エカマイのOlive Greek Restaurant

以前住んでいたバンコクのマンションから歩いて3分ほどの近所に、地中海料理・ギリシャ料理の店がある。住宅街の入り組んだ細い道に面したとても小さなレストランだ。店の看板「Olive」が高く張り出ていなかったら、通り過ぎてしまいそうに住宅街に溶け込んでいる。
隣には汁ビーフンのもっと小さな間口の店があって、バイクタクシーの兄ちゃんたちのたまり場だ。時々サッカーに興奮した彼らの「おう」だの「よーよー」だのの掛け声がひっそりとした道に響き渡っている。

明るい店内に入ると、カラフルなクッションが居心地良さそうに沢山並んでいて、どこかの家に招かれたような雰囲気だ。

ここでの定番はMezze(メッゼ)と呼ばれるアペタイザーの大皿だ。メッゼは特定の料理を差すのではなく、様々な肉料理、チーズ、揚げ物、ディップ、オリーブなどを並べてあり、要するに酒を飲むためのつまみのようなものだ。

「Olive」のメッゼはふたつある。ひとつはクラシック・メッゼと呼ばれるオリジナルのものをまとめた大皿、もうひとつはそれにラム肉炒めとソーセージが追加されたさらに大きいセットだ。ギリシャサラダも食べたかったので、今回はこのクラシック・メッゼを注文し、自家製のポークソーセージを1本追加した。メッゼはひとつひとつ好みのものだけを選んでセットにすることもできる。

クラシック・メッゼの肉料理は三つ。チキンスブラキと呼ばれる鶏肉の串焼き、ラム肉の丸いパテ、そして春巻きのようだが実はもっと薄いフィロペストリーの皮で鶏挽き肉とハーブを巻いたもの。そこに、3つのディップ(自家製ヨーグルトディップ、ナスのディップ、スパイシートマトディップ)とたっぷりのオリーブがついてくる。籠には温かいピタの平たいパンが食べきれないほど。
このディップはバンコクの外人用高級スーパーにも出荷しているが、どれも美味しい。わたしのお気に入りはナスのディップ(=メリジャノサラタ)だ。レバノン料理のババ・ガヌーシュととてもよく似ている。

サラダの真ん中にはギリシャ産のフェタチーズの大きな切身が載せられ、トマト、きゅうり、そしてロメインレタス。カラマータオリーブもたっぷり入っていて、シャキシャキと清々しいサラダだ。ハーブドレッシングもさっぱりとしていて口当たりがいい。

クラシック・メッゼとギリシャサラダは、二人で食べるには十分過ぎるほどの量だ。ソーセージは抜いてもよかったかなと思うほど。それでも、「デザートは別腹」は鉄則なので、もちろんわたしの大好きなギリシャ風デザートのバクラヴァを一人分だけ注文した。バクラヴァはハチミツとナッツをパイ生地で来るんだお菓子で、パースでも売っているがトルコ菓子と同じように頭が痛くなるほど甘いことが多い。
用心しながら食べてみて、ビックリしてしまった。頭痛が起きない(笑)。甘いことは甘いが、それが材料の旨みを壊すほどではないのだ。たっぷりのハチミツは水気を含んであくまで爽やか、パイ生地はその水分を吸ってフォークで押すだけでジワジワと蜜が染み出す。ああ、至福の味。

小さな店のことでサービスをしてくれる女性は二人だけだが、忙しいなかキビキビと動き回り、その合間にも微笑みを絶やさない。

ゆっくりと晩ゴハンを楽しんだ後、外に出ると隣のタイ食の店はすでにシャッターが降りている。しんと静かな道に出ると乾季の涼しいそよ風が頬に優しくて、心地よい酔いと満腹感とともに少し歩いてみたくなった。

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さらば、胆石の日々 3

胆嚢摘出手術に関しては、オーストラリアの主治医やすでに同じ手術をした友達から「ああ、内視鏡手術なら日帰りね」などと言われていたので、軽く考えていたような気がする。実際「日帰り」で胆嚢摘出手術をした同僚は、2日家で療養したあとは普通に仕事に来たそうである。が、わたしの経過を見るに、こりゃ1日でそのままウチに帰って2−3日療養で済むわけがないということがわかった。体力の違いなのだろうか…。

ひとによるのかもしれないが、まず背中をまっすぐにして立てない。歩くとき前かがみで「く」の字のまま進む。まっすぐ立つと、大きな絆創膏を貼った内視鏡の穴がかなり痛むのだった。穴は全部で4つ。一番大きいのはおへそのすぐ上だ。この部分の絆創膏はまるで「お座布団」である。あとはお腹の前面にそれよりは小さめの穴が3つ。この全部の「穴」が歩くたびにつれて「イタタタ…」となる。おまけに、尿もほんの少ししか出ない。便もダメ。結局2日目には利尿剤と座薬のお世話になった。

