当たっちゃった

しつこく「宝くじ」のことに触れるのには、わけがある。
当たってしまっ たのだ。例のごとく4枚のロトシート(ということは4週間確認していない)を新聞を買ったついでに、売店でチェックしてもらったところ。。。。。「わわわ わわっ、当たっていますっ。当たっていますっ。おめでとうっっっ。いやー、おめでとうっっ」などと売店のおじさんに叫ばれ、いきなり心臓はどきどき、すわ ウン億円かっ、と思ったら、なんと約7000円だった。おじさんが当たった金額を言ったとたん、周りにいた今夜のロトを買いにきたひとびとは、「なんとな く」胸をなでおろしたような風情。そりゃあ、そんな簡単に1m鼻先で大金を当てて欲しくはないわな。
当たったことがなかったので知らなかったが、少ない賞金は売店で即払い戻しになる。新聞に雑誌を数冊、そして今夜のロトも買ったのに、レジからその分差し引いた金額を「もらえる」というのは、さすがにうれしくて笑みがこぼれる。
友人との遅い午後の珈琲のときに、そのことを言ったら「じゃあ、この珈琲はがびちゃんのおごりねっ。では、ケーキも食べちゃいましょう。」
言わなきゃよかった。
「そ う言えば、あなたそういうチマチマしたものは、よく当たるよねえ。去年教えていた学校の昼休みクジ引きでは、2回も当てたじゃない。チョコレートとシャン プーだったっけ?でもねえ、そうやって、あなた大きな運を逃しているのよねえ。10回チマチマ当たるより1回どかん、てのはなかったでしょ。」
言わなきゃよかった。

こ のところ、全く「教える」仕事のオファーがないというのも「運」と言ってしまえばそれまでだが、その分こうしてHPや日記を更新したり、プログラミングと 論文の準備がゆっくりできると思えば、気分は楽になる。チマチマした運に強いわたしは、こうしてほんの少し高いワイン(もちろん、これも当たりロトのせ い)で、ふんわりといい気持ちになる。

宝くじの見果てぬ夢

こちらでもロトなる宝くじは庶民の夢を煽り、毎週土曜日ともなると売店の店先では鉛筆を舐め舐め数字を埋めるひとでにぎわう。
えんえんと続く数字の羅列を選ぶという行為は、あのコワレモノを包むエアシートのぷちぷちをつぶすのにも似て、最後までつぶせず結局タオルのようにしぼってしまうわたしには、出来ない。したがって、買うのはいつもコンピュータではじき出された番号の並ぶシートである。
そ して、土曜日の夜ネットで当たり番号をチェックしたりもしない。月曜日にまた売店に持っていくと、シートをマシーンにつっこむだけで、当たりかはずれか確 認できるからだ。亡くなった父は、当選番号発表と同時に、新聞と自分の宝くじと交互ににらめっこするのが好きだったから、当然こんな夢のない確認方法は無 視しただろうが。
しかしその娘ともなると、それどころか何枚ものロト券を冷蔵庫にマグネットでとめたまま、一ヶ月に一度くらいまとめて売店に持っていくことも多い。

では何故わたしは、それでもロトを買うのか。だって、当たっているひとはそこら辺のフツウのひとびとなのだ。
先週の新聞では、70代の男性が普段は買わないのに「たまたま」買ったら当たってしまって、約6億円を手にした。その金で最初に買ったものは、新しいパジャマと中古の車。ああ。。。。欲のないひとだ。
実は、わたしが当選番号確認を怠るのは、毎回毎回あまり真剣にロトに夢を託すと、ほんとは当たらないんじゃないか、という言わば逆ジンクスを信じているからなのだ。ふん、当たらないよ、そんなのわかってんだから、とうそぶくほうが、当たりそうな気がするからでもある。
だ から、さも気にしてないよ、とのフリをさらに「生々しく」するために、もっと確実な貯金箱まで買ってしまった。オーストラリアの50セント硬貨は、まるで CD-ROMのように大きくしかも重いので、財布がとんでもなくふくらんでしまう。その硬貨をいつもじゃらじゃらと貯金箱に落とすわけだ。
大きな貯金箱は、今ではすでに片手では持ち上がらないほど重くなりつつある。

気軽に電話、気軽に旅行

一週間ぶりに母に電話をした。
ふた昔前には、明らかに国際電話だとわか る回線だったから、相手に自分の声が届くまでに1秒ちょっとの遅れがあった。だから、一呼吸おいて返事をしないと、いつまでも同時に話し続け、そしていつ までも同時に黙り、会話がはなはだしく難しかったものである。それが今では料金も安くなり、雑音もなくなり、まるでちょっと隣近所から話しているような気 軽さだ。
教師の仕事が今のところないので、在宅でタイのビジネスを続けていると言ったら、「それなら、xxさんのところにアソビに行けばいいのに」
わ たしの遠い従姉妹が東海岸のゴールドコーストに住んでいるのだが、これはいかにせん「ちょっとアソビに行く」距離ではない。国内線の飛行機代もばかになら ないのよ、と言ったら、今度は「電車にしなさい、電車に」。。。。。おいおい。数字でせめても拉致があかない母だが、パースからバンコクに行くのと同じく らい遠いのよ、しかも飛行機でっ、でやっと納得してもらった。

一日コンピュータの画面をにらんでいると、さすがに眼が疲れてくる。しかし、パースにいながらにしてバンコクの仕事ができるのも、文明の利器をフルに活用しているからであって、文句も言えない。
さて、少しだけデザートワインでも飲んでゆっくりするかな。