サウス・パースのRed Cabagge Food & Wine

「高速道路に入らないように気をつけてね」と、この店を紹介してくれた友人から言われていた。ちょうど高速道路に入る道の角などというとんでもないところにある店だからだ。一旦曲がってしまったら、そのまま高速道路に誘導されてしまう道だ。それどころか、看板の目立たない高級マンションの1階にあってただでさえわかりづらい。「Googleさんに曲がれと言われる前に、左に曲がってその道端に車を停めること」つまり、レストラン自体には駐車場もない。

わたしは迎えに来てくれた友達をGoogleとともに決死の勢いで誘導し、もう少しで通り過ぎてしまう前に左に曲がって車を停めた。ほっ。

店自体はどちらかと言うとこじんまりとしていて、60年代風の内装だ。面白かったのはワインの並べ方と、バーの壁にかけられた「今、ワイン時です(It’s a wine o’clock)」と時報を真似た看板。

アラカルトもあるが、初めて来た店ならやはりDegustationまたはTasting Menuと呼ばれる七皿のコースメニューにした。シェフの腕の見せどころである。

最初に来たのはアミューズ・ブーシュ。コースの一番最初に出されるとても小さな前菜はこう呼ばれる。

キノア、トマト、赤かぶスライス、フレッシュークリーム を自家製マヨネーズで和えてある。ちょっと酸味がきついなあと思ったが、トマトの美味しさに思わず「新鮮」という言葉が頭に浮かんだ。

次は主前菜。 さっとグリルした帆立貝とキュウリにバターミルクとディルが添えてある。

わたしは帆立貝の刺し身も大好きだが、こんなふうにさっとグリルしただけで中がまだ生、つまり「タタキ」の調理法で出される帆立貝の美味しさにはいつも心を打たれる。ほんの少し強火を加えるだけで、甘みが増すからだ。

さて、主菜の魚介はエクスマウスの大海老だ。レタスのピクルスに包まれ、トマトマヨネーズが添えられている。

しかし見た目はレタスに覆われていて、何がなんだかわからない。これを剥がしてみると…

真っ赤な海老が現れた。たぶんキムチにつけてあったのだろう。千切りレタスもキムチ味でマヨネーズでコクをつけてある。

主菜には鮭を選んだ。普段家で食べる鮭は塩をさっとふって半日置いた、いわゆる「塩ジャケ」だ。 シンプルだが、これを白飯で食べるのは昔からの好物である。ただし、外で食べるときに「今日の魚」に鮭が入っていたら、必ず試してみる。こちらの調理法は完全に火を通さないミディアムレアで、自宅で食べるものとは趣旨が違って面白い。

薄くスライスした酢漬けカブが覆っていて、何がないやらちょっとわからない。このレストランのシェフは、どうも包み料理が好きなようだ。ちょっとした驚きもあって楽しいけどね。
それを剥がしてみると…やっと鮭が現れた。その上に乗っているのは塩漬けにされた生鮭のスライスだ。カブのクリームとローストされたパインナッツが添えられている。

見てもわかる通り、鮭は完全に火が通してはあるが半生状態でほどよく柔らかい。酢漬けのカブと一緒に食べると、何とも不思議な歯ざわりで美味しい。
このちょうどよい「半生状態」が家庭では難しい。いや家庭どころか、「火の通った半生」ではなく、外側だけが焼けていてまだ冷たい生の状態の鮭を供するレストランもいくつかある。ステーキも同じだが、きちんと焼けないレストランは信用しないに限る。

友達の主菜はラムのヒレ肉ステーキだ。ローストしたマヨネーズとラム挽肉のオーブンローストが添えられている。このラムのステーキが絶品だった。違うものを頼んだら、一口だけはおねだりしてしまうが、このラム肉、口の中でとろけそうなほど柔らかい。フライパンは鉄だろうけれど、こんなふうに完璧な火加減にできるレストランは少ない。

