デラシネの呟き: 2006年1月アーカイブ
相撲を見ていたら、ゆらっと一回だけ揺れた。おや、と思ったらすぐにグラグラッと来た。ストーブを消して、お勝手口だけは開ける。
それだけのことだが、母がちょうど買い物に出かけていたこともあって、家にひとりっきりである。結構どきどきしている自分に気づいて、可笑しくなった。テレビを見ると東京二十三区は表示されないくらい弱い震度らしい。茨城で震度3だ。
ここ何年も地震というものを経験していないから、久しぶりの「グラリ」に大アワテだ。そう思ったら、マルセル・プルーストの世界じゃあるまいし、いきなりずいぶん昔のことを思い出してしまった。
二十年ほど前、一度だけ日本でひとり暮らしをしたことがある。六本木の、旧防衛庁の脇道をちょいと入った所だった。家具付きで敷金・礼金なし、数ヶ月で出られるアパートなどという条件を出したら、ここしかなかった。つまりは、ガイジン用である。遊ぶにはとんでもなく便利だったが、住むところじゃないな、としみじみ思ったものだ。日が落ちれば華やかだが、何しろ昼間は汚い。そして、普段の生活に必要なものを買う店が極端に少なかった。明治屋で毎日買い物ができるわけもない。
住んでいたのは、ほとんどが白人モデルたちだ。エレベーターの入り口で額を打つほど背が高く、そしてとても美しくて若い女性たちばかりだった。わたしもとても若かったが、何しろフツウの日本人のオンナノコだったから、彼女たちの方がジロジロと見るほどそこでは珍しい存在だった。
ある晩、そこで地震が起きた。
かなり大きなものだったから、窓は音をたてて震え、天井の灯りが弧を描いて揺れた。普段から、「地震のときは、すぐには外へ出るな。火を消せ」というのが鉄則だったから、わたしはその通りにして窓を開けた。
もうそのときには、アパートの住人が叫びだしていた。いや誇張ではなく、本当に彼女たちは阿鼻叫喚の騒ぎだったのだ。20戸ほどの小さなビルだが、そこから白人モデルたちが叫びながら外に飛び出していった。わたしの部屋のある三階の窓から覗くと、下では裸足のひと、パジャマ姿のひと、バスタオルを巻いただけでまだ頭にシャンプーをくっつけたひと、スーツケースをしっかりと抱えているひとなどが右往左往している。管理人が、もう大丈夫だから、と英語でなだめて回っていた。
その隣の写真スタジオからは、「なんだ、何の騒ぎだ」と撮影をしていたらしいひとたちが集まってくる。まだ若かった坂東玉三郎と市川猿之助も、着物姿でモデルたちの騒ぎを見に出てきた。
遠くに「津波の恐れはありません」という警察のパトロールのアナウンスを聞きながら、フタ昔前のわたしは目を丸くして、「地震の経験のない白人モデルたち」と「日本の芸能人たち」を見下ろしていた。
一年に一回日本に帰るたびに、流行っているものを知る。そりゃあネットでそういう言葉に出会うことも多いが、活字になったものとテレビや実際の会話で使われているものとでは雲泥の違いがある。活字では伝わらない事情やニュアンスなど、だ。
今回気になったのは、堂々と様々な場所で言われる「勝ち組」「負け組」という言葉。
所有物とステータスで象徴される「勝ち組」という社会に参加できるひとたちと、それを持たないことによって前者より「劣る」社会に属するひとたち。どちらの社会もお笑い系タレントたちにテレビで巧妙に笑い飛ばされているが、その根底には不特定多数の弱者を攻撃する心が見え隠れして、わたしには笑って済ませることができない。
そしてその社会を無視するひとたちは、ジブンの世界に没頭しなければならない「らしい」というのも、今回びっくりしたことのひとつだ。
散歩だの、読書だの、「個人生活を豊かにすると考えられている」行動だの、またもや増えた新刊の雑誌は、こうしたマニアックな世界を懇切丁寧に指導している。個人的な経験を得るために、どういうところから始めてどういう風な経過をたどい、どんなものが必要かということを指示されるというのもおかしなものだ。散歩したいと思えば、どんな道を通って何を見てどう感じればよいのかというマニュアルがある。読書したいと思えば、ジャンルによってどんなものを読めばよいのかというマニュアルがある。著名現代作家の作品を全部読まなくとも、あらすじだけのダイジェスト本まである。イタリア料理を食べたいと思えば、どんな予算でどんなものを食べてどんな風に味を表現すればよいのかというコメントまで載っている。すごいなあ。
