっているためだ)も、苦悩を深く掘り下げはしない。どちらかというと、「なるほどねえ、かわいそうにねえ」というコメントで終わるようなさらりとした告白だ。なんでナレーションだけ英語なんだよ、という疑問も残る。
ノン・トゥームを「有名になるためにオカマちゃんのフリをしたキックボクサー」と思っていたひとたちを感動させ、あらためて彼の強さとその内面の葛藤を振り返らせるには、確かに意義のある映画だと思ったが。
何年か前に、彼女(手術後なのでもう「彼」ではなかった)の実際のインタビューを読んだことがある。そのとき、「もし生まれ変われるなら、男と女とどちらを選びますか」という質問があった。彼女の答えは驚いたことに「やっぱり男がいいです」。
「ただし、今度は心も身体も男になりたいです」と付け加えたのが、大変印象的だった。