その後はチーズだ。チーズだから塩辛いだろうとひとくち口に含んでびっくりしてしまった。チェダーチーズには洋梨のシャーベットが添えられ、ブルーチーズにはホワイトチョコレートがからんでいる。まあ、これはこれで斬新なのだが、あまりの甘さにわたしは半分残してしまった。デザートの前のチーズには甘みを添えないでほしかった。

ここで出てきたのが「口直し」の小さなデザート。ブドウとスイカのシャーベットに凍らせたブドウが散らしてある。さっぱりとしていいが、氷ブドウは冷たさと歯ざわりのみを味わうためなのか…冷たすぎてブドウの味が全くしないのは残念だった。

最後の主デザートは、ピーナッツバターのアイスクリームにラズベリーのメレンゲとチョコレートムースの三段重ね。チーズのあたりからソースばかりが続き、噛みごたえがあまりない。ここらへんで小さなケーキなど出てもよさそうなのにと思った。

これだけ食べると、腹ははちきれんばかり。主菜のあとは少しずつ残してはいたものの、もうすでに珈琲さえ入る余地もない。

しかし、もう一度行くとしたらアラカルトで注文したい。前菜一皿に主菜(今度は絶対ラムだ)が一皿、そして食後の珈琲。これだけで十分だし、テイスティングメニューの主菜以降には少々不満が残ったので。

もうひとつ、こうしたFine Diningと呼ばれる高級店にしてはサービススタッフが少なすぎるのか、皆走らんばかりの忙しさだ。普通なら各テーブルに「いかがですか?」とにこやかに訊くのが礼儀だが、それもない。食べたばかりの皿についてほんのちょっとした会話を楽しむこともない。フロアマネージャーはスタッフと給仕のマネージメントで忙しすぎるのか、これも客の顔やテーブルの皿の空き具合をちらりと見るだけで、風のように通り過ぎて行く。なんとも余裕のないサービスだ。

食事は十分満足の行くものだったが、満点とは言えない。それでも楽しい食事とワインで、忙しさに眉を寄せてばかりいたストレスがきれいに流されていった。

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学校におけるセクシュアリティーとジェンダーの課題

学校が今週から職員ウィーク(生徒たちはまだ休暇中)として始まり、水曜日は「多様な現代のセクシュアリティーとジェンダー」と題してのセミナーがあった。

LGBTIの概念について、最初に基盤となるのがSex。つまり「生物学上の性別」のことだ。ここにいるのが「男」と「女」だが、まれに両方の性を持って生まれてくるひともいる。これがIntersex(性別としては中間性)だ。程度の差こそあれ、性別の判断が難しいひとのことだ。日本語では半陰陽と呼ばれることもある。人口の1.7%ほどのひとがこの性質を持つので極少数だと思われがちだが、「赤毛」のひとが人口の2%しかいないことを考えれば、百人のうち同じように二人ほどいると思えばいい。

その上にあるのがGender。つまり「社会的・文化的性別」のことで、肉体的性別ではない。やはり「男」と「女」があるが、ここに含まれるのがTransgender(トランスジェンダー)だ。心と身体の性別が一致しないひとたちのことである。「性同一性障害」と呼ばれることもあるがこれは医学用語であり、全てのトランスジェンダーには当てはまらない。心と身体の性別が一致しなくても、必ずしも「身体的治療」を求めないひとたちがいるからだ。

そして最後にそのGenderの上にあるのが、Sexual Preference(性的嗜好)だ。ここにはレスビアンとゲイが含まれる。ゲイには実はレスビアンも含まれているのでどちらの性的嗜好者もゲイなのだが、一般的には男性同性愛者を指すことが多いので、レスビアンも別に加えたということらしい。バイセクシュアルは両性愛者で、どちらの性も愛することができるひとたちのことだ。

そしてこのL(Lesbian)G(Gay)B(Bisexual)T(Transgender)I(Intersex)を合わせてLGBTIと呼び、「多様な現代のセクシュアリティーとジェンダー」と題してのセミナーだった。もっと詳しくLGBTQIAと言うこともあるが、今回はこのことには触れていない。

