近視で乱視で老眼も、一度の矯正

夜雨戸を閉めようと思ったら、白いものが戸袋の先で揺れた。軒から落ちる雨水に 打たれたくちなしの花のつぼみだ。もうすぐ開きそうな気配である。今日のような霧雨は、傘をさしていても身体中にまとわりつくようであまり気持ちのよいも のではないが、夜の裏庭で濡れそぼった真っ白い花をいっそう可憐に見せる。

その「傘を使わせるのか使わせないのかハッキリしてくれっ」と 言いたくなるほどのふわふわ霧雨と雑用の合間を縫って、コンタクトレンズを買いに街へ出る。わたしの目は、眼鏡の厚みがデコボコになるくらいのトンデモナ イ乱視なので、今ハヤリのソフトコンタクトレンズでは視力がきちんと出ない。だから20年以上もっぱらハードコンタクトレンズを愛用している。
様々な検査のあと、最後に「それでは近い距離の検査をします」と言われて、初めてわたしにも「老眼」がこっそりと訪れたことを知る。わたしの知り合いのように コンタクトレンズを着けたまま、その上にさらに読書用眼鏡をかけるのかと思って憂鬱になったら、今はもっと便利なマルチコンタクトレンズなどというものが あるらしい。眼鏡とは違う構造の「累進多焦点方式」(何という難しい日本語)で、下を見ながら階段を降りても、遠近両用眼鏡のように踏み外してコロゲ落ち ることはないという。
ド近眼だった亡き父が新聞を読むときに眼鏡をはずすのを笑ったとき、「近視で乱視で老眼」の三重苦は今にあなたにも訪れるよ、と言われたことを思い出した。三重苦は訪れたが、ひとつで三役のコンタクトレンズをつけるだけで視力は矯正できる。便利になったものだ。

いや「百円ショップ」って楽しいですね

大型の100円ショップなるものが実家近くの商店街にできたのは知っていたが、中に入ってみたのは今回が初めてだ。
広い店内のものがなんと全て100円! とは思えないほどの品質と品揃えに、気がついたら山のように買いこんでいた。住んでいるひとたちはもう珍しくもなんともないのだろうが、外国からたまに 戻ってくるわたしには大変新鮮である。確か5-6年前からとても小さなそれらのショップがあったことは記憶しているが、「初めての一人暮し」または「新婚 生活」に必要なものが全て買えるような店ではなかった。
昔なら、100円という値段を聞いただけで「安かろう悪かろう」で消費者のほうが鼻もひっかけなかったに違いないが、時代は変わってしまったようだ。確かに庶民の通う店、居酒屋、小売店などは、数年前に比べると段々と安価なものを提供するようになってきている。

来 学期からパースの公立学校でまた教鞭をとることになっているので、お弁当用具一式をそこで購入した。今までは現地で買った普通のタッパーウェアで間に合わ せていたのだが、どうも底が深すぎて間が抜けている。「わ、なんてカワイラシイのを買ったのっ」と妹に笑われたが、実用性は高いのだ。ふん。

時間と空間の交差する散歩

母の愛犬ゆうちゃんは、13年前にわたしがプレゼントしたシーズーだ。「ゆうちゃん」という名は、母が故石原裕次郎の大ファンだったからという単純な理由 によってつけられた。わたしの家系は無類の動物好きで占められているが、いまだかつて命名上手が生まれたことがないらしい。

とにかく今や老犬と言ってもよいゆうちゃんは、目に薄く白い膜がかかりほとんど見えない。腰も弱い。しかし外に行くのは大好きなので、わたしは里帰りするたびに彼の散歩係となる。そして、毎日外に行けば当然隣近所のオバサンたちとも顔を合わせる。
「あ らー、ゆうちゃん今日はオカアサンとじゃなくて、オネーチャンとお散歩なのねー。よかったねー。」オバサンはわたしの「こんにちは」と同時にまずゆうちゃ んに話しかける。そして「わたしのオトウト」が満足げにしっぽを振るのを確かめたあと、やっとわたしの顔を見て挨拶を返す。「おかえんなさい。ひさしぶり ねえ。アメリカはどうなの? なんか戦争が始まっちゃって大変なんでしょ? バクダンとか落とされないでしょうね? このごろはブッソウなんだか ら。。。」

戦争はイラク国内だったこと、バクダンはアメリカには落とされなかったこと、そしてわたしがアメリカに住んでいないことを完全に無視し て、ただあいまいにそして愛想良くアイヅチだけはうつ。20年以上前にアメリカをスイスに訂正してからというもの、毎回の里帰りで根気よく10年ほどがん ばってみたが、それからはもう諦めた。ましてや、それから滞在した国々を列挙したら、オバサンはわたしのことを「昔っからちょっとリクツッポイんだから」 と断罪するだろう。オバサンにとって、「外国」とは「アメリカ」の同義語以外のなにものでもないのだ。

しかし「アメリカから里帰りしているがび ちゃん」は、20年前から変わらないオバサンの言葉に反して、その姿がとても小さくちぢんでしまったことに気づく。そう言えば、ゆうちゃんだって初めて見 たときにはまだ手のひらにすっぽりはいってしまうくらい小さな子犬だった。いやオバサンだって、わたしを見て「こないだ小学生だと思ったらもうあんなに年 取っちゃってねえ」と思っているかもしれない。

外国から里帰りすると、いつも決まって自分がタイムスリップしたような、自分の周りが実在していないような、そんな気持ちになる。