「トイレに行くときは必ず看護師を呼んでください」のせいで、残尿感のあるわたしは頻繁に看護師を呼ばなければならず、そのたびに点滴を電源からはずし、ガラガラと点滴スタンドを引きずってトイレに行き、ドアは半分開けたまま、用足しが終わったら「すみません、終わりました」で色と量を点検される。看護師にとってはいつものことでも、慣れていないわたしには屈辱の時間である。

そして、肺の機能がまだ低下したまま。これは手術が1時間じゃなく3時間かかったための副作用か。
歩けないわけではないのに、ちょっと動くと息が切れる。「息は十分吸い込むようにしてくださいね」と、1日に何回も点検される血圧、体温、酸素吸入状態のたびに言われる。業を煮やした担当医がこんなヘンテコな機械を持ってきた。

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息を吹き込むのではなく、息を吸ってニコニコマークが真ん中辺りに行ったらしばらく息をとめる。この繰り返しを1時間に10回は続けろ、と。ヒマだということもあるし、早く退院したいのでこれはかなり繰り返し練習した。

そして、熱とこめかみが締め付けられるような頭痛。退屈な入院生活でこれは辛かった。毎日看護師さんが持ってきてくれる読売新聞も(まあ、好き嫌いは別として)ざっと読めるだけで、すでに目の前がぼうっとしてしまう。熱は3日の間常時37から38度ほどあり、頭痛はほとんど絶え間ない。睡眠薬をもらってからはずっと楽になったけれど。やはり、夜寝られないということが影響を及ぼしていたらしい。

看護師たちは本当に優しくて、隅々まで行き届いた世話をしてくれるし、ちょっとしたことにも笑いころげるカワイイひとたちだ。お仕着せの寝間着は病院の薄い緑色だが、それがわたしのネイルと同じ色だ!と言って他の看護師を呼んできて笑う。回復室にいたときと同じだ。

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大体手術の際にネイルなんぞしているのは普通はもってのほかで、絶対オフしておかなければいけないんだよ…と妹も友達も言っていたが、いや、そんなヒマもない緊急手術だったので、これは例外。

しかし4日間の入院生活は退屈で退屈で、頭痛がひどいにも関わらずこんなに読書をしたのは久しぶりだというくらい本ばかり読んでいた。やっと「それじゃ今日は退院できますね」と朝の検診で担当医に言われたときには、もうそのまますぐにでも逃げ出したい気分。それでも最後の検査と精算のせいで午後まで待機だ。

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最後の病院食である昼ゴハンは「和風ラーメン」を注文しておいたが、来たのはコレ。なんだか麺が見えないぞと思ったら、下のほうに隠れていた。半分ぐらいはエノキダケである。ラーメンというより実だくさん細ウドンに薄いスープという具合で、こういうものを食べていたら1ヶ月でゲッソリと痩せられるなあと思った次第。

2時になっても来ないのでシビレを切らして会計に電話を入れたら、ものの10分もたたないうちに2人のスーツ姿の経理スタッフが飛んできた。つまり自分で会計に行くこともなく病室内で精算できるというわけだ。クレジットカード用のマシンももちろん持ってきている。この2人1セットというのは、安全のためにタイにおける高額の精算では一般的である。後は歩いて下まで降りて、車に乗って…退院。

数日後にまた検診のため病院を訪れたが、外来は初めてだったので迷ってしまい、看護師がひとりついて3人の医者(責任者の年寄り医者、執刀した若い外科医、頭痛のために担当になった脳外科医)まで案内してくれた。ここらへんも、タイの至れり尽くせりのサービスと言っていい。待合ロビーにはピアノの生演奏が流れ、まるでホテルである。

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パースに戻ってコトの顛末を友達や同僚に話したら、「そんな素晴らしいサービスはオーストラリアじゃ望めないわねえ」と笑われた。よかったのか悪かったのか、パースで緊急手術だったら全て無料になるところをかなり自費で埋め合わせている。こちらは財布に痛いが、とにかく新学期には1週間遅れ、胆嚢はすでに無く、食事にはまだ身体がなじんでいないので少々下痢もあり、それでも元気に暮らしている。あの激痛から開放されただけでもラッキーだな、と思う日々である。

 

