デラシネの呟き: 2005年10月アーカイブ
注文しておいた植木バサミが、金曜日に届いた。
写真を見て「おや?」と思うひともいるだろう。刃のつき方が反対だ。そう、これは左利き用の植木バサミなのだ。
もちろん、普通の店では売っていない。日本と違って矯正はしないけれど、やはり左利きは少数派だからだ。今までは、スーパーで買った安物を使っていたのだけれど、事務系のハサミと違って植木バサミは刃が厚いため、左手で使うと枝や茎がスパッと切れずにぐにゃりと曲がるだけのこともある。右利きのひとにはわからないかもしれないが、試しに左手でハサミを使っていただきたい。刃が逆だと使いづらいだろう。
買ってすぐに庭に出てみたのだけれど、いやーよく切れる切れる。薔薇やデイジーの咲き終わったところの茎をちょっきん。ブーゲンビリアの枯れた枝をちょっきん。それでも飽き足らずに、にょっきりと伸びた雑草もちょきちょきとコマギレにしてみる。楽しいなあ。
左利き用の道具を売っているサイトから、以前にもコークスクリューを注文したことがある。ワインにぎりぎりとねじこんで、ぽんと開けるあれだ。ふつうの折りたたみナイフのような形をしていて、スクリューとは反対側に小さなナイフもついているソムリエ用ワインオープナーの左利き版である。
やはりこれも、普通の右利き用のものはスクリューが反対の方向にぐるぐると回っているから、左利きとしては使いづらい。だからこれを買ってから、ワインを開けるのが確実に速くなった。
しかしひとりで飲むときは自分で開けるけれど、誰か来たときにわたしは決して自分ではワインを開けない。おもむろにこの左利き用ワインオープナーを差し出し、「ねえ、開けてくれない?」とムジャキに頼む。ふっふっふ。
右利きのひとたちは気づかないかもしれないが、左利きが不便を感じることはとても多い。
たとえば、マウスの位置。
そのまま右に置いて使う左利きもいるらしいが、わたしにはできない。だから、わたしのマウスの位置は左側、そしてクリックも右左逆だ。実は、ポインター(画面に出る矢印)も、アタマに来ていたもののひとつだった。左手でマウスを操作していると、左上を向いている矢印というものは、非常に不自然なのだ。だから、わたしのディスプレイに浮かぶポインターは、輝かしくも右上を向いている。これはウィンドウズ95の時代から毎回OSをアップロードしたり、新しいコンピュータを買うたびにインストールしているものだ。残念ながらこれは標準の矢印のみで、ハイパーリンクになっているところで現れる「指差している手」は右手のままだ。
以前、友達が「マッカなマニキュアを塗った左手」を作ってくれたのだが、どさくさにまぎれて失くしてしまったらしい。だれかまた作ってくれないかなあ。
急須。
大変行儀が悪いと日本古来の作法では思われている仕方で、茶をつぐしかない。つまり、手の甲を裏返しながら外に向かってつぐわけだ。だって、左手で持ったら、急須の口は後ろを向いちゃうんだから。
そのわたしの「作法」を見るに見かねてか、下町に住む八十歳の伯母は、わざわざタクシーで浅草まで乗りつけて、「うちの姪の茶の注ぎ方、怒るわけにもいかなくってねえ」と左利き用の急須を買ってくれた。これも、大変便利で重宝している。
こんなふうに、毎日苦労しながら使いづらい道具を使う左利きたちのストレスは大変なものだ。日常の細々としたことに、皆いったんとまどってから手を出す。この一瞬のとまどいには、慣れることがない。
わたしの友達には不思議と左利きが多いので、同感してくれるひとも多いだろう。さ、同感したひとは「左手」をあげてクダサイ。お箸を持つほうの手ですよ、はいっ。
Hilde Dixonは、わたしが二年半前今の高校で働き出したときから同僚だった女性だ。改めていくつかのエントリを読み返してみたら、「同僚のフランス語教師」という名で、わたしがgaby's diary@anywhereという日記を書き始めたときから何度も登場していた。
あるとき、何百人もの生徒の成績表を書く期末に、睡眠時間を削りながらやっていたら、学校にいる間もなぜか険しい表情になってしまっていた。そういうときに限って、悪ガキが授業中におしゃべりをしたり、いたずらをしたり、全く集中できないなんてことがある。
ヒルデは、そうしたわたしのため息に敏感だった。
「あなたねえ、今日はもう4回も『今日はダメだわあ』ってため息ついているのよ。帰りなさい。うちに帰ってワインでもかっくらいなさい。採点なんかの仕事を持って帰っちゃだめよ」
そう言って、放課後まだ残っていたわたしを追い立てた(自分も実は残って仕事しているのに、である)。何となく晴れやかに、答案を放り出したまま外に出た。しかし、十メートルも行かないうちにヒルデが追いかけてきた。
