ヴィクトリアパークのSilk Road Uyghur Cuisine

近所にウイグル料理の店ができた。
シルクロードという名前からしてエキゾチックだが、たぶん中央アジアの料理なのだろうなと思いながら入ってみた。

比較的早い時間だったので、わたしたちの他には2組しかいない。さてどんな料理だろうとメニューを開いたら、すぐにピーナッツと甘いポップコーンの小皿に水のボトルが出てきた。ワインかビールでも飲みたくなるところだが、ウイグル自体がイスラム教徒の地域なのでアルコールはおいていない。オーストラリアのほとんどのレストランでは、持参したアルコール類をコルケージ(持ち込み料)付きで飲めるが、そうした表示も全くない。
わたしたちが会計をし始めるころに入ってきた客はワインのボトルを持っていたが、どうもそんな雰囲気ではないことを察して、早々にバッグに戻してしまった。

ウイグル族はトルコ系少数民族で、新疆ウイグル自治区やカザフスタン・キルギス・ウズベキスタンなど中央アジアに居住するひとたちだ。敬虔なイスラム教徒でもあり、モンゴル族と同じく独立を目指しての衝突が中華人民共和国内で今も勃発している地域だ。

サービスをしてくれる責任者の女性はエキゾチックな風貌で、とても美しい。
飲み物は勧められたウイグル風ホームメイドのヨーグルトドリンクにしてみた。甘いのと甘くないのと両方あり、これはどちらも美味しい。ねっとりとしていてコクがある。甘くないほうは銅製のカップで供され、甘いほうは普通のグラスに入っていた。

最初に出てきたのはPermudeというラム肉と野菜を包んだ小さなパイ。ふたくちで食べられるくらいの量だ。中華料理によくある餃子のようだが、スパイスが効いていて味はかなり違う。

こちらがメインのジーケワップ(Zih Kewap)。ラム肉の串焼きだ。ウイグルのスパイスで味付けして、炭火で焼いたこの店の名物だ。鉄串は40cmほどの長いもので、隣のテーブルの男性たちは豪快にそのまま口に運んでいたが、鉄串の切っ先が唇に刺さりそうで、わたしはフォークを使って串から外してから口に運んだ。

これが予想外に「おお」と声が出るほど美味しい。スパイスの馥郁たる香りと味もさることながら、肉自体がとても柔らかくてジューシーなのだ。ラム肉の匂いが嫌いなひとでもたぶん食べられるのではないかと思う。それほどマリネもしっかりとしてあって、いくらでも食べられそうだ。

付け合せに注文したのは、ガーリックナン。作り方が違うのか、インド料理店のもちもちとしたナンに比べるとパンに近い。

同じく付け合せとして出てきたのが、ポロ(Polo)と呼ばれるウイグル風ピラフ。ニンジンが沢山入っていて色も美しい。

こちらはパディチサラダ(Padichi Salad)。細かく刻んだトマト、キュウリ、赤玉ねぎ、パプリカ、パセリがドレッシングで和えてある。さっぱりとしていて歯ざわりもよく、こってりとしたラムやニンジンピラフにとてもよく合う。

これだけ食べてしまうと、残念ながらデザートはとてもじゃないが入らない。メニューだけ見せてもらうと、ギリシャ料理やトルコ料理やインド料理にもあるバクラヴァ(Baklava)の名があった。やはりシルクロードだ。

エキゾチックで壮大なシルクロードに思いを馳せ、腹いっぱいの幸福な気分を抱えて店をあとにした。

12年後の「センセイ、ありがとう」

わたしはFacebookにふたつのアカウントを持っている。ひとつは日本語のアカウントだがあまり使っていない。もうひとつは英語のアカウントで、主に教師仲間と卒業生たちのための通信用だ。

教師として学校で教えているときにはFacebookで生徒と「友達」になるべきではないと思っている。センセイは「Friendly」な教師であるべきだが、「Friend」ではないのだ。
そんなわけで、卒業式が終わったら「友達」申請をしてもいいよ、とは前から言ってあるので、その卒業式の直後の晩にすでに申請してくる生徒もいて、センセイの頬をほころばせる。

