センセイがやっぱり泣いてしまう日

卒業式が近くなると、毎年12年生の生徒たちのほとんどがカードとプレゼントを持ってきてくれる。今まで何年も教えていた生徒たちなので、いきなり抱きついてきて「センセイ、今までありがとう!」なんて言われると、こちらも目頭が熱くなってしまうときだ。

プレゼントも嬉しいが、その心のこもった手書きのカードに泣かされることも多い。その子の成績に問題があって世話を焼いたことが数知れない場合は、特に。
彼女にはずいぶんと時間を割いて添削をしたし、会話の補習も朝早くか放課後に集中した。10年生のときまでは成績がよかったが、文法が難しくなるにつれて他の子たちとの差が出てきた。それでも言われたとおりに作文の練習もスキャンして送ってきたし、受験が近づくにつれて会話も少しずつスムーズになってきて、ほっとしたものだ。

受験が終わり、どうしているかなあと思っていたら、明後日の2016年度修了式のための合唱練習の合間にオフィスに寄ってくれた。12年生は入試期間からすでに授業はない。「センセイ!」と呼ばれて振り返ると、満面の笑みを浮かべて私服姿のその子が立っていた。

「今日はセンセイに御礼が言いたくて寄ったんです」と言いながら、小さな袋とカードを渡してくれた。袋の中には黒く艶のある玉を並べたブレスレットが。彼女が帰ってから封筒を開けてみると、美しい手製のカードだった。中学生のときから手先が器用で、趣味は小物のクラフト細工だった子だ。

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この何年もの長いあいだ先生に教えてもらったこと、本当に本当にありがとうございました。先生のおかげでわたしは段々と日本語に興味が持てるようになったんです。先生は知識と細部まで丁寧に教えられる技術を持っていて、本当に素晴らしい先生です。

先生はわたしが7年生のときから教えてくれていましたが、もう最初からずっと一人ひとりの生徒に目が行き届いていて、だからみんな日本語とその日本語を勉強することが好きになったんだと思います。

特に卒業までの2年間、段々と自信がなくなっていたわたしを力づけて最後まで色々と補習やアドバイスをしてくれた先生に感謝しています。

先生はわたしにとって一番特別な先生です。これからもずっと先生と連絡できるように願っています。
本当にどうもありがとうございました!

何だか鼻につんと来て、オフィスの自分の席でほろりと涙がこぼれた。
色々と辛いことや悔しい思いをした2016年だったが、わたしは生徒にだけは恵まれている。そして、だからわたしは教師が辞められないのだと思う。

明後日の修了式は、12年生たちが制服を着る最後の日だ。
わたしの肩までの背だった小さな少女が成長し、若い女性のしなやかな身体を翻して修了式の終了とともに会場の外に駆け出していくことだろう。彼女の未来を思って、何だか寂しいような楽しいような複雑な思いに、カードを胸に抱いてほうとため息をついてみる。

 

同窓会を終えて、センセイは人知れず涙を拭う

「センセイ、ウチアゲをしましょう!」というサブジェクト名のメールが来たのは、2週間前のこと。

メールは、懐かしい2012年の日本語教室卒業生からだった。ウチアゲというのは「打ち上げ」のことだ。ウチの学校の日本語教室では、11年生と12年生になると年2回の期末試験のあとで必ず日本料理店でその終了を祝っている。年中行事なので、上級生期末試験の日程が発表されると「センセイ、ウチアゲは終了後のすぐ次の週ですね!」なーんて、自分の科目の日程とともに「ウチアゲ」の日付も手帳に書き込む生徒も多い。

もちろん行き帰りは父兄による送迎のみ。近くに住む子たちは、乗り合いでひとりの親が送迎することもある。16−17歳の少女たちなので、最後のひとりの迎えが来るまでわたしはレストランの外で仁王立ちで待つ。

そんな経験は、3年前に卒業した生徒たちも同じだ。だから、日本語は忘れちゃっても「ウチアゲ」という言葉は覚えているらしい。今回のは「ウチアゲ」ではないことを教えなくてはならないと思いながら、打診された日時にOKして出かけて行った。

ウチの学校を卒業してから初めての同窓会だということで、3年間全く会っていなかった子たちもいる。夜のお出かけなので、女子校出身ともなれば化粧にもドレスにも気合いが入る。そりゃ、高校生だったときのウチアゲだって皆「自分の持っている中で一番いい服」と「30分以上かけたお化粧」で登場していたが、3年たって少女から若い女性になっている彼女らは、それはそれはキレイだ。