これに沿って行けば、「個人的に豊かに生きる」ステータスの社会に属することができるのか。
シンプルライフや、健康な生活や、趣味の世界、ってのも何だかこう考えてみると、やはり薄っぺらな「流行りもの」のひとつのような気がしてならない。
連日の寒さで「出不精」となってしまい、正月に姪からうつされた風邪もまだ治らない。インフルエンザの注射をしていても普通の鼻風邪には効かない、と聞かされていたが、本当だった。何よりも、食べ物の味があまりわからないというのがツライ。
一日中エアコン暖房の中にいると、空気がとても乾いていることに気づく。この冬に買ったばかりのエアコンは最新の機能を備えてはいるが、「しっとりナントカ」のボタンを押してもやはり喉が痛くなる。加えて、狭い部屋のエアコンはどこにいても風を感じなければならず、あまりくつろげない。乾いた咳を繰り返していたら、母がどこからか石油ストーブを引きずってきた。
「やだ、まだそんな古いの使ってたの?」
「だって、たまに焼き芋食べたくなるから」
思い出した。
わたしたちの小さいころも、やはり石油ストーブが部屋の真ん中にあった。そのころのストーブは「アラジン」。薄緑色をした独特の丸い筒を持ち、丸い窓から青い炎がちろちろと見える。このアラジンストーブは、暖房の役を果たしていただけではなく、その平べったいアタマにはやかんや、アルミホイルで包んだサツマイモを載せることもあった。だから、わたしの記憶に残る日本の冬は、ストーブの鼻をつく石油とその上でゆっくりと焼けていくサツマイモの匂いをともなっている。
アラジンストーブはその後、少し改良されて丸い筒をたおさずとも点火できるものに変わり、かなり長い間実家の居間を暖めてきた。しかし今母が大事に使っているのは、このアラジンではなく後ろに反射鏡を持つ型だ。アラジンは全て寿命をまっとうしてしまったらしい。
もっと新しい「石油温風ヒーター」と呼ばれるストーブもあるのだが、「風がイヤだし、危ない」と母は言う。が、この新しい石油ストーブが前方に風を送るタイプなので、上部で「イモが焼けない」というのが本当の理由らしい。
旧式の石油ストーブに火を入れると、赤い灯がめらめらと上がる。それを調節して落ち着かせたら、エアコンのように長いこと待たずとも部屋はすぐに暖かくなった。そして暖かさが優しい。湿り気をおびた熱が、空気を乾燥させることなく広がっていく。
暖かさに惹かれて、十六歳のヨボヨボ愛犬が寝床から出てきた。ストーブの真ん前でゴロンと横になり、もう気持ちよさそうにイビキをかいている。
さて、サツマイモでも買ってこようかな。
日本出張が二ヶ月に一度はあったビジネス時代と違い、今は年に一度正月だけの東京里帰り。それも、正月ラッシュを避けて三が日が過ぎてからのことだ。しかし今年2006年は、正月二日まで実家で過ごしている弟の家族に会いたくて、元旦の朝バンコクを発った。
宮崎に転勤になって腰をすえてしまった弟は、それでも毎月東京出張で実家に戻る。だから弟のブッチョウヅラは里帰りのたびに一度は見るが、ヨメサンと子供たちに会うのは久しぶりだ。それも、末っ子の長男は写真で見たことがあるだけ。
玄関をガラガラと開けて、「ただいまー、おめでとうございまーす」と叫んだら、きゃあきゃあと子供の声がして皆が出てきた。大人たちの間から二つの小さな頭が覗く。ひとつはまだアカンボのころから何度も会っていた長女。そして彼女の隣に、楽しいニコニコ顔が飛び出した。あ、と思った。
写真は見ていたし、母が初めて六ヶ月のその子に会ったとき、思わず泣き出した話も知っている。目の辺りが、亡くなった父にそっくりだ。ちょいと酒が入って上機嫌だったときの父は、やはりそんなふうに丸く上弦を描く目で本当に嬉しそうに笑った。
新しい顔が、その上の世代の特徴をぽんと引き継いでいる。
弟の歩く後姿は、あまり似ていないと思っていた父とびっくりするほどそっくりだし、母の三十年くらい前の写真を見ると、何だか今のわたしの顔とよく似ている。
血の繋がりっていうのはこういうことなんだ、と何だか改めて感激してしまった。


