お隣へお呼ばれに

今晩は、お隣の家で遅いお年始の酒盛り。ちょうど妹も仕事が休みだったので、母と三人でツッカケ履きで出かけていった。お隣と言っても、実は20年前に亡くなった先代が母の従兄弟だったので、遠い親戚に当たる。従兄弟の息子にも確か続柄では名前があったと思うが、よく覚えていない。
そんな話から、彼(つまりわたしの母の従兄弟の息子)の奥さんが何年もかけてつくった「先祖四代まで遡った家系図」(もちろんわたしの実家も入っている)を見ながら、話は夜更けまではずんでしまった。長い年月の間には、様々な人間模様もあり、愛人と出奔したり、父親の違う子を3人産んだり、逃げた女房が他のオトコの子供を身ごもって帰ってきたり、酒で身上つぶしたり。81の母は、昔話をしているうちにどんどん思い出し、家系図の穴ボコがこれまたどんどん埋まっていった。

しかし、年とって独り暮らしとなった母は、もう昔のようにおせち料理を全て手作りで詰めることはない。
だから、お造りで出てきた「ひたし豆」を見たとき、妹と顔を見合わせてしまった。つくってくれたお隣の奥さんは、長野の出だ。そして、実はわたしの母の祖母、つまりわたしの曾祖母はやはり長野のひとだった。
母はその曾祖母から代々伝わった「ひたし豆」を、10代のときの見よう見まねからずっと毎年つくってきたのだった。
ひたし豆は青大豆とも言うが、わたしたちにとってはいつも「ひたし豆」以外の何物でもなかった。つくるのは簡単だが、時間がかかる。1晩水に浸し、塩をたっぷり入れた熱湯で茹でる。そして、だし醤油で味が染み込むまで、つまり元旦まで浸しておく。
正月しか食べない季節モノだが、母と結婚して初めて食べた亡父が病みつきになったと言う。
今晩は、お隣の奥さんもフンパツして数の子も散らしてある。美味しいね、とお世辞ではなく心底言いながら、わたしたちは酒とともに楽しく懐かしい夜を過ごしたのだった。

女三人、焼肉の夕べ

東京最後の晩、母と妹と一緒に近くの焼肉屋に行った。つい1週間ほど前に開店したところだから、何もかも清潔で新しい。まだ早い時間だったので、あまり客もいない。注文した品は十分とたたないうちに次々と運ばれてきた。

「こちら、カルビと上ミノになりまーす」と元気よく言われて、「ほう、じゃあ今はまだ変身してないんだ」と呟いたわたしは、母に膝をつねられそうになる。妹は、鼻をもごもごとさせて笑いをこらえる。
そして、がび家三人の女たちは、ハタと気づいた。

男がいない。

実は、世の男性たちが「僕の趣味は、料理です」と堂々と言える時代に逆行するかのように、わたしと血の繋がった男たちは実の弟も含めて、料理がまったくできない。その、テーブルについたとたんに料理が次々と出てくるわ、ビールが注がれるわ、という生活に慣れたケシカラン男たちが唯一文句も言わずにするのが、焼肉やすき焼き、なべ類などのテーブルを囲んでつくる料理なのだ。これは、母方の親戚でも同じ。従兄弟たちは、わたしたちが箸を持って待ち構えている前で、このときとばかり甲斐甲斐しく「料理」する。その前の下ごしらえや食器など全て準備ができているのだから、当たり前だが(と、がび家の女たちは考える)。

それなのに、今回は頼みの綱の弟もいない。三人でちらちらと目を合わせているうちに、年齢順ではドン尻の妹が渋々とトングを取った。そして、わたしもこれまた渋々と手伝う。母は、決して手を出さない。出すのは、口だけだ。
「向こうの焼けてるから、取って。こっちからだと熱いよ」「火が出ちゃったじゃなーい。そこにある氷で消してよ」「あ、それもうひっくり返さないとダメ」
煙の出たテーブルを囲みながら、女たちはひっきりなしにカシマシイ。そして、誰もが「焼肉は、やっぱり男に黙って焼いてもらってゆっくり食べるのがイチバン」と心の中で毒づく。

焼肉は男たちの「料理」

久しぶりに、「和風」焼肉屋に行く。
何故「和風」かと言うと、やはりバンコクにある韓国人経営レストランとはちょいと違うからだ。バンコクのそれは、座ってメニューを渡されている間にどさっと置かれる「ツキダシ」からして違う。様々なナムルやキムチの皿が所狭しと並べられるからだ。分厚い骨付きカルビは、焼きあがるとじょきじょきとハサミでブツ切りにしてくれるし、ビビンバはまるで石のスリバチのように大きくて重い器で出てくる。韓国料理用の銀箸は細くて長くてとても使いにくいのだが、そのビビンバをかきこむと、美味しくてホッペタが落ちそうになる。

実家の近くの店は、七輪などという懐かしいものがどでんとテーブルの真ん中に鎮座していて、それはそれで風情がある。それに、日本語を使う店員さんたちがてきぱきと動くところがいいなあ。こういう流れるようなサービスというのは、バンコクではかなりいい店に行かないと客には与えられない。

それにしても、鍋と焼肉は男の料理だ。
いや「料理」と言っては語弊がある。家でする場合はもちろん女たちが支度をしなければならないが、いったん席に座ったが最後、あとは男の仕事なのだ。少なくとも、わたしの家族・母方の親戚は皆男たちが作る。

母は箸を持ったまま、どこの肉が焼けそうかな、と睨んでいる。妹は黙ってウーロンハイなど傾けながら煙草を吸っているが、目はどうしても網の上の肉にちらちらと流れる。弟は煙草をくわえながら網の上の肉を裏返して、母に「灰が飛び散るでしょっ」と怒られている。妹の旦那さんは、黙々と肉を焼き、時々「あ、ここはもう食べられますからねー」などと、甲斐甲斐しい。

思えば、父が生きていたときにも同じ光景が繰り広げられていた。全く料理をしない父だったが、すき焼き、鍋、焼肉など、テーブルで「作りながら食べる」ものは父の担当だった。
がび家の伝統である。

他の家庭で男が鍋と焼肉を仕切るのかどうかは知らないが、過去に結構たくさんの男たちと焼肉を食べたにもかかわらず、どうもわたしには「焼いた」ような記憶がない。