その中で1番古い「元」生徒たちは、わたしが公立高校で働いていたときの教え子たちだ。彼らが卒業した年に、わたしはその学校の職を失った。詳しくは2005年の「学校を去る日」に記してあるが、すでに10年以上前のことだ。
生徒たちのほとんどはわたしのFacebookでの「友達」になっているし、30に届こうという年齢の彼らには2度同窓会も開いてもらっている。すでに社会人となり、様々な道を彼らなりに歩んでいる子たち(じゃないな、もう大人なのだから)だ。

そのひとりが先日Facebookで直接メッセージを送ってきてくれた。

センセイ、このごろどうしてますか? まだXXXで教えていますか? ガキどもがセンセイのことをイジメてないといいんですが。
私は今年、中高校教育のディプロマの勉強を始めました。その一環として、学生だったときの先生のことを思い出してみようと言われました。センセイとXXX(わたしの同僚だった日本語教師)は、間違いなく私の心に真っ先に浮かんだ先生たちです。本当に素晴らしい、楽しくて有能な先生たち。今、やっと先生たちがどれだけ沢山の仕事をあの楽しい授業につぎ込んでいたか、わかり始めたような気がします。だから、「素晴らしい先生でいてくれてありがとうございます!」と言いたいと思います。先生たちが一生懸命がんばってくれたと感謝するのに、10年以上もかかってしまいました。でも何もしないより遅くても感謝したほうがいいと思ったんです。教師たちはあまり感謝してもらえませんからね。
お元気で!そしてまたよい1週間をお過ごしください!

一番最初の「元教え子」からこんなふうに突然「ありがとう」と言ってもらえるとは思ってもみなかったので、最初びっくりして次には涙がはらはらとこぼれた。

わたしが彼女を教え始めたのは彼女がまだ9年生(日本の中学三年生)のときだ。丸々としたインド系の女の子で、勉強はよくできたが悪戯っ子でいつも先生たちに怒られていた。何となくわたしになついていたが、日本語もよくできてそのまま選択科目となっても受験科目となっても、猛勉強で優秀な成績をおさめた生徒だった。

建築学科に進んで卒業したあとは建築会社に勤めていたが、そのあと辞めたという話を聞き、どうしているのかなと思っていたところだった。そうか、先生になるのか。

どうもウマが合うというのか、この学年の子たちには不思議と色々な縁があって、Facebookでもまだやり取りが続いている。わたしのブログ記事に出てくる元生徒たちも、実はこの年度の子たちが多い。10年生で日本語を選択しなかった子たちも、まだ覚えてくれているのが嬉しい。

「センセイ、ありがとう」という言葉は何回となく言われてきたが、突然昔の教え子から投げかけられるとやはり喉が詰まる。そして、わたしからも「ありがとう」と言いたい。だって、あなたのような生徒がいたから、こうやってずっと教師を続けられていたのだと思うから。

先生になったあなたにも、またそうした生徒たちが現れるだろう。忙しくてゴハンさえ食べるのを忘れたり、生徒を怒鳴ったり、それでも補習をしたり、悔しくて泣きたくなったり、嬉しくて飛び上がりたいこともあるだろう。そして、「センセイ、ありがとう」と言われて、つい涙がこぼれることもあるだろう。

わたしにとって大切な学校の思い出は、こうして次世代のセンセイたちに受け継がれていくのかもしれない。

 

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バッセルトンへの日帰りドライブ旅行:Busselton Jetty 海中観測所

バッセルトンにある「南半球で一番長い1.8キロという木製桟橋」は確かに長い。
暇にまかせてゆっくり歩くひともいれば、途中で魚釣りをしているひともいる。桟橋から木製階段を降りてそこから海に入るひともいる。わたしが着いた午後3時ごろには、中学生だか高校生だかの子供たちがキャアキャアと嬌声を上げながら海に飛び込んで遊んでいた。

右手の浅瀬ではやはり子供たちが遊んでいて、イルカが時々顔を出すのが見えた。実にのどかである。

桟橋には小さなチケット売り場兼土産物売り場があり、ここで予約しておいたチケットを受け取った。桟橋のど真ん中を走るチンチン電車とガイド付き海中観測所ツアーのパックだ。3時近かったので1.8キロの往復では暗くなってしまうからだ。