そして、最後に登場したのがトランスジェンダーの男性だ。
彼は実はウチの学校(私立女子校)出身者だ。男の子だけと遊び、髪は短くスカートを履いたことは一度もなかった。そして4年生のときに公立小学校からウチの学校に転校してきた。初めてスカートを履くのは居心地が悪く、苦痛でもあった。それまではあまり意識したことがなかった「女の子」でなければならない自分を意識するようになったのも、そのころだと言う。

性の芽生えのある中等部にいたときが精神的ダメージの始まりだった。
周りの女の子たちは皆一様に男性俳優や歌手に熱を上げ、隣の男子校の男の子たちとの交際の話ばかり。それに興味のない彼はからかわれ、いじめを受けた。肉体的いじめは、女子校の場合ほとんどない。それはちょっとした言葉の投げかけ、皮肉、笑い、彼を見ながらこっそりと話して意地悪な視線をよこす、などだった。それでも、毎日となると学校に行くのさえ苦痛だったが、両親も学校も彼の様子が段々と暗くなっていってもあまり気にする様子もなかった。無視することで早くそうした時期が過ぎ去るのを待っているふうだった、と彼は言う。

ついに我慢できなくなり、彼は決心して女子校を辞め近くの公立共学校に移った。12年生(日本の高校三年生)の最後の年が始まる二週間前のことだった。
だが、新しい学校に馴染むのは難しかった。ただでさえ受験で忙しい12年生だ。誰も新入りの「おかしなヤツ」にかまってくれる生徒もいなかった。8年間女子校にいればもちろん友達はできる。が、学校を離れたとたんそちらも疎遠になった。孤独を感じて自殺を考えたのもそのころだ。だから、それを振り切るように猛勉強した。肉体的治療を受け始めたのは大学に入ってからだ。そして教員免許を取得し、今の「トランスジェンダーとしてのセラピスト、スピーカー」として職を得るまで、高校教師として公立校で働いていた。

「僕はラッキーだった」と彼は言う。大学を卒業し、性を変えるための治療をすることもでき、教師としての職も得た。両親は彼が女の子でなくなったことを決して認めようとはせず、現在でも距離があるが、それでも金銭的援助を惜しまぬほどには余裕のある家庭だった。
今まで知り合ったトランスジェンダーの親しい友達は10人いた。そして、10年の間に5人自殺してしまった。失業、職場でのいじめ、金銭的困窮、交友関係のゆがみ。だからそうしたひとたちを少しでも助けたい、と彼は思う。

「学校にだって必ずLGBTIの子供たちがいるのです。そして助けを必要としている。僕たちのことをよく知らない教師たちが困惑しているのはわかります。でも、理解はできる。理解しようと試みることはできる。せめて僕たちの話を聞くことはできる。そうした教師がひとりでもいてくれたら、僕のあの苦しい10代に安堵の光が差したことだろうと思います」
「だから、生徒たちをBoysとかGirlsとか呼ばないでください。Students、と呼びかけてください。学校の卒業ダンスパーティーに行くときに、少女が少女をパートナーとして連れて行くことを禁止しないでください。教師が理解を示さなければ、生徒たちが許容できるわけがないのです」

10年ほど前、わたしがまだこの学校に来て間もないころ、12年生の担任をしたことがある。そのときの卒業ダンスパーティーの前にある少女が「わたしの一番好きな友達(他の学校の生徒)をパートナーとして連れて行ってもいいですか」と学年主任に聞いた。答えはNOだった。理由は「パーティーは伝統的で格式のあるもので、その格式にふさわしく少年だけがパートナーとしての資格を得る」から、だった。彼女は結局ひとりでパーティーに来た。

パートナーとなる他校の少年たちが皆「ボーイフレンド」ではない。友達の友達だったり、兄の友達だったり。今でこそひとりで来る12年生の少女たちもいるが、それでもそうした「間に合わせ」の少年を連れてくる子も多いのである。それなのに「同性」のパートナーはダメ、と。

何年か前に某女子校でそうした禁止事例が問題化し、Facebookで「同性の友達を連れて行って何が悪い!」という運動にふくれあがり、メディアのニュースにまでなったことがある。そのせいなのか、今ではウチの学校でもパートナーの性が問われることはない。