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さらば、胆石の日々 2

次の日、10月6日午後1時に手術。
手術室で色々な準備が続いている中、麻酔医から説明を受け、しばらく「手術室には結構沢山ひとがいるんだなあ」と思ったら、次に気づいたときはすでに回復室で寝ている。「麻酔しますよ」も「さあ始めましょう」も何もない。いきなり、はひどいよなあ。

回復室ではもうろうとしているし、喉の痛み(これは手術中の酸素吸入器のせい)で声があまり出ない。時々頬を優しく触られて「息をしてくださあい」と言われたのだけは覚えている。
その次に覚えているのは、看護師が3人わたしの指のネイルアートを見ながら「これって本物、それともニセの爪?」と話していたこと。「本物ですよ」と言ったら「へええ」と珍しそうに3人で覗き込んでいる。わたしが胆嚢摘出手術をしようがしまいが、世の中平和なのである。

手術は最初1時間と言われていたのだが、あまりの胆石の大きさに3時間に及んだ。内視鏡手術だったので穴は4つ。開腹していないので絆創膏が4つついているだけだ。時間が長かったせいもあり、わたしの肺は少々機能が低下してしまい、回復室に残っていた時間は2時間を超えた。その後は病室に戻り、繰り返し血圧だの酸素だの体温だのを測られ、ずっと寝たきりだ。やはり動くと傷口は痛い。それに、まだ頭がぼうっとして話をするのが辛い。

手術をしてくれた医師が来て、ニコニコとわたしの「胆石」を見せてくれる。何と直径3.6cm。4月の健康診断のときには2.1cmと言われたのに。ピンポン球とまでは行かないが、どう見ても「みたらしだんご」よりははるかに大きい。お土産にもらったが、それを見る看護師たちもみな感嘆したように「なんとまあビッグ!」と言うので、たぶんあまり見かけないほど大きいのだろう。こんなに大きく育ててしまったわたしは、つまりアホウ以外の何物でもない。あまりにグロいので画像で紹介できないのが残念。

翌日は、もう元気…でもないが、それほど頭がぼうっとしていない。というより頭痛がひどいので鎮痛剤を処方してもらう。
部屋はロイヤルウィングなので快適な個室だ。

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テレビや介護者用のソファベッドまでついているし、金庫、冷蔵庫、電子レンジまであり、トイレに緊急ボタンや手すりがついていなければ、至れり尽くせりの広々としたホテルの部屋のようである。

食事はタイ、洋食、和食の中から選べるようになっているが、わたしは昼まで点滴のみ。そのせいか、手足がかなりむくんでいる。

2015-10-06

午後になってようやく昼食がきたが、薄いスープとおかゆ。実はわたしはおかゆが嫌いである。うーん。スープだけはなんとか飲み干し、おかゆはそのまま残した。夕食も和食を選んだが、これがまた…おかゆ。そしてオカズの塩気がほとんどない。ハッキリ言って、まずい。またも半分しか食べられなかった。

2015-10-07

しかし、身体は朝晩2回キレイに拭いてくれ、新しいパジャマに着替えさせてくれるし、シーツ類も1日2回変えてくれる。体温調節が上手くいかないのか、かなり汗をかくのでこれは嬉しい。

ただし少し胸が苦しい。呼吸が上手くできないせいだろうか。そのことを言ったら、今度は移動性レントゲンの機械と心臓図の機械がやってきた。それで、胸部のレントゲンと心臓の検査。肺に少し水が溜まっているようだが、心配するほどではないと言う。心臓は問題なし。
点滴はすでに抗生物質だけ。それでも「繋がれている」(イマドキの点滴はデジタルで電源に差し込んである)ので、トイレに行きたいときは必ず看護師さんを呼ばなければならない。尿量のチェックもある。これがちょいと苦痛だ。後ろに立たれていると思うと出るものもすぐには出ない。

そして3日目。今日こそは退院だろうと思ったら「肺機能がまだ低いので、もう1日」と言われてしまった。もうひとつは、まったくひかない頭痛。手術後から定期的に鎮痛剤をもらっているのだが、それでもこめかみがキリキリと押されるように痛い…と看護師に訴えたら今度は脳神経外科の医者が来た。検査をして「きちんと寝られますか」と聞くので「看護師が2時間置きに来るのであまりよく寝られない」と言ってみる。これは本当だ。夜中にも抗生物質の交換と呼吸と血圧と体温の検査があって、普段から眠りの浅いわたしは必ず起きてしまう。「それでは、睡眠薬も処方しましょう」とのことで、その晩はかなりぐっすり。一度だけ看護師が来ていたのはわかったが、そのままウトウトとまた眠りに落ちてしまった。

実はこの日、10月8日はわたしの誕生日である。その日を病院で点滴に繋がれながら迎えるのは初めてだった。