まだ電車が走っていないので、線路をまたいで散策をする家族もいる。ただし海辺のことで風が強く、半袖で車から出てしまったわたしなどは肌寒くて困った。オーストラリア人の常で、ジャケットを着ているひともいれば袖なしのTシャツのままのひともいる。寒さを感じる肌質は皆違うということか。

桟橋には電車の乗り降りと観光客案内のために、水色のベストを着た高齢者たちがボランティアとして働いている。待っている間に色々と周辺の事情を教えてくれたり、子供をあやしたり、冗談を言い合ったりととても楽しい雰囲気。

はるか彼方に小さく見えていた電車がやっと着いた。これから出発。

電車は歩く速度よりほんの少し速いぐらい。ゆっくりゆっくりと進む電車に揺られながら、午後の日差しを楽しむ。線路の横を通るひとたちに触れるくらい近い。魚釣りのひとたちがベンチでひと休みしていて、手を振ってくれる。

海中観測所に到着。

中に入ると、すぐに土産物屋。そして螺旋階段を降りて、ガイドと一緒に海中観測所に入った。海中が見られる窓には11センチの厚さのアクリルガラスが埋め込まれ、「向こう側」にもこちらの様子を興味深く観察する魚たちの姿がある。橋杭はジャラの丸太で、長さ16メートルほどのものを海底のライムストーンに打ち込んである。

水族館ではないので、何かイベントがあるわけではない。ただし、ほとんどの丸太にはサンゴがコロニー(=サンゴ礁)を作ってゆらゆらと海中で揺れ、その間を塗って魚たちが自由に泳ぎ回っていて、見ているだけで幻想的だ。
サンゴと言われるまで、一体コレはなんだろうと思ってしまった。まるでコップを洗う細長いブラシのようだ。無脊椎動物というから「動物」なのだろうが、不思議なイキモノである。ガイドが「あなたたちはラッキーだったのよ!」と言ったのは、そのサンゴがちょうど食事時間に当っていたため、このような白く細長いブラシのようなものを海中に出して食事をしているから。普段はこの「ブラシ」は引っ込んでいるらしい。

細かい小さな魚の群れは、アンチョビの稚魚。

この何やら赤いのも無脊椎動物。イソギンチャクやナメクジと同じような種類だと言う。

不思議な、不思議な世界だ。

外に出るとすでに4時半を回っている。またトコトコと進む電車に乗り、桟橋のたもとまで戻ってきた。

さて、この電車だが線路が1本しかないのにどうやって方向転換しているのだろうと思ったら…なんと、この電車のアタマにはタイヤもついており、連結したワゴンから離れてそのまま「ぶぶうん」とエンジンをつけると、車のように回れ右をして…

なるほど、こんなふうに後ろだったワゴンに連結するわけなのだ。

そのまま車中で飲むボトルの水だけを買い、すぐにパースに向けて出発した。何しろ、2時間以上の旅である。走っているうちに日が落ち、段々と車が増え始め、周りに家が見え始めた。真っ暗だが、家やビルの灯りが明るい。パースが近い。

追い越し車線に大きなトラックが制限速度の100キロを少し下ぐらいで走っている。それを追い越そうとスピードをあげ、追い越したとたん右手でフラッシュが明るく光った。わたしの車はたぶん110キロは出ていたと思う。丸1日制限速度を守って安全運転していたのに、最後の最後で気がゆるんだのか。隣の友達が「あーあ」と大きくため息をついた。

それでも最後のスピード違反さえ除けば、楽しい1日だった。
片道2時間半の旅は、観光と食事を含めたら1日でできるギリギリの距離かもしれない。パースは先のブログ記事にも書いたように、他の都市からはとんでもなく離れているので、1日で行ける場所はかなり限られてしまうのだ。でも、ほんの少し探してみれば、なかなかいい小さな町があり小さな歴史もある。

日常の忙しさから離れてこうした違う世界に触れる。ささやかなことだが、気分転換だけではなく頭と心にも風を通してやれるような気がする。

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