わたしの去年のクラスにはひとりやはり「同性に惹かれる」ゲイの少女がいたが、はっきりと率直に発言できる子で友達も多い。この子のせいでかなりLGBTIに対する理解が進んだような気がするが、生徒たちの気持ちまではわからない。いずれにせよ、ウチの学校では偏見と差別は徹底的に排除される方向に進んでいるし、それを公にもしている。

余談だが、ウチの学校にはもちろん女子トイレ(生徒用)、男子トイレ(男性スタッフ用)、女子トイレ(女性スタッフ用)があるが、そのほかにUnisexトイレ(どの性でも使えるトイレ)というものもある。何人も同時に入れて個室が並んでいる他のトイレと違い、このUnisexトイレだけは鍵のかかる独立した個室だ。

性的マイノリティーへの配慮と許容は、現代の学校とひいては社会が関心を持たなければならないことのひとつである。
オーストラリアではインクルージョン(Inclusion)教育がさかんに叫ばれているが、Inclusionとは生徒たちが区別なく学ぶ機会をつくることであり、それはDiversity(多様性、相違性)とともに等しく語られなければいけないことだ。理想的なインクルージョン教育を考える上で、今回のこのLGBTIセミナーは大変興味深い課題を残してくれたと思う。

National LGBTI Health Alliance Australia

<追記>
学校という環境に特化したLGBTI支援活動に関しては、Safe Schools Coalition Australia(オーストラリア・セイフ・スクール連合)という非営利組織がある。LGBTIの学生、スタッフ、そして家族にもっと排他的ではない安全な環境を作り出そうと、様々な学校と協力するオーストラリア国内のネットワーク組織だ。
全ての学生は学校というコミュニティーの中で安全に勉強できる権利があり、それを守る環境・媒体としての学校を提供するのはわたしたちの義務だからだ。

こうした組織が政府の協力を得て立ち上げられていること自体、日本よりはるかに進んでいると言わざるをえない。

Safe Schools Coalition Australia
http://www.safeschoolscoalition.org.au/

 

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全額負担の日本診療で知るオーストラリアとの違い

恒例の正月一時帰国は、弟の家族と妹も一緒で家族全員集まり楽しく過ごした。
集まったと言っても数日のことでわたし以外は皆仕事に戻り、それからは母と二人きり、実家での静かな生活だ。

…と思ったら、一度大雨でぐっしょり濡れて帰った翌日どうも喉が痛い。わたしはよく扁桃腺が腫れる。そして、腫れたら必ず高熱を発する。そんなわけで戦々兢々の2日ほど過ごしたわけだが、今度は咳と痰が出始めた。手が熱い。息も熱い。頭痛もひどい。それなのに、熱はまだそれほど上がらない。36.4度。

それでも、やはり医者に行ったほうがいいかなと思い始め、近くの医院に行ったら運の悪いことに木曜日は休診日。もうひとつの医院まで続けて歩いて行ったら、そこも木曜日は休診日だ。仕方なく、そのまま家に戻ってベッドに潜り込んだ。

そして、夕方になると本格的に熱が上がり始めた。38.2度。これはマズイ。母に訊くともうひとつクリニックが駅の側にあるらしい。わたしが支度をしている間に母が電話をしたら、夜7時まで開いているのですぐ来るようにとのこと。そのときすでに6時半。熱があるので外に出たらフラフラする。何だか酔っ払いのようにゆっくりと歩いて3-4分、クリニックに着くと誰もいない。
「すみませぇぇん…」といつものわたしとは全く違う、蚊の鳴くようなカスレ声で言うと、中からアシスタントのひとが出てきた。
「保険証は?」
「ありません、一時帰国なので」
「帰ってくる予定がありましたら、それまで保険適用保留にもできますが」
「いえ、一時帰国ですから、国民保険を取得する予定は今のところありません」