「もう。放り出して帰っていいのは、答案よ。うちの鍵から車の鍵までついているキーホルダーを置いて行っちゃったら、何にもならないでしょっ」
ふたりで吹きだしてしまった。そして、わたしに向かって放り投げられたキーホルダーを受け止めながら、「ありがとー、愛しているわよー」と叫んで、放課後に校庭を掃除していた掃除係のオジサンをぎょっとさせてしまった。
ヨーロッパからの移民、ベルギー人だったヒルデの乾いたユーモアは、オーストラリア人たちのものとは確かに違っていた。
40度を越す夏に、サウナのような教室でへろへろになりながら、わたしたち教師が授業をしていたときのことだ。職員室にも総務にも受付にもさわやかなエアコンというものがある。しかし、2年前そんな気の利いたものは教室にはなかった。
涼しげなワンピースを着た総務の女性が、「エアコンの効いた」職員室で暑さに文句をたれる教師たちに、にこやかにこう言い放った。
「あら、わたし夏って大好きよ。熱気が体に触れるのっていいわあ。海もきれいだし、町も生き生きとしているし。汗をかけるってのもキモチがいいわ」
ヒルデは、片方の眉毛をひょんと上げて言い返した。
「そりゃあそうよねえ。わたしだって、ビーチで本でも読めるんだったら夏だーいすき。そして、エアコンの中でキモチよく授業ができるんだったら夏だーいすき。でも、それでなくても体温の高い子供たち30人と一緒に40度の教室に押し込められていたら、もっともっとイジメてえええ、ってマゾじゃないかぎりそういうこと言えないのよ」
ワインもチョコレートも好きだったヒルデは、休み時間時々缶に隠してあったチョコレートをわたしにくれた。
「中年ぶとりの世界にようこそおおおお」
そう言って、わたしには到底真似のできないような洒落たウィンクをよこした。
ランチから帰ったわたしが、オフィスのドアを半分ほど開けたまま外の生徒と言葉を交わしていたことがある。立ち話が終わって、そのままドアを見ずに手で「それ」を押したら、何だか柔らかい。あれ、とドアを見たら、それはオフィスの中からドアをちょうど開けたばかりのヒルデの胸だった。
「やあねえ、生徒の見ている前でわたしの胸触っちゃだめよっ」
「あらま、なんかドアが柔らかいと思ったら…」
二人で涙の出るほど大笑いをした。
ランチのあとでほとんど剥げてしまった口紅を塗りなおしているとき、わたしはヒルデが後ろにいないか確かめることがよくあった。気をつけていないと、彼女が後ろからぽんと頭を押すからだった。もちろん口紅はとんでもない方向にはみ出す。細心の注意を払っているのに、何回もわたしは口紅を鼻の方向に塗ってしまった。ヒルデは「へっへっへ」と楽しそうに笑う。
ほかのオーストラリア人フランス語教師たちが知らないようなスラングを言い合って、爆笑したこともある。
「何だか変よねえ、オーストラリアで日本人のあなたとフランス語のスラングを言い合って笑うなんて」
休み時間や授業が空いたときなど、よく二人で色々な話をした。ヨーロッパのこと、家族のこと、そして彼女の好きなヨットのこと。
わたしはヒルデが大好きだった。
今度わたしのうちにも遊びに来てね、と約束していた。もう少し暖かくなってパティオで食事ができるようになってから、ね。そのころちょうど引っ越したばかりだったわたしは、そう言ってヒルデがうなずくのをとても嬉しく思った。
そして去年の十一月、ヒルデの乳癌は再発した。
長い療養にはいったヒルデに会ったのは、それからたったの二回だ。去年の十二月に学校を訪れた彼女は、もとの金髪に似たとても美しいカツラをかぶっていた。化学療法のために髪を全て失っていたのだった。
その次に会ったのは、今年の四月だった。ふくよかだったヒルデは少し痩せていた。そして、いつも周りのひとびとを楽しくさせた微笑みが消えていた。わたしはそれでも彼女にまた会えたことが嬉しくて、とても疲れて見える彼女をそっと抱きしめた。もっと話したかったのだが、授業のベルがすでに鳴っていた。わたしは名残リ惜しくその場を離れたが、授業が終わったときヒルデはすでに帰ったあとだった。
それが、彼女の顔を見た最後だった。
先月九月十日、ヒルデは自宅で家族に見守られながら亡くなった。五十二歳だった。
葬式の後、たった一度だけ電話で話したことがある彼女の夫はわたしの手を握って言った。
「電話で話したあなたを覚えているよ。ヒルデがあなたのことを話していたのも覚えているよ」
葬式の間中悲しくて涙の止まらなかったわたしだが、それを聞いてまた喉もとがつまった。


