ゲート内の土地神サマに祈りを

タイは、完全な仏教国と考えられているが、実はそうではない。北タイには敬虔なカソリック教徒の村もあるし、南に行けばイスラム教徒も多い。加えてバラモ ン教の影響も及んでいるものだから、土地神サマの宿るサンパプームが、どこの家、マンション、オフィスの庭の隅にも祭られている。生まれたら神社へ参り、 結婚式は教会で、葬式は寺で行うことに何の違和感もない日本とは違い、あくまで仏教の中に溶け込んだバラモン教ではあるが、ここに毎朝お参りをするのは当 たり前のことなのだ。

朝早くオフィスが始まる前に、秘書や従業員たちもここに新鮮な花と果物を供え、長いこと線香を手に祈りを捧げる。今日も一 日、家族が健康で過ごせますように。ビジネスがうまく行きますように。朝方のマンションビルのゲート付近はひとびとのあげる線香がたゆたい、一種幻想的な 雰囲気をただよわせる。

有名デパートやショッピングセンターの敷地にも巨大なサンパプームが祭られ、買い物に来たひとびとのみならず、その前の道 を走る車の中から手を合わせるひとたちもいる。バイク上のひとがハンドルから手を離して手を合わせるのも毎度のことだ。祈りを捧げるために事故を起こさな いでねえ、とわたしもこれまた毎度ひやひやしながらそうした光景を眺めている

バンコクの雨で綿菓子アタマに変身

パースもバンコクも雨期に突入しているが、地球の南極に近いほう、パースは「冬」真っ只中にある。かたやバンコクは一応「夏」、雨のせいで湿度が高くどん よりと曇った空が鬱陶しい。自宅8階のテラスから辺りを見渡すと、前回の帰国のとき満開だった火焔樹の真紅の花が姿を消し、代わって緑が一層濃くなってき た。湿度のせいで、この時期バンコクの樹木は大変に密度を増すのだ。このマンションの周りは、まだ個人住宅の多い一角なので、まるで樹木の間にかろうじて 家が見え隠れするほどの緑の量である。

そしてその緑の幕の一角から、ちりんちりんと屋台のガイ・ヤーン(焼き鳥)売りの鐘が響き、マン ション前の小道にランチ時のひとびとが集まる。この回りで働くひとびとを狙ってか、5年ほど前からひとつ、またひとつと屋台が増えだし、今では5つほどの 店が開く。汁ビーフン、ぶっかけ飯、チャーハンに焼きそばなど、みな素朴なものであるが、わたしはランチ時になると、よくこれらの屋台を利用する。
今日も、焼き鳥ともち米ご飯を買いたくて、雨がやんだのを見計らって外に出た。包んでもらっているうちに、それまでオフィスの冷房の中でまっすぐだった髪が、突然の湿気を含んでみるみるうちに綿菓子のようなバクダン頭に変身してしまった。

寒いパースから暑いバンコクへ

おや、ゆきちゃんが鳴かないなあ、と思ったらバンコクだった。目が覚めてみるとエアコンが回っている。あまりに寒いのでそれを止めて窓を開けたら、湿度の高く熱い空気が、車の騒音と屋台の呼び声を伴って、どっと部屋に流れこんできた。

昨日の飛行機が遅れたために、家にたどり着くとすでに2時だった。スーツケースを開けたり土産物を取り出したりして、結局寝たのは3時過ぎである。疲れと、猫の「目覚まし時計」がないせいで、大層ネボウしてしまったことに気がついた。
バ タバタと支度をして、オフィスに出てから挨拶と多少のおしゃべりを済ませると、もう仕事である。大量の雑用書類がすでにデスクに置かれているし、珈琲まで 「砂糖なしミルク大さじ2」でその横に鎮座している。こういう二重生活を始めてもう2年以上になるが、豪州で子供相手の教師をしていることがなんだか夢の ようでもある。もちろん、10週間に一度の帰国では大したビジネスもできないので、それ以来「雑用」のみをこなしているわけだが、それでもやることは山の ようにある。隣の部屋でこちらを窺っている秘書は、いまだにわたしにとってコワイ「目の上のタンコブ」だし、働き者であるがゆえにわたしがノンビリしてい ると歯がゆくって仕方がないというふうだ。やれやれ。

夕食は、久しぶりのタイ料理。パースでも食べたことはあるが、正直言って「まず い」。辛さが中途半端だし、何しろ砂糖が効きすぎている。ハーブ類が十分ではないということも致命的だ。その点、このバンコクの自宅から5分ほどの場所に ある老舗のレストランは、どれを食べても美味しい。皿はプラスティックだし、スプーンやフォークは、ちょっと力をこめたらヒン曲がりそうなシロモノ。イン テリアも凝っていないし、従業員も華やかな衣装というわけではない。だが、料理は手を抜いていない。たとえ英語のメニューを置いていようとも、辛いものは あくまで辛く、バジリコとミントの葉もたくさん盛られている。もっとエレガントな店のように、骨なし鶏胸肉なんて使わない。多少食べにくくとも、タイカ レーには骨付きぶつ切りである。砂糖なんぞで、味を隠したりもしない。そして、潔く安い。