内科医はとても親切なひとで、「うわあ、それは大変だ」「うわあ、ずいぶん喉が腫れていますね」とイチイチ八の字眉毛にして気の毒がってくれたが、最初から熱がどっと上がったわけではなく、その他の症状が先に出ているので風邪と認定。
そう言えば、昔ひどい扁桃腺炎にかかったときには日本語会話試験の最中に熱が上がって友達に迎えに来てもらったっけ。あのときは41度という高熱でひとりで歩けなくなったほどだ。

保険ナシの「全額自費」と書かれた請求書を恐る恐る見たら、なんと4030円。このぐらいは保険アリのオーストラリアでも普通の診療に払う金額だ。日本は医療費が安いと言われているが、本当だったんだな。これの三割負担だったら大したことはない。

処方箋をもらい隣のビルの薬局に行くと、また訊かれた。
「保険証は?」
同じように応えると、同じような質問の「でも後で帰ってくるようでしたら…」と訊かれ、また同じ答えで応じた。「保険証がない患者」というのはやはり少ないらしい。

処方箋をきちんと見ていなかったので、出てきた薬の量に驚いた。なんと五種類。抗生物質、風邪薬、痰を切る薬、咳を鎮める薬、最後のは熱冷ましだったかな。それが五日分である。今度こそとんでもない支払いになるのでは、と思ったら拍子抜けするほどの2800円。
他のひとの払っている金額は300円だの500円だのだから、そのひとたちから見たら一体どんなものすごい病気かというような額ではあるが。

日本で初めて「おくすり手帳」をもらってちょっと嬉しかったので、写真も撮ってみた。

しかし、日本の薬のなんと小さくてのみやすいこと。
オーストラリアはひとも大きいが薬のサイズも巨大だ。日本のもののように三つ四つまとめて口に放り込むなんて到底できそうもない。

日本の錠剤と比べてみたのがコチラ。
左上の赤い錠剤は毎日朝晩1錠ずつのわたしの常用薬。下の紫色の錠剤はマルチビタミン剤。どれだけ大きさが違うか一目瞭然だ。倍以上である。これを毎日のまなければならないわたしの苦労たるや…。

いずれにせよ、今回生まれて初めて日本で「保険なし、全額負担」で医者にかかってみて、さほど大きな負担ではなかったことに驚いた。これがオーストラリアだったら、保険なしでは数万円が飛んでいったところだ。これになんと歯科治療までついているのだから羨ましい。オーストラリアでは、歯科治療は保険適用外だ。だから全額負担か、改めて歯科用の保険をかけるしかない。

その代わり主治医から直接病院に指示が出た場合、例えば前回のわたしの大腸内視鏡検査の場合などは全額無料、ただし公立病院を選ぶととんでもない期間待たされることもある。わたしのときは半年ほど待たされたので。

これが一般のCTスキャンなどだと話が違う。日本だと7000円ぐらいだそうだが、こちらでの自己負担は全額約7万円のうち3万円ほど。それプラス主治医のところで結果を聞くだけで10分3000円ほど請求される。

それでも、公立病院の救急外来は24時間無料だ。この場合はもちろん症状のひどい患者に優先権があるので、待たされる時間は状況による。わたしが胆石症発作で行ったときには、最初診てもらったのは20分以内だったが、危険ではないとしてその後ベッドで3時間も待たされた。
最終的にわたしの危険度最高の胆石症発作が起こったのは、運悪くバンコクだった。つまり、このオーストラリアの「緊急外来で即手術しかも全額無料」の恩恵には与れなかったわけだ。残念。

もうひとつの違いは、日本ではかなり安易に使える無料の救急車だ。オーストラリアの救急車は消防の管轄ではなく各々の病院から発車される。つまり有料である。州によって違うけれど約9万円ぐらいか。カバーできる民間の保険もあるが、国民保険には含まれていない。だから滅多なことじゃ使わないのだ。わたしの胆石症発作のときだって、救急車なんぞ呼んでいない。友達の車で緊急外来に送ってもらっただけだ。

どちらが良いとは一概には言えないが、風邪をひいたおかげで日本とオーストラリアの医療の違いがわかって興味深い。

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