デラシネ@Bangkok: 2004年12月アーカイブ
昨日のエントリを書いた時点では、「犠牲者10万人に達する見込み」ということだったが、今日ニュースサイトをチェックしたらすでに12万人を突破している。
なんともやりきれないニュースに包まれたバンコクでは、今晩年越しのカウントダウン花火を中止するところが多い。そして、年越しのため、自宅のマンションから豪華なホテルに移った知り合いのドイツ人夫妻は、本当ならドリンク片手にプールサイドにいるはずだった。彼らは今、バンコクの病院に移された同胞負傷者たちを見舞い、雑用を引き受けるというボランティアをしている。
わたしもスイス大使館には「何かできることがあれば、お手伝いいたします」との伝言を残しておいたのだが、午後になって電話がきた。
「明日一日、国内線空港でプーケットからの外国人たちを迎える手伝いと通訳をお願いできますか。かなりの混乱が予想されるので、適切な処置をスムースに行うために世話係のスタッフが必要なのです」
そんなわけで、「がび家恒例新年ブランチ」は中止、元旦は一日中ドンムアン空港で過ごすことになった。
日本ではすでにトップニュースではない「スマトラ沖大地震」も、「その後」はまだ続いている。
スマトラ沖大地震で発生した津波の犠牲者数は分刻みで上がり続け、もうすぐ10万人に届こうとしている。
Neue Zuercher Zeitung(ノイエ・ツゥルヒャー・ツァイトング、スイス)オンラインのサイトでは、スイス人の死者11人となっている。しかし、津波発生時近辺にいたと見られるスイス人は家族などの問い合わせによると1700人、そしてそのうち1200人が今も消息不明だ。
フランクフルター・アルゲマイネ紙オンラインによると、「26人のドイツ人死者が確認されたが、行方不明ドイツ人は依然として1000人近く」とドイツ政府が声明を出した。
ヨーロッパの冬は、朝は9時ごろまで薄暗く夕方は5時にしてすでにまた暗くなる。オフィスで働くひとびとは、ほとんど日の光を目の当たりにすることもなく一日を送ることが多いのだ。そうした憂鬱な日々の間にクリスマス休暇が始まり、子供たちをつれた家族や若い恋人たち、そして夫婦たちが何千人も暑い国タイを目指す。母国ではほとんど見られない太陽の光を、真冬に浴びることができるなんて天国だ。パック旅行も、南ヨーロッパでの休暇に比べたらはるかに安価だということも、その理由だろう。
海岸でくつろぐ笑顔のひとびとが、突然の自然の暴力になすすべもなく命を失った。
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ドイツ語サイトを読み続けていて、ふとあることに気づいた。
ドイツ語で津波ニュースを配信しているサイトにはほとんど、「寄付」を受け付けている団体のリストが設けられている。ほんのいくつかの例を挙げれば、シュピーゲル紙オンラインやフランクフルター・アルゲマイネ紙のFAZ.NET、クリエー・アットなど。
ただニュースを読み「ああかわいそうだねえ、なんてことだろう」と眉をしかめ、各国の救援活動を読むだけではなく、自分にできる範囲の手助けをする。その場にいないから、知り合いが行方不明になっていないから、という理由を超えた、個人としての「何かをしたい」という意志がそこには見られる。そしてそうした行為を促進させるための情報を、オンラインでまとめて公開しているのが、ドイツ語ニュースサイトだった。
ちなみに、日本で寄付情報を大地震特集記事のページに載せているのは、大手新聞の中では産経ウェブだけである。
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香港からのドイツ人家族の話は一昨日にも書いたが、行方不明とされた9人のうち4人は生存が確認された。しかし、子供3人を含む5人はいまだに見つかっていない。
顔を知っているバンコクのスイス人、ドイツ人の中でも、プーケットにクリスマス休暇に行ったきりその後の消息がつかめないひとたちが、5人。
無事を祈りたい。連絡がつかないだけであってほしい。
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タイ国籍を持つアメリカ人Eric Dohlonは、プーケット・タウンで保険代理店を細々と営んでいる。海岸からかなり離れたタウンには、もちろん津波の被害は見られない。しかし、パットン・ビーチ(プーケット最大の、というより最も俗化された海岸)に住む顧客たちの安全を確かめに行こうと決心した。道路は遮断されているので、車は使えない。そこで、埃をかぶっていたマウンテン・バイクを取り出し、ビーチまで走った。
これは、彼が昨晩わたしの会社に送ってきたメイルの添付写真だ。(クリックで、残りの16枚のサムネイルへ)パットンビーチの一昨日28日の様子が、はっきりと残されている。
扁桃腺をやられてまた高熱を出したのが、バンコクに着いた日の翌日。
それから約一週間にもなるが、そのあいだにエアコンで身体を冷やしすぎたのが間違いのもと、本格的な風邪まで引いてしまった。熱が戻り喉がふさがれて息をするのもゼーゼー、という状態から、抗生物質を飲んでひたすらベッドで寝続け、昨日やっと椅子に座って食事ができるまでに回復した。
その間に、プーケットとその周辺がスマトラ沖大地震でとんでもない被害を受けてしまった。バンコクのわたしの知り合いは、年末休暇を南タイで過ごすことも多い欧米人たちである。
スイスイタリア人の老夫婦は、タイに半年遅れの新婚旅行にやってきた息子夫婦がいる。彼らは「正月はバンコクに帰ってくるね」と言い残してプーケットに出かけた。そして、被災した。消息がわかったのは、昨日のことだ。どちらも無事だったが、大怪我をしていると言う。
スイス人の友人と連絡がとれたのが昨日だ。彼は、プーケットのホテルから、その朝ダイビングツアーに出かける予定だった。他のツアー客と一緒にロビーで待っていたが、一組の夫婦が遅れている。ガイドが呼びに行ってあたふたと客を連れてきたときには、すでに予定の出発時間から20分もたっていた。やれやれと不満を顔に表わしながら全員バスに向かったところ、津波のアナウンスがはいった。海岸はホテルからバスで10分ほどの距離である。時間通り出発していたら、まず間違いなく津波に遭遇していたはずである。
ビジネス契約をしている香港のドイツ系商社からは副支店長と妻が、そして彼らの家族・親類がドイツからプーケットに向かった。総勢11人である。その朝、副支店長の妻は、前日の熱気に疲れを訴える自分の母と、ホテルの部屋で朝食を取っていた。あとの9人は海岸の寝椅子を確保するために早起きをして、すでにホテルにはいない。そしてその妻と母以外の9人を全員、津波が一瞬のうちにさらった。
ドイツ大使館のサイトでは、彼らは依然として行方不明者の名簿に載せられたままである。
その他にもまだ知人についての未確認情報があるが、連絡がとれない。
タイでは、死者、負傷者、そして行方不明者の名簿を政府のサイトで公開しているが、これが1ページ20人しか載っておらず、しかもアクセスが集中しているためか次ページに進むのに五分ほどかかる。何千人もの名を、全てチェックする手間も容易ではない。
プーケットの病院サイトは、これもアクセスと問い合わせが集中したようで現在閉鎖しているところが多い。
サイトでの名簿確認という果てしのない作業をしていると、この延々と続くひとの名前がただの名前ではなく、貴重な命を持つ実在の個人なのだということに改めて愕然とする。