ほとんどの子が21歳なので、すでに卒業して(オーストラリアの専門課程は3年)働いている子もいれば、専門をふたつとっているためまだもう1年の子もいれば、大学院に残った子もいる。

最初は少々ぎこちない。が、そりゃこのぐらいの年の女の子たちのこと、すぐにまた元通りに打ち解けてゴシップに花が咲く。「XXはカレシと別れたんだってさ」「XXはもうすぐイギリス留学らしい」「こないだXXを街で見かけたんだけど、無視するんだよ!」などなど。

楽しい時間を過ごして外に出ると、すでに10時だ。「さ、センセイ、これからクラブに行くよ」…って冗談でしょ。それは若者だけの特権なので丁寧に辞退した。
「今日は誘ってくれてありがとう。とても楽しかったし、何よりもあなたたちがセンセイのことを思い出してくれて本当に嬉しいの」「やだー。センセイのことを忘れるわけないじゃない。大学では日本語を選択しなかったけど、高校のときはセンセイに怒鳴られながらも日本語授業は一番楽しかったし、センセイが一生懸命わたしたちのことを考えてくれていたのは絶対忘れられないし。センセイもわたしたちのこと忘れちゃダメだからね」

センセーまた会おうねー、と口々に言う「元生徒たち」に手を振って車に乗った。

忘れるわけないじゃない。
AよりCのほうが多い年の生徒だったが、補習は欠かさなかった。
明るかったひとりの生徒は受験のストレスで口数が少なくなり、わたしが母親に連絡してカウンセラーと会えるように手配した。そのことに気づいたのは学校ではわたしだけだったらしい。あとで母親に手を握らんばかりに感謝された。もうひとりの生徒は表情に乏しく全く笑わないことでいつも問題を起こしていた生徒だが、日本語教室ではかなり笑い冗談も言うようになっていた。「やっぱり言語に興味があるんで、言語学の研究に進みます」と今回ハッキリと言って、ニコリと歯を見せた。
和気あいあいとした雰囲気が最後まで残っていたクラスだ。

みんな成長しちゃったけど笑顔だけは全然変わらないな、と運転しながら感慨にふけっていたらふと涙が出た。こういう生徒たちを教えることができて、わたしは幸せなセンセイだと心から思った。

 

宿題のないオーストラリアの夏休み

日本では夏休みが始まり、よく訪れるソーシャルネットワークのサイトでもちらほら「宿題」の話が出始めた。すでに課題に着手している子供たちもそりゃあいるだろうが、大半は8月半ばすぎから尻に火が着いたように始めることだろう。あの時代のわたしのように。

オーストラリアでは、季節が逆なので12月半ばから1月末までが夏休みだ。北半球のほとんどの国では夏休みのあとの9月に新学年が始まるが、こちらではそれが2月に当たる。つまりほとんどの国では「秋」が学年の始まりなのだ。

長い休暇のあとに学年がひとつ上がり、クラス編成も変更になり、科目の担当教師も変わることが多い。従って、「宿題」が出されることはほとんどない。
休暇は休暇だ。家族や友達と出かけたり、好きなことをして過ごすこ とが「義務付けられている」。四学期制なので、年に3回それぞれ2週間の休みがあり、年末の夏休みは6週間。それでも、受験生である12年生には宿題を出 すが、それはこの7月の「冬休み」が終わったらすでに期末試験と大学入試が待っているからだ。最上級生は、だから時々わたしにPDFファイルに変換した作 文練習を送ってくるので、必ず添削して送り返すことにしている。
7年生から11年生までの生徒には、全く宿題がない。学力的には問題のある生徒ももちろんいるが、休みは休み。まあ私立校ともなれば、教師は新学期の準備でかなり忙しいが、それでも部活の合宿があるひと以外は、義務として登校することはまずない。

日本の夏休みは学年の真ん中なので、不幸なことに宿題だの課題だのがゴッソリ出される。教師にとっても夏休みなんて「休み」でもなんでもない。補習授業はあるし、部活はあるし、どこが休みなんだよと言いたくもなるだろう。

「休暇」に対してどうも後ろめたい雰囲気があり、何かしなければならないという焦燥感にとらわれているような気もする。祝日はオーストラリアよりはるかに多いが、それも「祝日にしないと休暇もとらない」ひとたちがいまだに大半を占めているから、というのはどこかで読んだ。

さて、来週授業が始まったら1番に返さなければならない採点以外は、わたしも何もしていない。明日の朝、パースに着いたら週末返上で準備しなければ、と今から何だか気が重い。こりゃ小学生の夏休み最後の週に徹夜で仕上げた課題のときと全く同じだ。
やれやれ、わたしは全く成長していないんだなあ。